2015年9月29日火曜日

20150927 一日失う。

 日曜日のSeattleの朝はきりりと引き締まる良い天気です。マウント・レーニアがよく見えております。ホテルのチェックアウト時間は正午だというので、のんびりと過ごそうという算段です。午前5時半に一度目が覚め、小一時間ほどホテルのwifiを楽しんで二度寝という贅沢です。

 二度目に目が覚めたらなんともうすでに9時半近くになっています。ホテルの朝飯は10時までといっていましたから、かねての打ち合わせの通り、裏のデニーズへ赴きました。  デニーズ!なんて久し振りなんだろうか。一体内を頼めば良いんでですかねぇ。なんていっている間にペロッとメニューの裏側を見たら、そこにseniorの文字!何がシニアの意味なのかもわからないのに、よく見ると1ドルばかりやすい。これだ、これだってんで、2eggsのオムレツを頼みました。

 イングリッシュ・マフィンを半分にして、トーストしたものが付いています。果物が小さなカップに入ってきました。ぶどうが甘い!最初にメキシカンと思しきおじさんが飲み物はジュース?なんて聞くものだから、ジュースに。連れ合いはクラブハウスサンドイッチ。これで26ドルちょっと。

  今日はSeaHawksのhomeのオープニングゲームがあるそうで、デニーズの中もいかにもその手のファンばかり。デニーズに向かって歩いてくるときには前身羽で飾ったおじさんが通りかかり、そのおじさんがニコッとしたら、なんと犬歯にバンパイアのような尖った歯がはめ込んであります!唖然として見送った時にはときすでに遅く、写真を撮り忘れました。 

 SeattleからのフライトはAir Canadaのヴァンクーヴァー行きで機材はなんとDH-300。通常この機材だと機材の扉を下ろした部分が階段になっていてそこから乗りますが、今日は足の不自由なおばさんがおられるので、斜路になるゲートが横付けになっています。ここがアメリカのすごいところで、このおばさん一人のためにこの斜路が運んで来られ、二人の屈強な男性職員がやってきて、おばさんの前と後ろについて飛行機へ案内します。

  ことほど左様で、クルーズなんかでも車椅子の乗客がいるのは当たり前ですし、昨日泊まったホテルのコーテジーコールのバスも車椅子の人が乗りやすいゲートを装備しています。

  街中を走るバスも、車椅子の人がいるとステップから斜路が電動で降ろされます。そして乗客もそういう人たちが利用するのを当たり前として捉えています。日本のバスは運転手がいちいち運転席を離れて、板をセットするので、とっても時間がかかり、利用者も尻込みをしがちです。障害を持っている人の公共交通機関の利用のしやすさという点では設備も周りの乗客の考えでも、日本は先進諸国に大きく遅れていると言ってよいでしょう。その点ではオリンピックを本当にやるのであれば、その意識改革、設備改革は急務でしょうね。

  で、カナダ航空なんです。実は私はカナダ航空をこれまで依怙贔屓してきました。スタ−・アライアンスの中でUnitedはいつでも私の期待を裏切ってきていましたので、前回からカナダ航空を優先的に使ってきたのですが、今回のセルフ・チェック・インでは私のパスポートを認識しませんでした。そこで予約番号をわざわざノートを取り出してインプットしてようやく認識。するとシアトル→ヴァンクーバー(AC-8094)、ヴァンクーヴァー→オークランド(NZ-23)。オークランド→クライストチャーチ(NZ-513)の三枚のボーディングカードがヨレヨレの紙で出てきました。その次にバゲッジタグが。それをカバンにつけ。カウンターに行っておばさんに預けました。おばさんは何もいいません。ラウンジは入れるの?と聞くとハイ!と。

  ヴァンクーヴァー行きのゲート近くにあると聞いていたラウンジはUnitedのラウンジでした。じつはヴァンクーヴァー行きはモノクラス、つまりエコノミーしか設定されていません。これしか選択肢がなかったので、こうなってしまったのですが、案の定、United Loungeでは断られました。

