今日から一週間、生まれて初めての船の旅です。だから、多分wifiは繋がらないと思います。船といえば一週間くらい乗っていたことは45年位昔には二ヶ月に一回ほどはありましたけれど、あれは仕事で、今度は遊びです。生まれて初めて遊びでこんなに長く船に乗ります。昨日の夜から、乗り遅れたらどうしようばかり考えております。
夢にまで見たクルーズ初日。
とはいえ、船に乗るのは午後。ホテルのチェック・アウトは正午なので、それまでホテルのすぐ裏にあるスペース・ニードル周りを散歩します。1962年にエクスポが開かれた会場の跡地です。1970年の大阪万博会場に比べたら、まぁ、よくこんなスペースでできたもんだなぁと思いますが、これでまぁ良かったんでしょうねぇ。なにしろ東京オリンピックの2年前のことですからねぇ。
スペース・ニードルには一度も登ったことがないのですが、今や、それほど登りたいという欲望がなくなりました。45年前にも登ったことはありませんが、あの時はただただ、お金がもったいなかったからだと思います。
ここでは毎週末様々なフェスタが開かれているようで、今週末は南米Festだそうです。来週はなんだったか忘れてしまいましたが、寒くなるまで目白押しです。
正午直前にチェック・アウトして、タクシーを呼んでもらえる?と聞いたらフロントのお兄ちゃんが、もちろん呼んでもいいんだけれど、裏に公園に来るお客目当てのタクシーがいるし、下手に呼ぶと5分も10分もかかってしまってかえって面倒かも、というので、裏に並んでいるタクシーに乗って、「ピア91に行ってくれるかなぁ、20分ほどかかるかい?」と聞いたら「いや、10分ちょっとだろう」と言います。ドライバーはアフリカ出身のようで、英語でしゃべっているのか彼らの言語で電話をしているのか、区別がつきません。結局パッセンジャー・ターミナルまでは15分ほど、メーターは9.85でしたけれど、12ドル渡しました。
今日はプリンセス・クルーズのCrown Princessが左舷接岸でHolland AmericaのWesterdamが右舷接岸しています。もちろんCrown Princessの方が乗客数が3,000名と多いですから、そちらはもうすでにごった返しています。Westerdamは乗客数も約2,000名と少ないのですが、なにしろ本来は午後1時からのチェック・インなのに私たちは12時半にもならないうちに来てしまったので、まだまだ列は短いままです。
オンライン・チェック・インでプリントしたBoarding Passとパスポートを見せて列に並ぼうとすると、米国人、カナダ人、そしてなぜか豪州人が一方の列で、もう一方の列はその他国籍とに分かれています。その他国籍の列はほとんど人が並んでいないのに、あっちはもうすでに100人ほどが並んでいます。いかに私たちはマイノリティーなのかということがよくわかります。健康チェックシートが必要だったのですが、そんなことはつゆ知らず、チェックインカウンターで書き込むことになりました。係りのお兄ちゃんが避難訓練があるからね、と教えてくれます。
さて、タラップを上がる前にお定まりの写真屋さんがいます。ブルーのうしろ幕の前で米加豪人に負けないようにつれあいの肩を抱いてニコッとして写りました。しかしながら私たちはいったいいつ入管を通ったのでしょう?荷物のセキュリティー・チェックも通りましたけれど、あのチェックインのお兄さんは入管も兼ねていたんでしょうか?わかりません。
船の中でIDにもなり、クレジットカードにもなるというカードにはなぜか部屋番号が書いてない代わりに、非常時に乗る救命艇の番号が振ってあります。私たちの番号は13番。
部屋に入って預けた荷物が配達されたのはもう船が岸壁を離れた16時過ぎのことでした。それまでの間に、上のdeck 9のバフェ・レストラン、Lidoでお昼を取ります。私の部屋から最も近いステップを上に上がるとそこがLidoでかなり便利です。
これから先のことを考えて(というより埋め合わせのつもりで)サラダ中心のお昼にしましたが、サンドイッチ・コーナーに美味しそうなパンがあったので、そのパンだけをもらってきたのですが、これが旨い!久しぶりにちゃんとしたパンにありつけましたぞ。
各デッキを探検して歩きましたが、そのうちに船内に放送が響き渡り、Drillつまり避難訓練が始まりました。自分のカードに書かれた救命艇の下に、ライフジャケットを持たずに集合です。まぁ、適当に集まるのかと思ったら、なんとちゃんと点呼を取ります。うちの隣の部屋も、またその隣の部屋も欠席です。といっても、まだ出航には一時間ばかりあるので、乗船していない客もいるはずでしょう。その後ようやく船が汽笛一発、ムアリングを解いて岸壁を離れたのは4時を過ぎておりました。きっちり予定通り。向かいのCrown Princessも汽笛を返しますがこれがキュゥーキュゥーみたいなデジタル的な音で、なんとも情緒がない。なんたってあんな大きな船だから、もはやそれだけでも情緒なんてものはなくて当然です。それでもやっぱり汽笛はぼぉ〜!じゃないとね。
部屋はDeck-8でベランダ付きですが、入ってみると、いかんせんやはり船が古い。随所に古さが目に付きます。2004年イタリアはベニスの造船所の建造で、もう11年です。しかしながら、船に少なからぬ縁のあった私としてはあの巨大船よりはこっちの方がまだ許せる気がします。
夕飯は通常ダイニングですと2シッティングでなんと前半組は17:30!入院患者じゃないんだから、そんなに早く夕飯を食えるものか!と思うのですが、後半組はなんと20:30です。こっちはこっちで如何なものかという気がします。で、私たちは結局open seatingにしてしまいました。通常のダイニングはVistaというレストランですが、時間を決めている人たちはdeck-3、私たちのようないい加減組はdeck-2のレストランということになっているようです。一番後ろの4人掛けに座りました。言語的に問題のない人たちは6人掛けや8人掛けの大きなテーブルに相席に案内されています。ここが日本人の辛いところですかねぇ。
この船のクルーはほとんどがインドネシア人ですが、レストランのサーヴィスマンはほとんど訛りがあっても英語がべらべらです。その上、私たちにはちゃんと「おいしい?」とか「こんばんは!」とか断片の日本言葉を振りまきます。 私はここでも懲りずにチャウダとローストビーフ、連れ合いはシーフード・カクテルとサーモンでした。ローストビーフは付け合わせのジャガイモがとっても旨い上にサーヴィスマンがサワークリームを持ってきてくれ、付いていたホースラディッシュも新鮮で満足。つれあいのサーモンはちょっとパサパサだったと。
この船にはB.B.King Blues Clubというものがあって、毎晩二回演奏があるというので期待して行っちゃうんだなぁ。バンドとヴォーカルはそれ相応なんだけれど、B.B. Kingはあんまり関係なくて、ソウルそのものでがした。やれ、やれ、風呂に入って寝てしまう。
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