2017年3月30日木曜日

20170330帰国

朝飯がっつり食べて帰国
Andreola Hotelだけではないけれど、私が泊まったホテルはだいたい正午がチェックアウト時間で、10時半に出るのは寧ろ早い方かもしれないですな。
実はホテルをとるときに、マルペンサ空港へ行くバスは中央駅の右側から出ると誤解をしていたんです。実際にはマルペンサ空港行きバスは駅正面に向かって左側から出ます。これを知っていたら違うホテルをとっていたことでしょう。
 バスに乗るためにはタクシー乗り場を横切る必要があって、必ず最低一回は荷物をよいしょと上げ下げしなくてはなりませぬ。若いときならまだしも、この年になると、道中が心配なので、できるだけ交通要所から至近にホテルを求めることになります。

マルペンサ空港まではバスは三社が運営しているらしくて、必ずテントを出して宣伝していますが、実際にはバスの乗り口で金を払って荷物を載せてもらいます。どうやら11時のバスが出たばかりで、私たちは三組目の客でしたから、前から二列目に座りました。片道一人8ユーロです。バスはたっぷりと一時間かかりました。

 どこかの本でテルミナル・ウノ(Terminal 1 欧州外行フライト用)に行くけれど国内・欧州向けフライトが出るTerminal-2へはリクエストがあると停まると書かれていたのだけれど、このバスはまずTerminal-2へ行った。次にほとんどの客が降りたTerminal-1だったのだけれど、これ、結構離れていますねぇ。こういうシステムの空港って結構あるような気がするけれど、乗り継ぎには結構面倒な気がするなぁ。豪州のSydneyの空港もこのタイプで、東京から来た連中がそのままホバートへ移動するのにアテンドするのが面倒だったなぁ。

 アリタリアのチェックインはカウンターの一番若い番号の方だった。なにしろ搭乗時間の2時間くらい前についちゃったので、余裕綽々だった。セキュリティ・チェックは私たちの列はそうでもなかったのだけれど、他の列ではベルトも外させられていたし、このばらつきはどういうことだろう?それがイタリアだよ、といわれればそれまでか。

チョコレートを売っている店で「Venchiはあるの?」と聴いたら先に行ったらVenchiの店があるよと教えてくれたので、最後のジェラートを食べる。だぁれも客がいないので、small cupにチョコレートをしいてもらったら3.00ユーロもした!

 日本を出るときにデルタ・アメックス・ゴールドでゴールドメダリオン会員としてチェックインをして、プライオリティのタグをつけてもらい、ラウンジを使ったので、その気になってマルペンサのアリタリアでカードを出したら、タグはつけてくれないし、ラウンジの話をしたら、だめだという。このカードを持っているということはゴールド・メダリオンなんだよ、と解説をしたら、彼女はようやくマニュアルを取り出して読み始めた。それでようやくCasa Alitaliaの説明をした。しかし、彼女は全くイタリアの若い女性独特のあの「無愛想」接遇に終始した。

 ところがそれにくらべて、Casa Alitaliaのお姉さんときたら、端末で私のマイレージの番号をたたき込んで調べ始めた。すると、どういう加減なのか、「All Nipponのメンバーでもあるのね!?」といいながら、私のステイタスを見つけ、見つけるやいなや、立ち上がって(これがでっかい人なんだ!)「ここには自慢のピッツァがあるのよ!すぐに焼かせるわ!」というので私は慌てて「It might be too big for us!」といったら彼女ったら「2 big pizzaがいるの?」というんで大騒ぎ。ラウンジ内に響き渡る声なものだから、中に既におられたたった二人の利用者に目が合ってしまうというわけだ。
 sparkling wineはどんどん呑めというし、ここの食べ物カウンターはそれほど大きなわけではないけれど、ピッツァ、サラダ、パスタ、スープ、もちろん甘いお菓子、そしてなんということでしょう、大きなサイズのsmoked salmonまであるのですよ!わぁわぁ云いながら楽しんでしまいました。ひょっとしたらこの一ヶ月間の旅で一番美味しかったのはここの料理?

機内はもう満席で、成田行きにもかかわらず日本人はほんのわずか。つまり毎日こんなにたくさんのイタリア人がミラノから成田に来ているってことに改めて驚いた次第。
 それにしても12時間、エコノミーでがんじがらめになって旅をするのはそろそろ限界かもしれない。つれ合いは胃が痛いとか、歩きたいとか、食べたくないとか、辛いらしい。
 イタリア人らしくてみんな良くしゃべるんだわ。人の頭越しにしゃべり続けるのはやめろ!機材がA330だったのだけれど、シートが2+4+2で私たちは真ん中の4列左側二つ。その右側には年の頃なら20代前半じゃないかとおぼしき、よく似た二人連れの女性。なんとなく、日本でよく見る「きゃわいい!アニメで覚えました!日本好き」タイプ。するとそのうちに取り出した封筒から、まさにそのパターンの原画を取り出して見せ合っている。成田に着いてみたら、なんとそれぞれ二つの大きなスーツケースを転がしていて、十分に成田をわかっていますよ、来慣れていますよ、風。これからの日本は本当にこのジャンルで生きていくんだろうなぁと実感。

