2024年7月25日木曜日

名は「秋人」(Akito)



ドモドッソラの駅で出会ったイタリア人の「あきと」君とお母さんです。「秋に産まれたので(あきと)という名前にしました!とお母さんがおっしゃるんです。彼がLADのキャップを被っているのは彼のイニシャルが「L.A.」だからなんだそうです。

驚きました!


 

2024年7月16日火曜日

2024.07.15. あぁ、びっくりした

 ミラノを離れて、一路チューリッヒを目指します。テレイタリアとSBBの共同運行便で車輌はSBBなので、とても綺麗。残念ながら男子トイレが匂うのには閉口。途中から隣の席に座った若い男が、スマホでオンラインでポーカーをやっており、なんだ、こいつ、と思っていたら、ベリンツォーナで降りる時に、すっと向かいの座席に置いてあった私のデイパックに手を伸ばした!反射的につれあいがそれを抑えたら諦めたのか、そのまま出て行った。今回の旅でこんなやつを見たのは初めてだ。さすがイタリアだよなぁ、とかいっちまった。

 チューリッヒの駅で迎えに来てくれた姪っ子とその娘のバレリーナとしばし歓談す。女子のバレリーナは目指す人がたくさんいてなかなかチャンスが回ってこないと言うけれど、諦めずに頑張れ!と励ます。爺さんの励ましじゃ、役に立たんかも知れないけれど。

 また午後になると37度の熱が出る。








2024年7月13日土曜日

スイスからイタリアへ

 


 ドモドッソラの駅 ノヴァッラへ行く列車は2番ホームの先端から出るんだというんで、荷物をゴロゴロして珍しく動いている1番ホームのエレベーターで下に降りたら・・なんと2番線ホームに上るエレベーターが動いていない。イタリアだから、まともに動いている方が珍しいと諦める。
 ところが一向に電車の扉があかない。そのうちに係員と思しき兄ちゃんが降りてきて、「この電車はキャンセルになりました。1時間後に1番ホームから次の電車が出ます」という。この旅にはつきもののトラブルで、こうなると驚かなくなる。






 六月の豪雨でタッシュからヴィスプの間は電車が運行できず、代替のバスで繋いでいるのだけれど、その仕切りはあれだけの谷間のクネクネ道を立派に支障なく処理しているのは見事という他ない。なにしろ、スイスの中でも稼ぎの高い方なので、この時期に閉鎖したら大変なことになる。

 ツェルマットからミラノへ移動する。ブリッグの駅では、むかいのホームにドモドッソーラ行きが停まっていて、予定の一本前に乗ることができた。切符はBrigまでしか買っていないが切符売り場まで買っていたら電車が出てしまうかもしれない。駅にいた鉄道の係員に聞いてみると、10フラン余計に払えば電車の中でも買えるよと。えぇい、とそのまま乗る。しかし、誰も検札に来なかった。つまり、この区間、ただで乗ってしまった。非常に順調。

 ところがドモドッソーラから先は波瀾万丈だった。まず乗り継ぎのバスを選択しようとすると、そのバスにはトイレがついていない。年寄りに2時間のバス旅行はちょっとキツい。それではと電車で遠回りをするルートを選ぶ。これがすべての始まり。

 まず、ノッヴァーラ行きの電車がどうやら二両編成が故障らしく、運休してしまう。1時間後に他の編成を持ってきて、これで押すことになる。走り出してみると、この電車がギンギンの冷房。寒くて寒くて。ようやくこれがノッヴァーラに到着してみると、接続するミラノ行きは出たばかり。次は1時間後。結局待ち時間を入れて全部で9時間を要する。
 発熱からようやく回復したばかりの身にとっては辛く、長い一日だった。



2024年7月9日火曜日

2024.07.08 月曜日

 もうこれ以上ないというくらいの上天気になった。朝のうちは雲も出ていたんだけれど、スネガのトンネル・ケーブルカーで上がって、外へ出てみると、なんと雲ひとつない上天気である。気分は最高潮である。左から見渡すとゴルナグラートの天体望遠鏡のようなドームも見えるし、あっちの山、こっちの山も全部見える。もちろん主人公も見える。