  ゲートで私の名前を呼びます。行ってみると、バゲッジを預けた時のエビデンスがあるか?と聞きます。小さなタグを剥がしてノートに持っています。どうやらこれではなくて、通常ボーディングパスに貼られるあのエビデンスのことを言っています。私は持っていません。私の名前を呼んだお姉さんがもう一人のお姉さんに「これってどうするの?」と聞きましたが、そのお姉さん、それはそれは品のない表情をして、「知らないワヨォォ」とのたまわりました。おいおい、どうなっちゃうんだよ。「バゲッジは大丈夫なのか?」と聞くと「ふん」というだけだ。アァ、やっぱりカナダ航空もこんなモノなのねぇ・・・。
  そういえばかつてトロントの空港で自分がブックしたフライトがセルフチェックで出てこなかったという涙事件もありましたしねぇ。やっぱり北米軽飛行機会社はダメかなぁ。しょうがないのかなぁ。


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2015年9月27日日曜日

20150926 下船 Seattle

朝、午前5時半ごろに目が覚めた時にはもうすでに、船は一週間前に出発したSeattleのPier-91に着岸していました。

 Westerdamはまた今日の午後3時にはこの岸壁を離れて、遠路はるばるパナマ運河を通ってフロリダのFort Lauderdaleまで18日の航海にでます。つまり、アラスカ・クルーズは今シーズンはこれにて終了なんです。これからカリブ海クルーズが始まるのですが、なんと船会社は賢明にもただ回航しただけじゃ金になりませんからこれも商売に直結です。そのまま外側のベランダ付きに二人で乗ったら7,000ドルくらいするかもしれませんね。そりゃむりだ。

  この日の朝の予定は下船の予定だけがしっかり通知されるだけで、朝飯は一体全体いつも通りにサービスされるのか、それとも前夜に確保しておかなくちゃいけないのか、全くわかりませんでしたけれど、Dk-9のバフェレストラン、Lidoはいつも通りのサービスが行われていましたから、しっかりといつものオムレツを作ってもらいました。

  船室のベランダに出て見ていると乗組員がユニフォームのままぞろぞろと歩いてターミナルに入っていきます。何事かと思っていたら、彼らもアメリカへの入国手続きをしているわけです。

  私たちの下船は午前8時半からと通知されていましたけれど、それは私が空港へ送られるサービスを申し込んでいたからです。自分で勝手にタクシーで降りるといっておけば、多分下船は9時半ごろとなって船でゆっくりすることができたのでしょう。

 シアトルの街の見物コース付きの人たちは午前7時半に降りて行きましたが、もうその時には従業員の代表がそれぞれの部門からターミナルに立ってお客さんの見送りをしています。2000人が全員降りるまでやっているわけですから大変です。


Pier 91からSea-Tac空港まではほぼ30分です。今日一泊するホテルはCrown Plazaでダウンタウンへ行くリンクの駅の真ん前にあるので、歩いて行けないことはありません。しかし、つれあいの腰痛の様子が良くなさそうなので、駐車場ビルに渡ったところにあるホテルシャトル呼び出しで、空港のホテル出迎えバスを電話で呼んで、ホテルまで連れて行って貰いました。

 チェックインは午後3時からだというので、荷物を預けて、West Lakeまでlight railでまた出て行きます。というのは以前にバスにWest Lake Parkでイベントがある、と書かれていたからです。

なんのイベントかもわからず並んでみると、デジタル映像作家が作った暗闇の中で生きているアナログの存在である人間がデジタル環境の世界と共に成長する、というテーマみたいなんです。中に入ると真っ暗な空間にスクリーンができていて、そこに映し出される映像が確かに自分の体の動きに合わせて自在に動くというものなんです。そしてその動きのパターンが最後に自分のプロフィールの中に反映されるというわけです。こりゃ、要領を得てやらないとねぇ。

 出てきてから、何か説明があったのです。何かと思ったら、あなたのイメージを写真にして送るというのでアドレスをインプットしてくださいというのです。あとで確認したらシルエットのプロフィルが送られてきました。面白いからそれをfacebookのプロフィールにしました。


