2018年7月22日日曜日

帰国後

 風邪だったのか、熱中症だったのか、はたまた時差だったのか、4-5日、保冷剤を頭に乗せたまま、寝たり起きたりの毎日を過ごしております。年齢的に、無理がたたったのか。

2018年7月16日月曜日

OUIBUS

シャモニーからジュネーブに移動するのに、シャモニーのインフォメーションセンターで、OUIBUSを買った。前の便に変更しようとすると、ネット上でやればただだけど、カウンターでやると5ドルかかるといった。その根拠が不明だけれど、とりあえず、ネットで変更すると最後の決済のところから先へ進まずぐるぐるが回る。三回決済してしまったような気がして滅入る。結局終わらず、バスターミナルに行って英語のうまいおばさんにやってもらう。

ところがこのOUIBUSの16時発がようやく走り出したと思ったら、運転手がトイレの仕様を認めようとしない。なんちゅうことだ、これで2時間耐えるのかと思っていたら、高速を降りて街の中に走り込む。おかしいなと思ったら、鉄道駅に着くや否や、「バスを変更する、全員降りろ」という。なんだこれは、とみんながイヤイヤ降りると、20分待てといったのに、30分過ぎてようやくOUIBUSの自前バスがやってきた。するとこのバスの乗客も全員降ろされ、バスが交代した。この作業の意味がわからない。なんの説明もない。フランス語がわかるやつの誰も、運転手に質問しない。

 私たちのバスを運転するのは最初からの運転手である。つまり、同じ運転手と乗客のセットがバスだけ乗り換えたことになる。ようようジュネーブの空港に着いたと思ったら、運転手が「街中まで行く乗客はここから先どれくらい時間がかかるかわからないから、急ぐ人はSBBで行け」とフランス語で言う。隣にいた姉ちゃんに英語で教えてといったらそういった。私たちは降りてしまったのだけれど、後から考えて見たら、急ぐ旅でもないのだから、そのまま乗っているべきだった。電車に乗ったので、いくら半額券を持っているとはいえ、一人2ユーロかかった挙句に、重たいカバンの上げ下ろしが伴ってしまった。

2018年7月14日土曜日

20180713

明日の土曜日がフランスの独立記念日なんだけれど、シャモニーではこの金曜日がその日なんだそうで、広場ではボウルだリングの大会が開かれていて、今日がそのファイナル。女子は日本選手が出ていたが残念ながら表彰台には残れなかった。優勝者はオーストリア選手。
朝飯に地下へ降りていくと、後から西洋人と東洋人のカップルが来た。東洋人の女性が「おはようございます」という。あれま、日本人ですか!?でもブラジル生まれで今は豪州から引っ越して、パリに住んでいますという。なんでまた、と思ったら男性の方はSydney出身だという。しかも、私が関係した業種に非常に近いところだったという。世の中狭い。
9時のバスがとても混んでいて、リュックを下ろそうとしたら、カメラを持っていないことに気がついた。こりゃまずい。とって返して、次の9時半のバスに乗る。なんとこれがガラガラ。
Le Tourという終点まで乗り、テレキャビンと四人乗りリフトを乗り継いで降りる。先日のVal Firretのことが常に頭をかすめる。

20180712

朝一番のバスでシャモニーに移動。
ホテルまでタクシーを使う。
荷物をおいて早速エギュ・ド・ミディの乗り場へ。長蛇の列。三日間のロープウェイ乗り放題券を買う。切符を買って上まで行って、帰ってくるまでに4時間半かかった。機嫌すこぶる悪くなる。当たり前か。


昼飯はついに中華に手を出した。

2018年7月13日金曜日

3466m

朝飯を一番で食べました。ま、いつものことでございます。しかし、ここのホテルはどうも長逗留をする人が少ないようで、毎朝メンツが変わります。今朝はどうも米国人率が高く、高校生くらいの女性4人組が積極的に朝ごはんをジップ袋に入れております。
私たちはチェックアウトをしてから、9時のSAVDAバスのシャモニー行きに乗って移動します。バスセンターを出てからなぜか「sky way」乗り場でもう一度止まり、そのままトンネルに入ってしまいます。そこは国境のようで、大きな施設が建っています。