帰宅後、何にも入っていない冷蔵庫を満たすべく、蕎麦屋に夕食に行き、スーパーに買い物。日本は気が休まるねぇ、やっぱり。

170329 最後の日

 昨日の夜中に上の階がギィギィとうるさく、椅子か何かを床にひきづる音がしたので、朝飯後に上まで上がって見たら、会議室になっていて、今日の会合のために椅子を並び替えていたのでした。ウルセェウルセェ。

さて、この度のイタリア北部の旅はいよいよ最終日となりました。実は私はもうすでにここまできて、博物館、美術館、教会には飽き飽きしています。
 それでもレオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐を見たサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会ですが、「最後の晩餐」は見ましたけれど、肝心の教会の方は時間潰しに入っただけで真剣に見ていませんでした。これでは大変失礼なので、見せていただきに参内しました。外観の物珍しい感じに比べると中は思いの外普通、といってはなんですが、むちゃくちゃ派手ではありませんし、むしろ厳粛な気持ちになりそうです。珍しく日本人観光客をちらほらと見るのはやっぱりレオナルド・ダ・ヴィンチを見に来て、時間あわせのために、じゃ、教会にでも入ってみるか、というパターンじゃないでしょうか。何しろ日本人のキリスト教徒は人口の1%ですし、ましてやカトリック人口は相当低いと思います。私だってカトリックじゃないですから。それでも献金は毎回必ずしていますよ、と人にいうようなことではございませぬ。

この近所には確かレオナルドの博物館があったと思います

しかし、私たちはスフォルツァ城にむかい、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」を見に参りました。これはまだ見ておりませぬ。未完のピエタは他でも確か見ております。これは展示方法がかなり考えられていて、非常に厳粛に見ることができます。ワンワンうるさい子供たちが入ってこないだけ、ゆったりと見られます。ロンダニーニってなんだよ、と思ったら人の名前だったんですね。

絵画ギャラリーもじっくりと見せていただきました。

 午後2時半に休憩時間が終わって午後の公開が始まるサンタン・ブロージョ聖堂を見に行きます。中に入れていただくとそれほどの派手さを感じないのですが、主祭壇に近づくに従って、これがそう簡単な祭壇ではないことに気がつきます。ギンギンギラギラなのです。説教台は大理石で、下部には仔細な彫刻が施され、祭壇の天井はギラギラのモザイク仕上げです。ミラノの守護聖人、大司教アンブロージョです。いや、これはびっくり。しかし、カトリックの考えにはもはやついてはいけませぬ。

夕飯はツェントラーレ駅からすぐのお店で絶品のスパゲティ・ボンゴレを堪能。別にどこかの本に出ていた店、ってことではないのです。たまたま通りかかった観光客向けとは思えない店です。入ったら北欧かもしれない言語を話す高校生の一行、20人ほどが入っていたのですが、もう暗くなったので、探し回るのは嫌で入ったんですが、これが旨いの!今回の旅は、知人からミシェランを借りたりしていたんですが、行き当たりばったりで入っても、これはあんまりいただけないなと思ったのはほんの少し。ほとんどのお店が美味しくて、今でもまたパスタを食べたいくらいです。

2017年3月29日水曜日

170328 ミラノ ブレラ絵画館とアンブロジアーナ

まず、イタリアの絵画館としてはフィレンツェのウフィッツィに勝るとも劣らないというブレラ絵画館に行ったです。いったい何事なのかと思うほど、幼稚園から高校までの大遠足の日にでもなっているのか、あっちでもこっちでも子どもたちへの解説大会が開かれています。一番始末の悪いのが高校生でしょうねぇ。

確かにここの所蔵品は素晴らしいものがあります。そしてローマやフィレンツェに比べて展示の仕方が大変に優れております。ちゃんと光らずに見ることができます。

あのね、人間は権力を握ると何をし出すかわからんですよね?ミラノにもそんな連中が過去にその時の力を誇示すべく、あたかもお城のような邸宅を立てちゃうってのが他の都市ともかわらずあるわけです。
17世紀のミラノの主教、フェデリコ・ポッロメオの住居がアンブロジアーナ絵画館となっています。これを公開しているんですが、ここは完全撮影禁止でございます。その上、滅多にお客が来ないものですから、立ち合い者がなんと観覧者について歩いて来ちゃいます。うざったいのよねぇ。監視カメラがあるんだからいいじゃんねぇ。