 すれ違った人にあれはゴルナグラートだよね?あれはあれだよね?と聞いた。最後に彼があれは知っているかとマッターホルンを、ふざけて聞いたから、なんだろう?といってみんなで笑う、それくらい良い天気だった。

 しかし、下りはきつかった。細い道をジグザグに下り続けるのはとにかく辛い。






2024年7月8日月曜日

2024.07.07 G to Z

 





 Zermattへ移動する。
とても面倒。
Interlarken OSTから三回ほど乗り換えてVispに到着するが、ここから先タウシェという駅までは電車が土砂崩れで普通になっていて、バスで振り返る。そこから先はまた電車。それでもこれだけの観光客をどんどん受け入れていかないと、Zermattの街は干上がってしまう。

 日本との災害に対するする対応の点でもスイスははるかに凌駕しているけれど、それはやっぱり政治の性根とでもいったら良いのだろうか。
東京都の小池百合子のお粗末さがよくわかる。

 昨日の急さ坂道くだりが響いて股関節が痛い。


2024年7月7日日曜日

2024.07.06 午後雨

 天気予報が午後になると雨が降るぞと言っていたんだが、ほぼその通りになった。

 それでフィルストのゴンドラをBoldで降りて下ってくることにした。同じゴンドラで一緒になったのは生後一年にも満たない子供を抱えた肝っ玉かあさんとその友人だった。友人の方がなんだかんだ言っているうちに今年日本に行ったことが判明。どこへ行ったの?と聞くと岐阜だという。なんだ、それと思ったら、案の定高山、白川郷だった。もう一つこんなところも行ったと見せられた写真が、なんと上高地だった。君、それ日本人のバス










ツアーと一緒だよ。三人とも上高地が出てこなくて、三人が同時に「カミコウチィィィ!」と叫ぶ。盛り上がる。

 くだり一方で、楽なもんだよと思っていたら、最初の頃はともかく、途中からとんでもない斜度で降る状況で、足腰痛くて、途中から投げ出したくなる。2時間近くかけて写真をポツポツ撮りながらようやく降りてくる。くだり一方だといってもポールは重要で、一本でもいいからお持ちなさいとお勧めしたい。

 スイスのサッカーはPK戦でイングランドに負ける。

 昨日の電車の中で「UTMB」のTシャツを着ているおじさんがいて、



2024年7月6日土曜日

2024.07.05 6年ぶりに

アルメントフーベルへ久しぶりに上がった。

Murrenの駅もそうだけれど、軒並み駅はとても綺麗になった。驚くほどだ。スイスはどこもかしこもどんどん金をかけている。物価が安いからお客が来るんじゃなくて、これでもか、これでもかと新しい施設をどんどん増やしていく。行っても行っても追いつきそうにない。

 久しぶりのアルメントフーベルは変わっていなかった。人は数えるほどしかやってこない。しかし、牛さんたちは相変わらずだったし、小さな花たちも相変わらずだった。変わったのは体力の衰えた私たちだった。







 


2024年7月5日金曜日

2024.07.04 Grindelwald

 ドピーカンである

家族経営のホテルといえば聞こえは良いけれど、メリットは安いだけ。オウナーは基本的に客を信じない。その上、言葉はドイツ語しか通じない。とてもスイスの超有名観光地のホテルとは思えない。どおりで今や貧乏人に成り下がった日本人ばかりの利用客だ。









2024年7月4日木曜日

2024.07.03

 






 二人とも咳がまだ止まらずとてもまともじゃないので近辺の散歩だけでやめておく。
とにかく上りは苦しくてとても動けないので、降ったばかりいるうちに谷底へやってきてしまって、どうしようかと思っているところにバスが来て助かる。

向かいの部屋と隣に日本人の二人組が二組入って居た。
ドイツ語しか通じない宿なのに、どうしてかというと、古くてガタガタの宿で安いからだ。

2月のクルーズ

  2月16日 Auckland出発 3月2日 Sydney到着 Holland America Line M/S Westerdam cancellation protectioon加入済