トンネルは約20分間で、結局45分ほどでシャモニーのバスターミナル、Chamonix Sudに到着してしまいます。こんな程度なのであれば、あっち行ったりこっち行ったり出来そうで、なにも宿泊地をわざわざ移動させる必要はないかもしれません。シャモニーへの滞在なんて考えてもいなかったのに、クールマイユールからのロープウェイでエギュ・ミディへ上がれないというので急遽とったものだから、全然中身を吟味していない上、やたら高いので焦っていたのだけれど、バスから降りてみたらそのホテルが歩いたら15分くらいかかるというのを聞いて、即タクシーを拾う。到着したホテルは二つ星で、エレベーターはないし、おばあちゃんがいうには午後3時にやっておいでの挙句、ここは四六時中扉がしまっているかもしれないから、入口の暗証番号はこれだからね、と渡されました。

さて、荷物を預けて即座にエギュ・ミディのロープウェイに向かいます。行ってみるとあっとびっくりするほどの人たちがわんわんしています。ここにはロープウェイ乗り放題券があります。一日から多分

2018年7月12日木曜日

死ぬるかと思った

08:45のフェレ谷行きのバスに乗る。始発のParking Monte Biancoのバスセンターで切符を買わないと運転手が乗せてくれない。そうかと言っても途中から乗ってくる人たちは運転手から買うしかない。なにしろバス停の周りにはほとんど店らしきものもないんだから。
それでいて、バスセンターの切符売りの姉ちゃんは自分が聞き間違えたのをすぐ人のせいにするやつで、イタリア人の鏡みたいな人。英語がわかる人ってのがイタリアの田舎には本当に少ない。日本人も人のことは言えないけど。途中からもどんどん人が乗ってきて、一時間かかるバスは最後には立錐の余地もないというやつで、昨日と全く同じ。これなら増便しろよと思うけれど、それができない。
終点から数分歩くと、シャーレー・ド・フェレという宿泊施設とカフェがある。ここのガキは三輪バイクを乗り回して、目立とうとしている。あえて無視する。
トイレは別棟になっていて、多分利用し放題。行きと帰りと2度利用したけれど、2度とも人が鍵をかけているというのに、ドアノブをガチャガチャする。頭悪いんじゃないのか。
悠然と出かけて、私たちが選択したのは「はじめだけ頑張ればいいんだ」と聞いていたエレナ小屋までのルートだったのだけれど、実はこれがツール・ド・モンテ・ビアンコの本ちゃんルートだった。登り上りの連続で、片側谷底が続いたと思ったら、角を曲がって現れたのはどっかりとした残雪。なんと、みなはそこを歩いて渡っていた。ポールで突っ張りながら、先人の足跡を踏みしめるが、それでも滑るような恐怖を感じる。こんなこと予想してねぇよ、と思いながらかわしたものの、次に現れたのは、その残雪が溶けて崩れている。どうするのかといったら、道なき崖を降り、水の流れを渡り、また道なき崖を登る。転がり落ちるような恐怖に足は震え、崖に手をついてよじ登る。一発間違えたら転がり落ちる。(もう嫌だ、もう嫌だ、二度とこんなことはやらないぞ)と心の中で悪態をつくが這い上がらなくては話にならない。顔を引きつらせながら前に進むと、またまた残雪だ!「もう嫌だ!」と口にした。すると向こうから自転車に乗った二人がやってきて、平然と渡ってくる。そうなるとこっちも逡巡していられない。怪我する奴はこんなときにするんだろうなと頭にかすめる。

2018年7月10日火曜日

初心者ハイキング

トレッキングとはおこがましい。何しろクールマイユールのハイキングコースにはちゃんとレベル表示があって、その難易度がわかるんだけれど、混乱するのは一番やさしいのが『T』と書いてあって、ミドルクラスが「E」と書いてあるってんですね。英語の人はすぐさま「E」がeasyだと思ってしまいます。

その一番やさしいところを歩いていると、後ろから大きな荷物を背負った2人組がついて来ます。写真を撮っているうちに追いつかれ、話して見たら、英語が通じて嬉しくなります。カナダからきたおじいさんと高校卒業したばかりの孫の二人連れでした。いいねぇ、じいちゃんと孫。