 ここの見せ方は薄暗がりにスポットを当てているのですが、これでは絵に悪影響があるのではないかと他人事ながら心配です。

ブックショップの店員さんはお客が来ないものだからお客扱いを知らないのか、全く無愛想でございまして、イタリアの若い女性の典型でございます。一度マクドナルドかスターバックスで訓練受けたらいいのにね。

2017年3月28日火曜日

170327 ミラノドゥオモ

まったくウェブ予約もしないでドゥオモに入ろうというのですから、これほど無駄なことはありません。延々と切符売り場で並ぶことになりました。ここの切符売り場はどうやら三箇所設定されているようですが、一番長い列はもちろん正面に向かって右側にある売り場です。裏にある2番の売り場もそれほどではありませんが、やっぱり並んでいます。ドゥオモ博物館の列はどうなっているのかよくわかりません。

ドゥオモは大聖堂に入るだけであれば2ユーロですが、エレベーターで上に上がるとすると9ユーロします。パスAはこれに博物館等の入場料がパックになっていて16ユーロですが、72時間有効です。つまり今日上に上がって、明日大聖堂に入って、明後日博物館に入ってもいいわけです。しかし、4月からまた料金が変わるかもしれないと書いてあります。ということは変わるということでしょうねぇ。

テラスに上がってみると、この角度から言って、これはまさに大聖堂の天井の上ですね。しかし、こんなに人が上がって重さで落ちないのだろうかと心配になります。

ここの大聖堂のセキュリティ・チェックはおそらくイタリアの中でも1番の厳しさではないでしょうか。何しろ迷彩服の軍人がやっています。そぐわないですが、狙われているという噂でもあるのでしょうか。これだったら鉄道の駅もやったほうがいいと思わないでもありません。

スカラ座の見物にも入りましたよ。
サッカーのプロショップが大聖堂の裏にありますが、なんと平日は午後2時から営業。日曜日は休み!

2017年3月27日月曜日

170326 フィレンツェ→ミラノ 移動

朝9時過ぎにホテルを出発。おじさんにまた会おうね!と挨拶をして勇躍出発。今朝は寒い。ちょっと早くつきすぎて、駅についても入線ホームが表示されていない。
駅の片隅に「みゅう」と書いた紙を掲げている日本人女性が一人。日本人向け現地ツアーの集合場所のようだけれど、それにしては集合時間がずいぶん遅い。なんだろう?

ホームが表示されて入ろうとするとそこに切符チェックの係員。ここから先は乗客以外は入れない。自分のコーチ番号が書かれている場所にいると、後からロシア人三世代一家がやってくる。ロシア人も米国人に負けず劣らず声がでかいし、周りを全く気にしない。リーダーがあんなだから、国民も「強い奴が勝つ!」と思ってんのかもなぁとしみじみ感じる。

電車が入ってきて、荷物をよいしょと持ち上げて、自分の席の横に荷物を収納して座ろうとすると、そこにくだんのロシア人家族がすでに座っている。「そこは私の席だよ」というとガヤガヤと騒ぎながら移動する。全体主義国家というのはある意味鎖国だから、その間に世界の価値観から遠ざかってしまうので、解放されてからも、なかなか自分のものとして消化するに至らないものだけれど、中国もロシアも世界レベルに追いつくのにはまだまだかかるのかもしれない。そう言われて見ると日本だって、ここまでくるにはずいぶん時間も、文化的消化レベルもさまざま葛藤に遭遇してきた。「自分の価値観で何が悪い!」と言い放ってもきたものだ。

どんな旅行でもいいから、世界をみるということは自分を見直すということでもあるから、いつでもいいから出かける方が良いような気がする。

2017年3月26日日曜日

テルミクラブ

格安ツアーで話題だったテルミクラブがトラブル続出らしい。
ついこの前この会社の名前を聞いたばかりだったけれどもう20年くらい経つ会社らしい。



170325 フィレンツェ最終日

乗り物24時間切符は5ユーロしますが一度ヴァリデーションすればあとはどんどん乗れます。12番でまたミケランジェロ広場に上がり、見物してからまたおりてきてSMN駅まで帰ってきました。あとは、T-1のトラムの終点まで行きました。途中から団地ばかりになってまさにフィレンツェのベッドタウンになっていることがわかります。帰りは途中の、昨日行ったオペラ・ハウスのところで降りて、歩き、そこからCー3のバスを捕まえて、街の東の方へ一気に行きます。C系統の三本のミニバスは微妙に入り組みながらごくごく狭い路地までもカバーしています。フィレンツェのバス運転手はさぞかし気を使うだろうなぁ、と思うけれど、多分ほとんど気にしてないかも。

今日は天気予報通り、どんどん気温が上がって暑い、暑い!