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20150925 ビクトーリア













20150924 ケチカン















20150923 シトカは心安まる

 朝一番にシトカという街に到着です。

 テンダーボートは朝7時から動くと聞いておりました。ウ〜ム気がついて右舷側のボートを見たらもう3隻がボート・ダビッドから解き放たれておりました。


幾つかのエクスカーション用のツアーボートもやってきています。私たちは事前の資料(地元の図書館から借り出した、ちょっと古い「歩き方」)によると自分で歩いてもなんちゅうことはないという読みでしたから、自力更生。

  朝8時過ぎのテンダーボートに乗るとガラガラ。ピークが過ぎているのか、僕らが早いのか?多分早いのでしょう。 岸壁に着くともう船のレセプションができていて、フォトグラファーが白頭鷲の着ぐるみと一緒に待ち構えています。岸壁にはVisitor Informationもあって(なにしろこの街はクルーズなしにはやっていけそうもありませんから)地図を配ってくれています。この地図はなにしろ最新ですから(当たり前か)とても役に立ちました。

  岸壁から海沿いに歩いてNational Historical Park visitor centerへやってくる間も、やたら写真を撮りまくります。先行していたアジア人の夫婦が「この辺でいいんじゃない?」と日本語です。オー日本の方でしたか!とお声をおかけしました。多分彼らはベンチで朝ごはんのようです。

  小さな高校の前を通り過ぎます。すると、なにやら古い木造の建物が並んだところにやってきました。こりゃなんだろうとしばし見ているとそこへおじさんがやってきたので、これはなんですか?とお伺いすると、破産するまで、ここは学校だったのだよ、今ではその建物を使って、いろいろやろうとしているんだよ、あそこはシアターになっていてね、こっちの煙突がある建物は昔の暖房用のボイラーがあったんだよ、と説明してくれます。

 クルーズできたのかね?私も一度は乗ってみたいなぁと。ありがとうございますと言って別れるとおじさんだと持っていた人のことをつれあいはおばさんだと思っていたというのです。いったいどっちなんだ?

  そのオジオバさんがおっしゃっていたその学校というのは私立のシェルダン・ジャクソン大学という小規模な長老派教会派の大学だったようですが、財政上の理由から2007年6月に経営を休止したのだそうです。


ビジターセンタの中ではトリンギットの末裔の方だという人が船の櫂を彫っておられました。ここにも何本ものトーテムポールが立っていますが、鬱蒼と茂る森の方にも何本も立っています。中にはリンギットがロシアの砦を襲った、1802年の戦いの跡地にもそれはそれは立派なものが建っています。

  そのうち、川に出会うとたくさんのカモメやカモが浮かんでいます。こりゃ餌がさぞかし豊富なんだろうなぁといっているうちに、川面の見えるところにやってきました。あれ?ひょっとしてこれは、鮭が川に上がってきているんじゃないか?と河原に降りると、辺り一面ほっちゃれの死骸です。川には小さな鮭が辺り一面を泳いでいます。産卵です。そうだ、地図によるとこの先に橋があると書いてあるぞと川上へと急ぎます。

  案の定、橋には何人も見物がいて、見下ろしています。ずいぶん小さい鮭です。橋のたもとにいたパーク・レンジャーに聞くと、「Pink Salmon」という種類だそうで、小さなタイプだそうです。レンジャーはそこでメスの鮭の腹を割いて、イクラを取り出して見せています。「イクラを食べたりしないの?」と聞くと、「中にはね」といってほとんど普通じゃないという反応です。「私たち日本人は食べるんだよ、寿司の上に乗せてね」と言いましたけれど、多分彼女にとっては(残酷なことをするわい)と思ったんじゃないでしょうかねぇ。なにしろ筋子とイクラを私たちが使い分けているということなんて知らないでしょうからね。それにしてもアトランティック・サーモンと同じように小さな、オレンジ色の卵です。