ツール・ど・モンテ・ビアンコを踏破中。

クールマイユール

とにかく天気に恵まれて、という言葉が不必要なほど、ずっと快晴。なぜかクールマイユールには米国人の高校生くらいの青少年であふれている。なんで、こんなところにくるんだろう?自然を歩くんだったら米国にはそれ相応の国立公園がわんさかあるというのに。逆に多くのイタリア人の子供達が米国の地名が印刷されたシャツを着ている。ま、そんなものは日本でもなぜか米国の大学の名前が印刷されたシャツを着ている若者がいたりするからどっちもどっちか。

クールマイユールといったら、山はモンブラン、つまり、イタリアでいう「モンテ・ビアンコ」という常にふんわり感のある雪をいただいた山でございます。別にこの山に登るというわけではございませんけれど、それを間近に見ることができるポイントまで一気にゴンドラで運んでくれる「sky way」という簡単な名前が功をそうしているものがあります。本当は3本を乗り継ぐと山の向こう側、フランスのシャモニーから上がってくる頂きに行くことができます。ところが最後の一本が実に危なっかしいものだったようです。この冬に荒天に見舞われて、これが壊れてしまい、いまはそっちまで渡ることができません。しかし、これを往復するのに、なんと49ユーロもかかります。高いなぁ〜と驚きますが、その度に、誰もかれもがユングフラウのヨッホに上がることを考えるとまだましだと必ず言い訳して登ります。ここまできて上がらないわけには行きますまい。
 これがまた、ずいぶん素晴らしい景色で、ちょっとやそっとでは降りたくなくなります。そうはいっても、いつまでもいるわけには行きませぬ。
ところがイタリアらしいというのか、このロープウェーの乗り場から街中に戻るバスが、なんと一時間に一本しかないってんです。イタリアの田舎のバスは不便を絵に描いたようです。

2018年7月9日月曜日

イタリア北部

アオスタにはたった一泊しかしなかったのだけれど、それでも、今日一日でチェルビニアという街まで行って、マッターホルンのを裏側から眺めて来た。ツェルマットから見る形とは全く違っていて、面白い。イタリア側ではこの山をチェルビーノと呼ぶ。

2018年7月8日日曜日

トリノ

今度の旅の後半は初めてのところばかりなので、気が抜けない。しかし、大都会ばかりではないせいか、割とのんびりしていられたが、トリノは大都会。ホテルに入って見たら、それまでは山に囲まれていたのだけれど、今度は建物に囲まれていて、空も見えない。ずいぶん洒落たホテルだったけれど、その実壁が薄くて、隣の声が聞こえた。
W杯も佳境に入っているものだから、あちこちでワァワァやっている。イタリアは出てもいないのだけれどね。

 朝チェックアウトするや否や、駅に向かい、アオスタへ行く電車に乗る。古い古い車両で、とにかくトイレに近い席に座る。すると東洋人おおじいさんが通りかかる。多分中国人だろうなと思っていたら、なんと日本人だった。何度も何度もこの辺にきているんだそうで、同じくアオスタへ向かうという。先日のクールマイヨールでもそうだったけれど、高齢者で出会う日本人の人は何度も何度も、あちこちへ旅行しているという人たちばかりだ。こういう人のほとんどは70大半ばくらいの人で、私たちよりも上の、一番いい時代を過ごした人たちだ。

2018年7月5日木曜日

危機一髪

 Tofanaにかかる三連のロープウェイに上がろうと虎視眈々と今日か、今日かとまっておったのですが、いよいよ、今日の午後になったら動くのではないか、という情報が飛び交ってまいりました。とりあえず朝に二本目まで乗りましたが、やっぱり動くことはなかったので、1本目の終点から街に向かって下りを楽しもうということにしました。
地図は見たものの、取り敢えずこっちかい?と地図に逆らって、うばぐるまぐみがおりていったほうへいきました。
 すると途中で、Duca D’Aostaというリフトが動いているのを発見。上に上がってみるとその上にもリフトがあって、試験運転をしている。あとで地図をみると、本当はこのリフトも通年営業しているはずなのに今日は営業をしていない。リフト前の小屋も営業をしていなくて、やっぱりこの辺りの夏のシーズンは七月半ばからで、本当のシーズンはまさに冬なんだなと感じさせる。