2017年3月25日土曜日

170324 ウフィツィ美術館完歩

実に残念なことにドイツ絵画とか、欧州にあっては非常に重要なフランダース絵画のあたりが閉鎖されていた。うーぬ!といったら、その辺はオランダに見に行けよってなことだ。

3時間で見終わったなぁ。

2017年3月24日金曜日

170323 病み上がり

病み上がりにもかかわらず、ピッティ宮殿に出かける。ここはウィーンのシェンブルーンのようにズルズルと山になっている敷地で一番上に陶器博物館がある。1日寝ていた直後だから上がりたくなかったのに、いぢで上がった。甚だくたびれた。そしてその陶器って奴が18世紀くらいのドイツやオーストリアにもので、何ちゅうこともなくがっかりだったので、ますます機嫌悪い。

寝ていたせいか、飯もうまくなく、買い換えたsimもちゃんと動かず、若いねぇちゃんたちの愛想も悪く、体力が落ちてくると何もかもうまく回らなくなるのでした、やれやれ。

170322 ダウン

夜中に腹を壊して1日を棒にふる。

2017年3月22日水曜日

170321 from Rome to Firenze

9泊におよんだローマでの滞在を終えて、TrenItalyの超特急電車に乗ってフィレンツェに移動しました。ローマのホテルは前半三泊したホテルもさることながら、Booking.comを通して予約していたIQ Hotelが評判通りの滞在しやすいホテルで、これは大成功でしたが、イタリア政府が観光客からしぼりあげる税金が思いの外高くて、驚きました。しかし、電子レンヂもあるし、バスタブがないながらもシャワーも普通に出るし、排水も全く問題ないし、ハウスキーピングもきちんとしている。個人的にいえば、アメリカタイプのベッドメイキングでシーツをキツキツに作るのは勘弁してほしい。この歳になるとシーツを剥がすのに一苦労する。ホテルからテルミニの駅へはガタガタの石畳の、それも坂を上がらなくてはならず、かなり辛かった。

10時5分発の超特急は最新車両で、とっても綺麗な上に、私たちの周りは空いていて、荷物置き場がない車両なんだけれど、椅子と椅子の間に収めることができた。現地の人々は20Kg近くはあるだろうと思える荷物でも網棚(もはやあみでできているものなんてないのに、網棚)に放り投げちゃう。
後ろの席は中国人と思しき一人息子と両親の3人。あとで大聖堂に行ったら、そこでも見かけた。

11時40分ごろに定刻通りにフィレンツェ・サンタ・マリア・ノッベッラ駅に到着して、そのままホテルへ。前回フィレンツェにきたときに下見はしておいたので、なんの問題もなく到着。フロントのおじさんがゆっくり英語を喋る。部屋は二階(こちらでの一階)。日本人はそういうだろうといってバスタブ付きの部屋に。チェックアウト時に現金なら5%引くよ、

2017年3月21日火曜日

170320 ローマ最終日

ちょっとゆっくり起きました。
三越の前からバスでマーケットが開かれているところまでバスで行こうとしたら、バスがなかなかこなくて、きたと思ったら乗客満載で乗れやしない。次にきたバスも混んでいたけれど、ギリギリ乗った。なんせローマのナチヨナーレを下るバスはガタガタ道で揺れる上にブレーキ踏んだりするから、いや、疲れる、疲れる!アルヘンティーナで降りて、教会へ。そこからマーケットへ。八百屋さん、パスタミックス屋さん、の中に帽子屋があって、夏向きの八枚ハギのキャップを25ユーロで買った。

14,234歩

2017年3月20日月曜日

170319ローマ

ボルゲーゼ美術館の職員はまるで役所だな、と思ったら役所がやっているらしい。それにしても東洋人がいない。

黒塗りのベンツのバンが何台もやってきて、韓国ツアーと思しき爺さん婆さんがぞろぞろとおりてくる。お金持ちツアーなんだろうな。

そういえば、パッケージツアーって、半ば強制的にお土産屋に連れて行かれるんだと再認識した。それにしても、こんな土産物屋が日本にもあるんだろうなぁ。うちの近所には中国人ツアー専門の昼飯屋がある。

そういえば、うちの近所のハナマサの二階にある焼肉バフェはいつの頃からか中国人ツアー御用達になってしまって、入れなくなった。
最後にリパブリカ広場近くの教会に顔を突っ込んでから帰ってくる途中でこれまで通ったことがない通りに足を入れたら何やらピアノの音が聞こえるカフェのようなお店に遭遇。
パスティッチェリア・ダニーノという店で、オーストリアでいったら、コンデトライみたいなものだった。挙句にこの店はお惣菜まで売っているのである。多分うまいに違いないと思ってこれを買う。

2017年3月19日日曜日

サンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂

 