  橋の反対のたもとでは小学生の一団がレンジャーが拾ってきたサーモンの卵や川虫を天眼鏡で覗いています。自然の教育材料には事欠かないシトカの街です。

  ここにはAlaskan Raptor Centerというものがあります。Raptorというのは猛禽類のことですが、怪我をしたり、撃ち損じられたりした猛禽類を受け入れて治療をして面倒を見ているんだそうで、白頭鷲もいるし、各種梟たちも見ることができます。入場料は12ドルですが、シニア割引はありません。民間の施設なんだと思います。おじいさんが説明してくれていたのですが、どうやら猛禽類は結構長生きのようで、20年ほどは平気で生きているそうです。肩を打たれてしまっていたワシとか、眼が片方見えない梟とか、人のことが大好きな梟とか、いろいろとご案内いただきました。


街に戻ってくるとtheaterの入り口に「Show」の表示です。正午からと書いてあります。いったい、こんな平日の真昼間から一体何のショウなんだろうと思ったら、クルーズのエクスカーションで観光バスに乗った人たちを対象にしたダンスのショウで、私たちがその看板を眺めていると車でやってきたお姉さんが慌てて衣装を掴んで入っていきます。あとで見に行ったら、なんと女性ばかり6人のロシア風音楽に合わせたダンスです。何曲も踊ってくれるのですが、ほとんど同じ傾向の音楽で、数曲見て出てきちゃいましたが、ツアーご一行はいつまであれを見ていたのでしょうねぇ。


シェルダン・ジャクソン博物館に入ってみていると、面白い民族道具が並んでいます。鮭の皮で作った衣服なんて、日本の先住民族、アイヌの人たちのものにそっくりです。その中にリンギットの人たちが白人たちと交換したという品物があってその中にカリフォルニアの野村商店の「國寳」印のお米の袋があるのです。「あの米がもうその当時、この袋で売られていたのかねぇ?」とつれあいに話していたら、そこへ通りかかったアジア人のおじいさんが私をじっと見ます。あ、多分と思って「日本人の方ですか?」と声をおかけしたらやっぱり日本人。ひとりで広島から参加している男性で、帰りのテンダーボートでまた一緒になったら、今年はもうこれで3回目のクルーズだってんです。なにしろ最初のクルーズが生まれ故郷の大連へ行った昭和60年頃の日中友好船だったそうで、ことほどさようにたくさんたくさん、次から次に話が出てくるおじさんです。こりゃ付き合ったら、クルーズ自慢話がどんどん出てきそうです。

  彼がいうには、船の一番上のデッキのラウンジ、クロウズネストにはシアトル在住の日本人女性がコーディネーターとして乗っているんだそうです。船に戻って、昼飯を終わってからクロウズネスト上がってみると、話の通りに60代と思しき女性がMacBook Airを前に男性と女性の日本人乗客を相手にしていました。話の様子ではHIS系統の三社(クルーズプラネット他)以外の代理店からこの船旅を買ったお客のコンシアージのようなことをやっているそうです。私が自分で直接買ったというと、急にお相手する気を失ったようですが、なんだかこの船に乗っている日本人で私を知らない人がいるなんて、の雰囲気が出ておりました。 シアトルで宇和島屋に行ったといったら、「アァ、あれは小さな店だったんですよ」と聞いてもいないことをお話しくださいます。現地の日本人社会には昔からある反応です。
  シアトルのバスのシニアー料金は素晴らしいといったら、あれは登録してないとシニアーで乗ってはいけないんだと指摘されちゃいました。私たちは捉まっちゃいそうです。


シトカが何で有名なのかといったらアメリカがロシアからアラスカを買った時の合意文章への署名はこの地で行われたのだそうで、元はと言えばアラスカ州の州都だったそうですが、それがケチカンに移ってしまったのだそうです。なにしろロシア正教の教会もありますし、おみやげ屋さんの店頭にはマトリョーシカがずらっと並んでおります。




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20150922 Glacier Bay

 今日はこのクルーズのハイライト、Glacier Bayに船が入っていきます。

 朝、6時半に目が醒めるともうすでに船足は遅くなっていて、フィヨルドの中に入っています。寝ぼけ眼でガラス越しに外を見ていると小さな、それでも端っこそうなボートがやってきました。あれが多分船に乗り込んできて解説をしてくれるというパーク・レンジャーでしょう。

