朝一番にシトカという街に到着です。
テンダーボートは朝7時から動くと聞いておりました。ウ〜ム気がついて右舷側のボートを見たらもう3隻がボート・ダビッドから解き放たれておりました。
幾つかのエクスカーション用のツアーボートもやってきています。私たちは事前の資料(地元の図書館から借り出した、ちょっと古い「歩き方」)によると自分で歩いてもなんちゅうことはないという読みでしたから、自力更生。
朝8時過ぎのテンダーボートに乗るとガラガラ。ピークが過ぎているのか、僕らが早いのか?多分早いのでしょう。 岸壁に着くともう船のレセプションができていて、フォトグラファーが白頭鷲の着ぐるみと一緒に待ち構えています。岸壁にはVisitor Informationもあって(なにしろこの街はクルーズなしにはやっていけそうもありませんから)地図を配ってくれています。この地図はなにしろ最新ですから(当たり前か)とても役に立ちました。
岸壁から海沿いに歩いてNational Historical Park visitor centerへやってくる間も、やたら写真を撮りまくります。先行していたアジア人の夫婦が「この辺でいいんじゃない?」と日本語です。オー日本の方でしたか!とお声をおかけしました。多分彼らはベンチで朝ごはんのようです。
小さな高校の前を通り過ぎます。すると、なにやら古い木造の建物が並んだところにやってきました。こりゃなんだろうとしばし見ているとそこへおじさんがやってきたので、これはなんですか?とお伺いすると、破産するまで、ここは学校だったのだよ、今ではその建物を使って、いろいろやろうとしているんだよ、あそこはシアターになっていてね、こっちの煙突がある建物は昔の暖房用のボイラーがあったんだよ、と説明してくれます。
クルーズできたのかね?私も一度は乗ってみたいなぁと。ありがとうございますと言って別れるとおじさんだと持っていた人のことをつれあいはおばさんだと思っていたというのです。いったいどっちなんだ?
そのオジオバさんがおっしゃっていたその学校というのは私立のシェルダン・ジャクソン大学という小規模な長老派教会派の大学だったようですが、財政上の理由から2007年6月に経営を休止したのだそうです。
ビジターセンタの中ではトリンギットの末裔の方だという人が船の櫂を彫っておられました。ここにも何本ものトーテムポールが立っていますが、鬱蒼と茂る森の方にも何本も立っています。中にはリンギットがロシアの砦を襲った、1802年の戦いの跡地にもそれはそれは立派なものが建っています。
そのうち、川に出会うとたくさんのカモメやカモが浮かんでいます。こりゃ餌がさぞかし豊富なんだろうなぁといっているうちに、川面の見えるところにやってきました。あれ?ひょっとしてこれは、鮭が川に上がってきているんじゃないか?と河原に降りると、辺り一面ほっちゃれの死骸です。川には小さな鮭が辺り一面を泳いでいます。産卵です。そうだ、地図によるとこの先に橋があると書いてあるぞと川上へと急ぎます。
案の定、橋には何人も見物がいて、見下ろしています。ずいぶん小さい鮭です。橋のたもとにいたパーク・レンジャーに聞くと、「Pink Salmon」という種類だそうで、小さなタイプだそうです。レンジャーはそこでメスの鮭の腹を割いて、イクラを取り出して見せています。「イクラを食べたりしないの?」と聞くと、「中にはね」といってほとんど普通じゃないという反応です。「私たち日本人は食べるんだよ、寿司の上に乗せてね」と言いましたけれど、多分彼女にとっては(残酷なことをするわい)と思ったんじゃないでしょうかねぇ。なにしろ筋子とイクラを私たちが使い分けているということなんて知らないでしょうからね。それにしてもアトランティック・サーモンと同じように小さな、オレンジ色の卵です。
橋の反対のたもとでは小学生の一団がレンジャーが拾ってきたサーモンの卵や川虫を天眼鏡で覗いています。自然の教育材料には事欠かないシトカの街です。
ここにはAlaskan Raptor Centerというものがあります。Raptorというのは猛禽類のことですが、怪我をしたり、撃ち損じられたりした猛禽類を受け入れて治療をして面倒を見ているんだそうで、白頭鷲もいるし、各種梟たちも見ることができます。入場料は12ドルですが、シニア割引はありません。民間の施設なんだと思います。おじいさんが説明してくれていたのですが、どうやら猛禽類は結構長生きのようで、20年ほどは平気で生きているそうです。肩を打たれてしまっていたワシとか、眼が片方見えない梟とか、人のことが大好きな梟とか、いろいろとご案内いただきました。
街に戻ってくるとtheaterの入り口に「Show」の表示です。正午からと書いてあります。いったい、こんな平日の真昼間から一体何のショウなんだろうと思ったら、クルーズのエクスカーションで観光バスに乗った人たちを対象にしたダンスのショウで、私たちがその看板を眺めていると車でやってきたお姉さんが慌てて衣装を掴んで入っていきます。あとで見に行ったら、なんと女性ばかり6人のロシア風音楽に合わせたダンスです。何曲も踊ってくれるのですが、ほとんど同じ傾向の音楽で、数曲見て出てきちゃいましたが、ツアーご一行はいつまであれを見ていたのでしょうねぇ。
シェルダン・ジャクソン博物館に入ってみていると、面白い民族道具が並んでいます。鮭の皮で作った衣服なんて、日本の先住民族、アイヌの人たちのものにそっくりです。その中にリンギットの人たちが白人たちと交換したという品物があってその中にカリフォルニアの野村商店の「國寳」印のお米の袋があるのです。「あの米がもうその当時、この袋で売られていたのかねぇ?」とつれあいに話していたら、そこへ通りかかったアジア人のおじいさんが私をじっと見ます。あ、多分と思って「日本人の方ですか?」と声をおかけしたらやっぱり日本人。ひとりで広島から参加している男性で、帰りのテンダーボートでまた一緒になったら、今年はもうこれで3回目のクルーズだってんです。なにしろ最初のクルーズが生まれ故郷の大連へ行った昭和60年頃の日中友好船だったそうで、ことほどさようにたくさんたくさん、次から次に話が出てくるおじさんです。こりゃ付き合ったら、クルーズ自慢話がどんどん出てきそうです。
彼がいうには、船の一番上のデッキのラウンジ、クロウズネストにはシアトル在住の日本人女性がコーディネーターとして乗っているんだそうです。船に戻って、昼飯を終わってからクロウズネスト上がってみると、話の通りに60代と思しき女性がMacBook Airを前に男性と女性の日本人乗客を相手にしていました。話の様子ではHIS系統の三社(クルーズプラネット他)以外の代理店からこの船旅を買ったお客のコンシアージのようなことをやっているそうです。私が自分で直接買ったというと、急にお相手する気を失ったようですが、なんだかこの船に乗っている日本人で私を知らない人がいるなんて、の雰囲気が出ておりました。 シアトルで宇和島屋に行ったといったら、「アァ、あれは小さな店だったんですよ」と聞いてもいないことをお話しくださいます。現地の日本人社会には昔からある反応です。
シアトルのバスのシニアー料金は素晴らしいといったら、あれは登録してないとシニアーで乗ってはいけないんだと指摘されちゃいました。私たちは捉まっちゃいそうです。
シトカが何で有名なのかといったらアメリカがロシアからアラスカを買った時の合意文章への署名はこの地で行われたのだそうで、元はと言えばアラスカ州の州都だったそうですが、それがケチカンに移ってしまったのだそうです。なにしろロシア正教の教会もありますし、おみやげ屋さんの店頭にはマトリョーシカがずらっと並んでおります。
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