170318 ろローマ

サン・ビターレ教会
コロンナ宮
ローマの休日の映画の最後にオードリー・ヘップバーンが新聞記者の前に姿を現して、グレゴリー・ペック扮する米国人記者に挨拶をする場面を撮影したのがここなんですな。だから後から後からやってくる日本人がみんな奥さんやら、彼女やらをその場に立たせて下から写真をとるでございます。イメージが壊れるからやめてくれっての、あはは!
ミネルバ教会
ジェズ教会

カピトリーニ美術館
歩いているうちに疲れてどんどん不愉快になってきて、とうとう、バスに乗ってホテルに帰ってきました。もう疲れ果てておる。
歩いている途中で、cash machineを見つけてこの際どうでもいいやと、500ユーロを下ろしたんです。そのままホテル近所のおじさんのBARに立ち寄ってパンを買い、ホテルに向かって歩いていたら、周りのおばさんがぎゃあぎゃあ騒いでいるんですよ。おかしいなと思って後ろを振り返ったら、なんとロマの女5人組がまさに私たちに追いつこうとしているところで、「おー!」と大きな声を出したら、周りの人たちも気がついて、何人もが「気をつけろ!」「こんなところにくるな!(といっているようにきこえる)」と叫んでいます。彼らはそそくさと姿を消しましたが、そばにいたおじいさんも、私に「アテンツィーネ!」とかいってくれました。
まさにスニークといっていいくらいな忍び寄りでした。あれから歩きながら後ろを気にするようになりました。



2017年3月18日土曜日

170317 ポンペイへ行く

ローマからバスツアーでナポリ、ポンペイへ行く。欧州全体をカバーしているMIKI travelという会社のバスツアー。前にも一度ウィーンでバスツアーに乗ったことがあるが、あの時は参加者が4名だった。今日はその倍、8名だった。行き帰りにおんなじ土産物屋兼バールに強制的に立ち寄る。ここにトイレがある。イタリアのこの種の施設のトイレとしては非常に例外的に男子用トイレも広く、箱だけではなく、まさに日本語ツアーに特化しているのかもしれない。このほかにカメオの店によってトイレを使った。なんも買うものはない。

ポンペイの遺跡はとっても興味深い。なんたって西暦79年の火山噴火で埋れてしまってからこの地域の文化が永遠に閉じ込められていたのだものねぇ。日干し煉瓦で作られた建物は当時は大理石の板や、漆喰で塗られていたらしいけれど、今はむき出し。大理石の柱も噴火の前の地震で崩れたときに、日干し煉瓦で補修したものがそのまま掘り出されたのだそうです。気になるのは掘り出された火山灰や礫は一体どこへ処理したんだろうということです。かなりの量になるはずだからです。
いまもまだ、調査修復作業が行われているんだそうで、これからも楽しみな現場です。それにしてもガイドの日本人のお姉さんの自慢げな解説がとてもおかしい・・・まるで自分の持ち物のようだもの。

ナポリを見て死ね!てなことを言ってありますが、冗談じゃない、それじゃ、これから平気で死んでくれと言われているような気がしますが、これは海の景色のことを言っているんでしょうねぇ。残念ながら高いところからこの海を見るチャンスはありませんでした。

2017年3月17日金曜日

再度バチカンへを

一昨日、ツアー一行でバチカン美術館からシスティーナ礼拝堂、サン・ピエトロ大聖堂を訪ねましたけれど、今日は朝8時半から今度は二人で再訪。もちろん事前にネット上で入場券を買っていました。なんと二人で54ユーロもしました。高いなぁ〜!

ほとんどの人たちはグループの入場で、切符を引き取りに窓口に並んでいると、前後になったイタリア人のおっさん二人が途中で日本語を混ぜて見せ、私たちを驚かすのです。彼らは日本人団体のガイドなんです。ガイドの言葉を聞いていると、ほとんどが日本語か、英語。韓国語、中国語が混ざって、スペイン語、ドイツ語が聞こえてきたくらい。

昨日はサン・ピエトロの前庭にどっと人が椅子に座っていたそうで、何かあったようですが、そのせいか、サン・ピエトロの中もずいぶん板囲いがされていました。正午からの礼拝二歩、参列したいといえば参列できるようです。当然といえば当然です。

一昨日と異なるのは、今日は絵画館にじっくり時間を割いたことです。朝一番からゆったりみることができたのですが、残念ながらメンテ作業中の箇所があって、全部を見ることはできませんでした。