船のDeck-4の一番船首よりの扉が開いていて、日頃は立ち入りが禁止されているVow Deckが公開されています。公開されてはいますが、風上に向かって入っていくので、大変に厳しい風にさらされます。ちょっと油断していると風に飛ばされんばかりでございます。しかし、ここまでやってくるのはよほどの物好きのようで、あるいはとんでもないほどの長い交換レンズを抱えた爺さん、婆さんの写真マニアの方々でございます。

  朝飯をそそくさと済ませてブリッジ上の「Crows Nest」へ行ってみると果たせるかな女性レンジャーが三人乗り込んでいて、現在地からこれから見られる氷河についての解説、参考になる書物等を店開きしています。ずっと解説や、レクチャーが続きます。

  昼飯の頃にはもうほとんどの乗客が氷河の見えるところへやってきて、思い思いに盛り上がろうとします。これまでこんなにいると思わなかったくらいの日本人乗客も遭遇しましたけれど、日本人はあえて「日本人ですか?」とは聞かないのですねぇ。ま、人のこともいえませんが。そういうと嫌がられるような気もしますし、向こうもそう思っているのかもしれません。

  母親と娘二人、そしてそれぞれの婿さんの5人家族の旅、福岡から来たという5-6人のおばさんグループ。多分米国在住と思しき日本人のお婆さん二人組。やっぱり米国在住ではないかと思われる日本人の爺さん。若い、と言っても40代くらいではないかと思われるカップルは3カップルくらいいるようでもありますが、どうもツアー参加ではなさそうです。後からわかってきたのは、広島から参加のおじいさん一人旅、われらと同世代と思しき夫婦者数組。ちょっと若そうな夫婦組。

 考えてみるとこのクルーズはシルバー・ウィークの木曜日と金曜日を休めば、すっぽりとはまり込むという行程です。日本から全日空で初日に離日、シアトル到着、乗船、最終日下船、全日空搭乗、日曜日日本帰着というわけでそれほど休んでいることが目立たなくて済みます。なるほど!

  賑やかなのは、やっぱり中国系のグループで、どこから来られたのか、私にはさっぱりわかりませんけれど、4-5人の女性ばかりのグループは大層無邪気に盛り上がっておいでです。

  ジョンズ・ホプキンス氷河の舌端ではなかなか思ったように氷河の崩落を見ることは難しいと聞いていますが、なんと、近づいていくと、ドォ〜〜ン!という雷鳴のような音とともに氷河がパックリ割れて崩落し、ドッカァ〜ンと海に落ちました。いや、これはラッキーそのものでございます。中国系の女性グループがわぁわぁきゃぁきゃぁで参りました。

   夕食は基本ダイニングのヴィスタに行きました。美味しいビーフをいただきました。デザートはヘーゼルナッツのムース。この類は美味しうございます。


夜10時からシアターで男女それぞれ6人づつのショーダンシングチームのショウを楽しみました。いつもの司会者が今日は良い天気で良かったねぇ、ジョンズ・ホプキンスの氷河のところではキャプテンは1マイルにまで近づいてくれたんですよ。といってから「今日の夕暮れはすごかったですねぇ」とまさに私たちが言いたくなりそうなことを言ってくれました。

  このショウチームはずっと一週間乗っているのだろうか。それにしちゃ一度しかショウがないのはもったいないなぁと思ったのですが、ひょっとしたらジュノウで先に停まっていたあっちの船からやってきたんじゃないのかなぁと思ったのですが、どうでしょうか。あとになって乗客のダンスコンテストのお相手を務めておいででしたから、それからはずっと乗っていたわけです。


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20150921

 ジュノーに到着します。この日午前2時に時計を一時間遅らせて下さいという案内が出ました。それだけ西へ来たということでしょうか。北緯57度まで上がってきています。気がついたのですが、この船の中では1台だけですがwifiに24時間8ドルでつなげることができます。といってもこの最低のネットではtwitterとFBくらいしか動きません。もっとお金をたくさん出せばメールもネット漂流もやれます。ちょっとせこい商売のような気がしないでもありませんね、今時。


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20150920 あ、鯨だ! あ、虹だ!