2018年7月3日火曜日

他岸の火事

ドロミティーにいるわけだけれど、旅館(家族経営の施設はとてもホテルというよりは旅館だな)にしても、交通機関にしても、インフォメーションにしても、とても日本の現場に似ていて、あぁ、なるほど、日本にやってくる外国人観光客もきっと同じようなことを思っているんだろうなぁと勉強になる。
黙っていても観光客はやってくるから、その上にあぐらをかいている、という点もとても似ている。英語が普遍的に通じることがないという点もそっくりだ。
 多くの外国人観光客は多分日本の駅やバス利用という点で不便を囲っているに相違ない。都バスの中では次に止まる停留所の名前が四カ国後で表記されるのは大いに評価するべき点だろう。多くの国ではバスの中で次の停留所が表記されるなんてサービスは見たことがない。駅の改札にいる職員の中で不便なく英語が通用するところはなかなかない。東京メトロでは中国語のわかる職員(臨時職員だろうか)が改札近辺にいるのを見たことはある。交番はどうだろう?多分無理だろう。
 こうしてみると、やっぱり逡巡することなく、相手が警戒心を出そうとそうでなかろうと、積極的に観光客に声をかけることは多少の役に立つことかもしれない。
真夏のオリンピックに大枚をはたくよりは、そしてボランティアを酷使するよりは街中で彼らに手を差し伸べるほうが効果を発揮することになるんじゃないだろうか。

イタリアの田舎

イタリアにいるわけだけれど、都会と違って、田舎の多くのホテルはほとんどが家族経営のように思えるのだけれど、英語の通じる率はそれほど高くない。英語の単語をなげつけあうという雰囲気になってしまう。これほど英語が通じないところへきたのはかなり久しぶりだ。

バスを乗り継いで、乗り継いで4.5時間ほどかけて移動しようと思ったんだけれど、幾ら何でもあんまりだと思ったので、とうとうタクシーを動員した。Canazeiの街から州境を超え、ということはつまり、峠をいくつも超えるということになるんだけれど、Cortina D’Ampezzoにやってきた。150ユーロ。高いけれど、1.5時間で到着することができた。体力への負担はまったく異なる。
 この街へくるや否やそこら中に日本人、韓国人のツアーが溢れてる。日本人の一人旅だという77歳だというおじいさんに遭遇した。なんで日本人とわかったのかというと、この人もモンベルのキャップをかぶっていたからだ。ちょっとご挨拶をしたつもりが、ご自分の旅行自慢をベラベラと並べてくださった。どういうわけか、このくらいのタイプの方々は旅行自慢を聞かなくてもずらずらと並べてくださる。先日は女性のこういうタイプの方と遭遇した。誰かに話したいんだろうなぁ。この方は二食付きの宿をBooking.comで探すのだそうだ。

2018年7月2日月曜日

バス

イタリアだとバスのことをブスと発音しますが、かなり抵抗があります。このバスが実によくわからんの。いまいるこのドロミティーにやってきてから、ま、具体的にはカナツィではバスがどっちからきてどっちに行くのか、はっきりわかりません。何しろツーリスト・インフォメーションの人ですら、わからないというのです。挙句に、バス停に張り出されている時刻表には何番のバスのことを刺しているのかがわからない。わからないわけだよ、バスの前には行き先は書いてあるけれど、番号が表記されていない。それなのに、冊子の時刻表には番号が明記されています。だから大混乱。