ランチをとってから、サンタンジェロ城を見に行き、城壁から、てっぺんのサン・タンジェロを見る。19番のトラムに乗って途中のRossiniで3番に乗り換えた。サン・ピエトロの前のアビニョンに行く前までにローマ法王庁があったサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂を見に行こうと言うわけです。ところがこのトラム途中でメンテ中だから迂回するってんです。しょうがないからManzoniから地下鉄で一駅乗った。ようやくたどり着いてみると、サン・ピエトロ大聖堂とは裏腹に、一体どこが入り口の受付なのかわからないくらい人がいません。セキュリティーチェックももうダラダラ状態そのものです。充分時間を割いて見学することができました。

2017年3月15日水曜日

ツアー最終日

ツアーが終わります。本来今日は丸一日自由行動ということになっています。しかし、私たちはイタリア初めて組なので、添乗員さんがローマ必須のポイントにお連れくださるというので、金魚のフンのごとく7〜8人でぞろぞろとくっついて歩きました。

おかげで、スペイン広場(近所にスペインの大使館があるのでこの名前だといまようやく知りました)、トレビの泉、はたまたアッピア街道まで行ってきました。とにかく公共交通機関を使って行ってみようというので、118番のバスに乗るところまでようやく到達!ガタガタの乗り心地のバスでカタコンベのそばまで行き、あの歩きにくい大きな石の石畳を歩いて、帰ってきました。

いやいや疲れたなぁと思ったら、やっぱり19,500歩歩いております。
これで痩せやしないんだから、いやんなっちゃう。

2017年3月14日火曜日

現地ガイド

ツアー会社が雇った現地ガイドは日本人女性でした。これがよく現地にいる、「私はなんでも知っている、団体でくるような観光客は思いっきりばかにしちゃうわ」タイプの典型で、この喋り方がまたなんとも気持ち悪くなるくらいの、幼稚園児にしゃべっているか、という人で、辟易。
知っていることを思いっきり披瀝しようとするものだから時間が足りなくなって、急げという。間違ってんのはあんただ〜!といってやりたくなる。サンピエトロ大聖堂(バチカン)で「礼拝時に参列することは可能か?」と長年の疑問をぶつけて見ると「観光客はダメだ」という。彼女の頭の中には日本からの観光客はキリスト者な訳がないという公式が成り立っているようで、質問に対する答えが出てこない。「観光客はダメ」というだけ。バチカンにくるツアーなんだから、中にカトリック信者がいても不思議はない。この辺の想像力というのは普遍的に一面的である。
質問を抱えていても、のべつ幕無しにしゃべるものだからタイミングがない。無理やり割り込んで質問をすると機嫌が悪くなる。この辺は京都の某皇室所有場所の見学ツアーのガイドと似ている。
たぶん彼女は自ら作ったスクリプトによっているのかもしれない。こんなことでローマが嫌いになってしまう人が出ないことを願う。
私はもう二度と京都で御所系を訪問する気がなくなってしまっている。

2017年3月13日月曜日

170312 Orvieto

イタリアにこんなところがあるだなんて知りませんでした。

突然ガァーんと上から見ると木の葉の形をした土地がまさに屹立しているんです。しかも、その上に大聖堂が立っていて、入り組んだ路地で繋がった街があるんです。こりゃとても信じられません。















しかも私たちが参加しているこのツアーはここからまた南下して、宮崎駿が作品のモデルにしたと言われているチヴィタ・ディ・バーニョレッジョという街にやってきました。これを見たら、なんの作品の舞台になったのか、瞬時にわかります。

このツアーはちょっと贅沢なスケジュールで、ここまできてようやくローマにはいります。

2017年3月12日日曜日

170311 アッシジへ

シエナからちょっと走って、何もないところに突如現れたあたかもマナーハウスとでもいうようなホテルに泊まったら逃げようがなくて、料理はホテルで食べることになりました。ま、しょうがない。

 朝起きると今日もまた天気晴朗にして真っ青な空が広がる土曜日の朝でございます。バスはガンガンと走りまして、ピエンツァという田舎町にやってきました。この町出身のピウス二世が教皇となるや、ピッコロミニという名前にして理想のまちづくりをしたというものだそうで、そのピッコロミニファミリーの宮殿を作っています。これが世界遺産になっているらしいのですが、ガイディド・ツアーは音声ガイドを自分で聞くというものですが、一行を連れて歩くお姉さんが威張っていて誠に気分が悪うございます。日本人をというよりも東洋人をバカにしている雰囲気ありありです。そのうえ、この元教皇様の肖像画があるのですが、この人がまた人相最悪。

ランチは、本当にこの道でいいの?というような道をたどった後に到着したファーム・リストランテとでもいうようなお店で、念願のピーチをいただきました。まるで讃岐うどんです。

かつて中田英寿がプレーしたペルージャの街も通り過ぎ、アッシジへ。まったく写真を取らせてくれない施設ばかり。

泊まったホテルはWindsor Savoiaというかなり古いホテルで、団体だからなのか、日本人だからなのか、非常に理不尽な扱いを受けていて、こうなると古いだけが取り柄といういつもの欧州の旧市街ホテルだってだけで聖フランシスコとか、サンタクララの名前を汚す、最低レベル。ダメだなぁ、落ち込んで行く国はと感じさせる。まさに日本人が勉強するべきはこうした一面だろう。