 今日は一日船上航海中。一気に北上します。なにしろ45-6時間の間走り続けようというのですから、どれほどの距離なの?ってなものです。

  Seattleという港はかなり内海に入り組んだところにある自然の良港というやつなので、これからでるのに、スピードを上げるわけにいきません。夕食をダイニングで食べてから、風呂に入って寝てしまい、ふと気がつくと船の汽笛が間を置いて何度も鳴っています。何事ならんとベランダのガラスに手をかざしてみると、外は真っ白な霧です。こりゃ昔だったら相当に怖い。しかし、今の航海計器というものはコンピューターのおかげでびっくりするほど発達している。いくらこの船が古いといっても、その辺はかつてとは違う。
 朝早く目がさめると、プロムナードデッキの木甲板は波の飛沫でなのか、濡れている。いくらなんとも飛沫がここまで上がってくることはちょっと考えにくいので雨が降ったということだろう。一日航海日だから、外に出るといってもデッキしかないし、歩こうとすると、ぐるぐる回っている人たちは同じ人で、やたらとすれ違うのはきまりが悪い。(この時点ではジムの存在に気が付いていません。いくらなんでもジムのないクルーザーというのは考えにくいので、疑問を持っても良いのに、この時は思いが至っていません。この船のジムはDeck-9の前方にありますが、あんまり前のほうに行かなかったし、夜になると9時にはこのジムは閉まってしまうのです。下のデッキがキャビンなので、多分音の関係かと。)

  この辺は鯨が多いというし、うまくしたらまた今日も見られるかもしれないと、部屋のベランダの窓越しに陸との間を見るともなしに見ていると、あ、あらわれた!あらわれたなんてモンじゃない。船のすぐそばをまるで船から逃げるように、そんなに大きくはない、明らかに鯨の丸い胴体が泳いでいく。



  そのうちふと気がつくと、今度は海の上に大きな虹がかかりました。そりゃ確かに海の上に雨の降っているところがあるんだから、虹がたっても不思議はありません。それにしても不思議な景色。ところが洋上の虹はこんなものでは終わりませんでした。次から次に、虹が立ちます。それだけ雨雲が近づいたり、遠ざかったりしているということです。  次から次というのは虹だけではありませんでした。鯨が吹く潮も、次から次に見ることができました。さすがです、ここの鯨はたくさん生息しているんですよねぇ。

  今夜はフォーマルデーなので、メインダイニングやお高いダイニングではもっぱらみなさんフォーマルでお出ましの様子ですが、私たちが食事に出て行ったひとりエクストラ10ドルのイタ飯ダイニングはバフェの隣にあるので、せいぜいスーツくらいのおじさまがおられるくらいで、私もカーディガンで行ってしまいました。

  給仕のインドネシア人の彼がなにしろ最初からシェアを考えて注文したほうがいい、なにしろどれをどれだけ頼んでもいいわけですから、とおっしゃるので、結局ふたりで5品を注文。茄子と野菜のみじん切りのオントレー(これをバゲットの上に乗せて)、パスタは平打ち麺のクリームソースでぷりっぷりのエビ。ポークのピカタといいながらほとんどウィンナー・シュニッツエルのようにしたものを極細のパスタの上に乗せてバルサミコソースをかけたもの、野菜の千切りワインソース和え、なんてものを貪り食う。

ここで食事をしている間に、カナダの沿岸警備隊の船を見ました。停船しているのです。一体何事ならんと思ったのですが、隣のテーブルのご主人が仰るには、多分ここがカナダとアラスカ州の国境沖になるんじゃないのかと。あ、なるほど、私たちは米国から出港して米国アラスカ州を目指すのですが、その間にはカナダのBC州がありますよねぇ。

