朝飯の会場に行くと、昨日とは比べようがないくらいにたくさんの人がいます。それもいかにもこの辺らしいというか、ものすごくたくさんのマルチ民族大集合となっています。オムレツ(こんなものを注文して焼いてくれるんだとは知りませんでした)にも何人もが列をなしているし、スタッフは次から次に空になる大皿を補充しています。ひょっとすると今日はホリデイなんだろうかと検索してみますが、別になんの日でもなさそうです。不思議だなぁ。
シアトルについては全く何も知らなくて、連れ合いが今朝はパイオニアスクウェアというところに行くんだといいます。どこがそれなのかと思って、Google mapで検索したら、なんとポイントを指し示すことをしないで、地域を広域で指定しました。つまりそういう名前の一地区があるということです。その中心に公園があるんです。そこにこの地名の元になった先住民のリーダー、シアトルの像が立っています。
この辺りは昔からの地域らしくて、ここにかの有名なる「アンダーグラウンド・ツアー」の受付があります。この辺が埋められちゃった、かさ上げされた町並みだってことでしょう。やたらにホームレスの人たちが集まっているところがあったりしますが、そうかと思うと古いビルをうまい具合にリフォームして、ギャラリーや古本屋にしているところがあって、なかなか油断がなりません。
そのうちにトイレに行きたくなっちゃって、ウェスト・レイクのデパートに移動しました。こっちはまさに新しい町で、NordstromとかMacy'sがありますが、ろくにお客が入っていません。営業中なのに、平気で改装工事中でもあります。なぜか高校生年代のグループがあっちにもこっちにもいて、街中を移動しています。なにかあるの?なんだか、まるで祭日のように街中には彼らの他には爺さん婆さんか、ホームレスに近い人たちばかりです。
大体バスに乗ると、必ず一人くらいはなんだかなぁという雰囲気の人がいます。今朝だって、いつものように3番のバスに乗ってJames St.を目指したのですが、一番後ろに皮のハットをかぶって、この寒さの中(16-7℃)、黒のタンクトップの親父がわざとっぽく一人で笑い声を上げ、手にした傘で「カンカンカン」と叩きます。乗客はみんなして、彼が存在しないかのごとく話を続け、外を見、スマフォを見ています。ところがこの親父、降りる時には「Have a nice day!」といって行きました。ことほど左様で、ここには昨日の在住者の方のお話通りに、家なき子の多さが目立ちますし、みんな何かしら発信しています。
ウェスト・レイクにはあんまり用事がなさそうなので、インターナショナル・ディストリクトといわれている地区へlight railで移動します。地上へ出ると、なるほど、中華門が立っています。立っていますが、サンフランシスコや横浜、メルボルンやシドニーの中華門の様にその先にびっしりと中華やさんが立ち並んでいるのかと思ったら大間違いで、なんだか普通の郊外の町並みに唐突に門が立っているという雰囲気です。
ちょっと先に噂の宇和島屋があります。お〜!これだこれだと入ってびっくり!こりゃすごい!フードコートにはたこ焼きから、ベトナム、コリアン、チャイニーズ、タイと目白押し。そして圧巻はこのスーパーです。肉売り場を見るとなんとすき焼きビーフの薄切り、ポークのひき肉、霜降りのステーキ肉、魚売り場にはもちろんマグロの刺身の塊、野菜売り場には大根からごぼうから中華系の野菜から、何種類ものサツマイモ、玉ねぎ、じゃがいも、食べるものなら日本のものから中華系、韓国系まで。
その上、今日は入り口で兵庫食品フェアーをやっていて、東京では見たこともない食品が並んでいます。おもわず兵庫龍野のイトメンのしょうがラーメンを買ってしまいました。だって見たことないんだもの。なんでだろうと思ったら、米国人と思しき青年が日本語で「ワシントン州と兵庫県は姉妹州なんですよ」というんです。「ほぉ〜!知らなかった!で、君も兵庫県から来たの?」といったら横にいた日本人のお姉さんが笑いました。
宇和島屋がこれだけの規模でやっていけるのもそれだけ日本人がこの街には住んでいるということだろうということですが、シドニーあたりでは小さな日本食スーパーで、そのほとんどを中華スーパーに頼っていたのを思い出しました。
もちろん昼飯はここのフードコートです。中華のいわゆるおかず日本コンボで8.95ドル。もちろん二人でシェアして食べるのですが、盛ってくれたおばさんも「二人でシェアできる様にね!」と言ってこれでもかと盛り付けてくれました。ウワァ〜!すごいぞ!なぜか明らかに日本人の観光客と思しき爺さん婆さんもここでベトナムのフォーを食べていましたけれど、なんでこんなところへくるんだろうね、といって考えてみたら自分たちがまさにそのもの。
ここでもらった「シアトルandポートランド・ガイド」という冊子にこの近くにPanama Hotelという珈琲の美味しい店があると書いてあったのでそこへ。607 南メイン街。
行ってみたら、かつては確かにPanama Hotelというホテルがあって、その一階には「一番」という名前の日本食屋があった様です。1910年の開業だそうで、銭湯まであったといいます。
そのロビーがまんまカフェになっています。メニューの中には抹茶ラテなんてものまであります。珈琲がうまいだけではなくて、連れ合いが頼んだカモミール・ティーはちゃんと本物でした。そしてかつての日本人向け宿舎の名残を残しています。北米報知が1942年の3月12日に「当面休刊」を告げた新聞が印象的です。シアトルは当時、日本からの船が最初に到着する米国の港でしたから、ここに上陸した出稼ぎ者は数知れなかったことが知られています。期せずして、面白い資料をじかに見ることができました。やっぱり歩かないといけませぬ。
本日 8,927歩。
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