14、748歩


2017年3月11日土曜日

170310

今日もまたよく歩いた。
フィレンツェを出て一気に西へ向かい、ピサにやってきました。
例のピサの斜塔というのは一体なんだっていうと、大聖堂付属の鐘楼なんですね。知りませんでした。
19206歩



2017年3月10日金曜日

170309フィレンツェ第ニ日目

今日は1日滞在日なので、のんびりと朝8時半から動き始める。しかし、このツアーの人たちは実に、ワシワシと歩く。みんな足取りがやたらと早い。午前中はみなさんに合わせてガシガシと歩き、見晴らしの良いところからフィレンツェを見下ろし、昼にパニーニの類で腹を満たし、ホテルに帰ってきて、とうとう昼寝体制に突入。たった半時間寝ただけで力を取り戻し、教会巡り、ポンテオベッキオ橋見物。

一休みをしてから中央市場の二階のフードコートへ、メンバーのうちの五人で出かける。私たちはパスタ、二人がなぜか二人とも同じマルガリータのピッツァ。残る一人は何たってトスカーナ地方の名物、牛肉のステーキ。これがろくなカトレラリーもなくて、プラスティックのナイフ・フォークで格闘するうちに、フォークはポキポキと折れ、とうとう食べ終わった時には、気がついたら紙皿に穴が空いただけではなくて、下に敷いていた紙ナプキンまで穴が空いていた。気がつけよ、そこまで行く間に!ってんでみんなで大笑い。飯の思い出よりも、笑いが思い出になる夜だった。

そんな私たちを尻目に日本人のお嬢ちゃんたちグループはなんの感動もなく食事を終わり、全員がスマホと対峙。若いときは誰も彼も、ばかなのかなぁと自分がガキの頃のことを思い出して反省す。

25,238歩

2017年3月9日木曜日

20170308フィレンツェ

サン・マリノ公国からくだってきて、フィレンツェへ向かうのだけれど、距離的に近いところを辿るのではなくて、高速道路を使ってボローニャまでまともに戻り、そこから一気に南西へ下る。70kmほど余計に走るのだけれど、これが一番早いんだそうだ。

途中のAutogrillでトイレ休憩を取ったのだけれど、そこには日本人の女学生の団体、中国の学生団体、韓国学生団体と、アジア人の若者ばかりがワンワンしていた。卒業旅行なんだろうか。

そこへ日本人の出張族らしきおっさん3人がやってきて「修学旅行ですか?」と爺さん婆さんの私たちに聞くんだけれど、現役の教職員のように見えたのかと、嬉しく思わなくてはならないんだろうかね。

フィレンツェは見所満載で、たった二日間じゃ、終わらない。今日はゼネストと言われていたものだから、ウツッフィ美術館が午後は閉鎖されるかもしれないと言われていたそうで、その分空いていたのだそうだけれど、私にはとても空いているとは思えなかった。

この日は国際女性の日、だそうで、イタリアでは季節柄もあってミモザの花を女性に送る習わしだってんですが、そもそもこの日の設定がそんな昔からあったものでもなさそうだから、たまたまこの季節の花をこじつけたってことじゃないだろうか。日頃、水や傘を売ったりしている連中が交差点で、通りかかる人たちに売りつけているのが甚だ似合わない。彼らにはきっと仕切っている親方がいるんだろうなぁ。ランチに入ったお店ではお客さんの女性にミモザの花をプレゼントしていた。



2017年3月7日火曜日

20170306

ついにベネツィアを出て、パドヴァでスクロヴェーニ礼拝堂でジョットの宗教画を拝見す。わかりやすい絵が鮮やかに残っております。

それにしてもミュージアムショップのお馬鹿野郎がレイジーな仕事をしていて明らかにレイシズムの野郎で腹立つ腹立つ!これははっきり書いておかなくてはなりませぬ。

フェラーラに移動してエステンセ城を見る。なかなか美的なお城なんだけれど、中身をすっかりフランス、スペイン、その他に持ち出されてしまっていて、哀れそのもの。やっぱりそういうものは元に戻してあげるべきだよなぁと思います。