 食事中にも虹が出たり、鯨が潮を吹くのが見えたりして、隣のテーブルのご主人が「あなたたちが来てからいろいろ起きますね」とお愛想を言ってくれました。このご夫婦とはその後いろいろなところで遭遇しましたが、大変にわかりやすい英語だったのが印象的でした。

  私たちは荷物の削減のために極端に衣類を減らして出かけるので、毎晩洗濯をしています。そのためにワイヤーハンガーを各4本持ってきています。この船はファンを止めるということがどうもできないようで、常に回っていますから、洗濯物の乾きが早い!その分空気が乾燥していて喉が痛くなります。ここがちょっと欠点。やっぱり船が北上するに従って、だんだん寒くなってきます。


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2015年9月20日日曜日

20150919 Westerdamでアラスカクルーズ

 今日から一週間、生まれて初めての船の旅です。だから、多分wifiは繋がらないと思います。船といえば一週間くらい乗っていたことは45年位昔には二ヶ月に一回ほどはありましたけれど、あれは仕事で、今度は遊びです。生まれて初めて遊びでこんなに長く船に乗ります。昨日の夜から、乗り遅れたらどうしようばかり考えております。 夢にまで見たクルーズ初日。

  とはいえ、船に乗るのは午後。ホテルのチェック・アウトは正午なので、それまでホテルのすぐ裏にあるスペース・ニードル周りを散歩します。1962年にエクスポが開かれた会場の跡地です。1970年の大阪万博会場に比べたら、まぁ、よくこんなスペースでできたもんだなぁと思いますが、これでまぁ良かったんでしょうねぇ。なにしろ東京オリンピックの2年前のことですからねぇ。

  スペース・ニードルには一度も登ったことがないのですが、今や、それほど登りたいという欲望がなくなりました。45年前にも登ったことはありませんが、あの時はただただ、お金がもったいなかったからだと思います。


ここでは毎週末様々なフェスタが開かれているようで、今週末は南米Festだそうです。来週はなんだったか忘れてしまいましたが、寒くなるまで目白押しです。

  正午直前にチェック・アウトして、タクシーを呼んでもらえる?と聞いたらフロントのお兄ちゃんが、もちろん呼んでもいいんだけれど、裏に公園に来るお客目当てのタクシーがいるし、下手に呼ぶと5分も10分もかかってしまってかえって面倒かも、というので、裏に並んでいるタクシーに乗って、「ピア91に行ってくれるかなぁ、20分ほどかかるかい?」と聞いたら「いや、10分ちょっとだろう」と言います。ドライバーはアフリカ出身のようで、英語でしゃべっているのか彼らの言語で電話をしているのか、区別がつきません。結局パッセンジャー・ターミナルまでは15分ほど、メーターは9.85でしたけれど、12ドル渡しました。

  今日はプリンセス・クルーズのCrown Princessが左舷接岸でHolland AmericaのWesterdamが右舷接岸しています。もちろんCrown Princessの方が乗客数が3,000名と多いですから、そちらはもうすでにごった返しています。Westerdamは乗客数も約2,000名と少ないのですが、なにしろ本来は午後1時からのチェック・インなのに私たちは12時半にもならないうちに来てしまったので、まだまだ列は短いままです。


オンライン・チェック・インでプリントしたBoarding Passとパスポートを見せて列に並ぼうとすると、米国人、カナダ人、そしてなぜか豪州人が一方の列で、もう一方の列はその他国籍とに分かれています。その他国籍の列はほとんど人が並んでいないのに、あっちはもうすでに100人ほどが並んでいます。いかに私たちはマイノリティーなのかということがよくわかります。健康チェックシートが必要だったのですが、そんなことはつゆ知らず、チェックインカウンターで書き込むことになりました。係りのお兄ちゃんが避難訓練があるからね、と教えてくれます。

  さて、タラップを上がる前にお定まりの写真屋さんがいます。ブルーのうしろ幕の前で米加豪人に負けないようにつれあいの肩を抱いてニコッとして写りました。しかしながら私たちはいったいいつ入管を通ったのでしょう?荷物のセキュリティー・チェックも通りましたけれど、あのチェックインのお兄さんは入管も兼ねていたんでしょうか?わかりません。