 一番いきたいところに公共交通機関の情報がないんだから、話にならない。

2018年7月1日日曜日

Canazeiのホテル

もちろんこのホテルもBooking.comから手配した。這々の体で到着したのは午後2時ごろ。フロントに行くと、毒林檎でも作っていそうな雰囲気のおばあさんが、やっぱり年老いた犬と一緒にフロントに座っている。この人が全くイタリア語しかわからない。
 食堂で働いているにいちゃんを呼んだ。このにいちゃんはわずかに英語を理解する。ばあちゃんは全部イタリア語で私に話す。それでもカードキーをもらった。これまでの5軒のホテルでカードキーをくれたのはミューレンの四つ星以来のことだ。部屋に入ると、これが涼しい!エアコン?まさか?ほんと?
 ところが部屋にテレビはあるのだけれど、リモコンがない。下の食堂でボロネーズ(かなりしょっぱい)とリゾットで昼飯にしてから、その婆さんにリモコンがないよ、と言ったらベラベラっとイタリア語でまくし立てる。なんのことやらさっぱりわからない。ふと見上げると、キーボックスになんとリモコンが置いてあるじゃないか!なんだ、このホテル?と思ったら、くだんのにいちゃんがまた呼ばれて、疑問が氷解。なんと10ユーロをデポジットに入れないと貸さないというのだった。こんなものを持って行っちゃう奴がいるっていうんだな。だれだ、それは!?ひょっとしてテレビごと持っていかれちゃったのかな!?
近くに市庁舎があって、その下がインフォメーションになっているらしい、と説明して、昼寝した。久しぶりだ。インフォメーションにはようやく英語が通じる若い女性がいた。話が通じてホッとする。
 多分うちの近所にやってくる観光客も同じような状態なんだろうなぁ。
スイスとイタリアの大きな差はこんなところにも現れる。

20180630 Bolzano→Canazei

 ドロミティーがなかなか情報がたくさん出てこないのは、やっぱり公共交通機関がスイスのように便利にはできていなくて、なかなか個人旅行をする人がたくさんいない、という点があるだろう。この辺は日本の観光客受け入れ態勢としても考えるポイントにあるような気がする。テレビの路線バスで巡る三日間の旅、みたいな番組がまさにそのままの話で、あれはお笑い話じゃなくて、官公庁は真剣に取り組むべき話なのだ。多くの民営バス会社は許認可のせいなのか、県境をまたいだ路線というのをほとんど持っていない。だからあの番組ではしばしば県境をまたぐためにとぼとぼ歩いて見せたりする。あれは実はドキュメント番組なのだよ。

 Bolzanoから180のバスに乗る。ここからはまず見事な佇まいを見せるカレッツァ湖を見に行くわけだけれど、バス停留所まできたら、先客がベンチに座っている。彼女がイタリア語で話しかけてきたから、想像で解釈すると、彼女が切符を見せてくれ、Vigo di Fassa行きで、でも実は私たちの最終目的地であるCanazeiだというのである。なかなか話が通じにくいので、タブレットの翻訳アプリを取り出して、「話して?」と言ったら「あなたを連れて行く」と言ってくれたのでグラッチェ!と返す。途中からどんどん人が乗ってきて、流石に今日は土曜日なんだなとわかる。カレッツァ湖は道路からすぐに見えるので、そこで別れた。実に美しい湖で、これは見にくるだけの価値は確かにある。道路の反対側にとても綺麗な施設ができていて、大きな駐車場、トイレ、お茶の店、おみやげ屋さんはあるけれど、コインロッカーはなかった。だから展望台から湖を一周する気にはならなかった。それにしても、多くのバイク、自転車、車がバンバンやってくる。
 一時間後のバスに乗ったものの、この180番のバスは州境のPasso di Costalungaで終わる。運転手にCanazeiへ行くんだけれど、というとかれは次のバスで、Vigo Di Fassaで乗り換えるならその先の101のバスの停留所は500mくらい離れているんだという。ありがとうと分かれるが、かれも英語がわからないので、細かいことを聞くことができない。一体全体その180番と101番はどこからどこまで並走する路線なのかがわからない。
 峠の停留所で次の180番を待っているとおじいさんとおばあさんがやってきた。この二人も全く英語は通じない。このふたりはVigo di Fassa(つまりファッサのヴィゴ)で勝手知ったると言った雰囲気で降りていった。終点じゃないかと思った停留所で降りたら、まだ乗っている客がいる。あれ?と思ったけれど、運転手にCanazei?と言ってみるとうんといった。

SBB

   スイスの鉄道、SBBのアカウントが今でも生きていた。しかも、今ではもうMobileのアプリでそのアカウントを使って、切符を買うこともできる。  たしかに便利になっているんだけれど、実は外国人向けの一ヶ月有効なHalf Fare Cardの買い方は至極面倒で、どうしてもスイス...