初めてカフェで立ったままカプチーノを頼みました。2ユーロでございました。
地元民になったような気持ち。

9、907歩



2017年3月6日月曜日

20170305 ヴェネチア

ヴェネチアで過ごす一日ですが、実質この一日しきゃありませぬ。従ってまぁ忙しいというか、強行軍でございます。朝飯の時に、もうすでに雨降りです。覚悟をしてライトダウンのコートの上からポンチョをかぶって行きました。
      ヴェネチア大学の東洋学部を出たというお姉さんがガイドしてくださいました。今日は日曜日なので、サン・マルコ大聖堂には外側にしか入れないというので、それは午後に回し、ドゥカーレ宮殿を丁寧にガイドしていただきました。この宮殿の奥には牢獄として使われていた部分もあり、囚人は海辺に立っている聖テオドロスの像が乗った柱と羽の生えたライオンが乗った柱の間で処刑されたんだそうで、ジモティーはこの間を通るなんてことはしなかったんだそうでございますよ。聖テオドロスが踏みつけているワニはなに?と訊ねたら笑われました。ほら、あれは聖テオドロスが退治した竜でございます。欧州各地にその像がございますよねぇ。

 さて、わたくし、ヴェネチアに行くにあたって、あのゴンドラに揺られて、なんて絶対にやらねぇぞ、と思っていたんでありますが、このツアーに含まれているというので、仕方がない、乗り込みましたけれど、後ろの舟にアコーディオニストとうたのおじさんがのっていて、つぎからつぎにうたをくりだします。いやいや、こっちも負けてはならじと歌います。一番楽しんでいたのは、多分私でございますね。35分間の遊覧でございました。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ島のサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
ランチ
サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会
スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ
サン・マルコ教会

   

 
16,943歩

2017年3月5日日曜日

ヴェネチアへ

 朝からバスを走らせてベローナにやってきましたが、このバスがとんでもない豪華版で、三列座席という、テレビではみたことはあるけれど、実際に乗るのは初めて!

ベローナに着いたら雨!知らなかったんだけれど、観光客がやってくる町では、観光バスは街に入るのに、税金を払わなくてはならないそうで、これが結構面倒な上に金がかかる。強気でございますなぁ。この街は歴史の積み重ねで、イタリアでは3番目に大きいと言われているコロッセオがあるだけではなくて、何しろ古い町並みや城壁がかなりの数、残されていて見所満載だ。

昼飯にピッツァなんぞを食べちゃって、腹一杯になったら、また豪華バスに乗って寝ながら、ベネツィアに!
 ベネツィアといったらクルーズの拠点のひとつで、かの有名なフィンカンティエリ造船所がある。

8,798歩

2017年3月4日土曜日

ミラノ

 いよいよミラノ見物です。あいにく朝から雨ですが、大したフリではなくて、ま、ほとんど問題なく楽しみました。しかしそれよりも午後に訪問したパヴィアの僧院が実に派手で豪華な装飾を持った修道院でそれはそれは見応えがあるものですが、修道院としてはまさに勘違いも甚だしい施設と言えるのではないだろうか。ガイドの男性が解説してくれたのだけれど、ほとんど彼の英語はセンテンスになっていない。

  ツェントラル駅の TIMで、SIMを45ユーロで購入に成功。女性に「設定もお願い!」と言ったらチョンチョンとやってくれて一発で接続。
ここにサインしろと言われてイタリア語の書類にしたのがとっても気になっているんだよなぁ。

13,587歩

2017年3月2日木曜日

成田出発

 という訳でアリタリア航空でミラノへ参ります。
デルタ航空のラウンジでお昼を食べてちょっと早めに25番ゲイトに行ってみるとまさに丁度搭乗が始まったところで、タイミングがバッチリ。
13:20にボーディングゲイトから離れ、13:35離陸。
飛行時間12.5時間はかなりきついものがある。若い時はともかくこの歳になると狭いエコノミーはきつい。

ミラノ到着は現地時間で18時だけれど、日本時間では午前2時。眠くて頭がいたい。
滞在したホテルはドリアグランドホテルといってかなり中央駅から近いけれど相当に古いホテルで、何しろバスルームは大理石で扉がマホガニー。しかしながら予想通りの設備古めかしく、湯船の排水には充分時間がかかってしまうというもの。ま、想定内です。

NYC観光客減少予測

 どうも巷では、トランプの排外主義のおかげで観光客は減るんじゃないかと予測しているんだそうですが、その気持ちがわからないではないですね。

 というわけで私も5月から6月にかけて北米に行くつもりでいるわけですが、一瞬頭をよぎるのは、トランプのあの言い方のおかげで、力を得てしまっているんだろう極右主義の持ち主たちが、たとえ観光客であっても外国人に対して理不尽なレイシズムを振り回すんじゃないかという懸念がありますね。それは自分の国においてもそういう傾向がなきにしもあらずだという実情の裏返しだということですけれどね。



あと31日

 I am Amsterdam cardを買った。72時間で100ユーロもする。 オランダ国立美術館を予約した。 ゴッホ美術館を予約した。 デン・ハーグのマウリッツハイス美術館を予約した。 準備は進みつつある。