  船の中でIDにもなり、クレジットカードにもなるというカードにはなぜか部屋番号が書いてない代わりに、非常時に乗る救命艇の番号が振ってあります。私たちの番号は13番。

  部屋に入って預けた荷物が配達されたのはもう船が岸壁を離れた16時過ぎのことでした。それまでの間に、上のdeck 9のバフェ・レストラン、Lidoでお昼を取ります。私の部屋から最も近いステップを上に上がるとそこがLidoでかなり便利です。
 これから先のことを考えて(というより埋め合わせのつもりで)サラダ中心のお昼にしましたが、サンドイッチ・コーナーに美味しそうなパンがあったので、そのパンだけをもらってきたのですが、これが旨い!久しぶりにちゃんとしたパンにありつけましたぞ。

  各デッキを探検して歩きましたが、そのうちに船内に放送が響き渡り、Drillつまり避難訓練が始まりました。自分のカードに書かれた救命艇の下に、ライフジャケットを持たずに集合です。まぁ、適当に集まるのかと思ったら、なんとちゃんと点呼を取ります。うちの隣の部屋も、またその隣の部屋も欠席です。といっても、まだ出航には一時間ばかりあるので、乗船していない客もいるはずでしょう。その後ようやく船が汽笛一発、ムアリングを解いて岸壁を離れたのは4時を過ぎておりました。きっちり予定通り。向かいのCrown Princessも汽笛を返しますがこれがキュゥーキュゥーみたいなデジタル的な音で、なんとも情緒がない。なんたってあんな大きな船だから、もはやそれだけでも情緒なんてものはなくて当然です。それでもやっぱり汽笛はぼぉ〜!じゃないとね。

  部屋はDeck-8でベランダ付きですが、入ってみると、いかんせんやはり船が古い。随所に古さが目に付きます。2004年イタリアはベニスの造船所の建造で、もう11年です。しかしながら、船に少なからぬ縁のあった私としてはあの巨大船よりはこっちの方がまだ許せる気がします。




  夕飯は通常ダイニングですと2シッティングでなんと前半組は17:30!入院患者じゃないんだから、そんなに早く夕飯を食えるものか!と思うのですが、後半組はなんと20:30です。こっちはこっちで如何なものかという気がします。で、私たちは結局open seatingにしてしまいました。通常のダイニングはVistaというレストランですが、時間を決めている人たちはdeck-3、私たちのようないい加減組はdeck-2のレストランということになっているようです。一番後ろの4人掛けに座りました。言語的に問題のない人たちは6人掛けや8人掛けの大きなテーブルに相席に案内されています。ここが日本人の辛いところですかねぇ。


この船のクルーはほとんどがインドネシア人ですが、レストランのサーヴィスマンはほとんど訛りがあっても英語がべらべらです。その上、私たちにはちゃんと「おいしい?」とか「こんばんは!」とか断片の日本言葉を振りまきます。  私はここでも懲りずにチャウダとローストビーフ、連れ合いはシーフード・カクテルとサーモンでした。ローストビーフは付け合わせのジャガイモがとっても旨い上にサーヴィスマンがサワークリームを持ってきてくれ、付いていたホースラディッシュも新鮮で満足。つれあいのサーモンはちょっとパサパサだったと。

  この船にはB.B.King Blues Clubというものがあって、毎晩二回演奏があるというので期待して行っちゃうんだなぁ。バンドとヴォーカルはそれ相応なんだけれど、B.B. Kingはあんまり関係なくて、ソウルそのものでがした。やれ、やれ、風呂に入って寝てしまう。


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SBB

   スイスの鉄道、SBBのアカウントが今でも生きていた。しかも、今ではもうMobileのアプリでそのアカウントを使って、切符を買うこともできる。  たしかに便利になっているんだけれど、実は外国人向けの一ヶ月有効なHalf Fare Cardの買い方は至極面倒で、どうしてもスイス...