2024年11月6日水曜日

2月のクルーズ

 2月16日 Auckland出発 3月2日 Sydney到着

Holland America Line M/S Westerdam

cancellation protectioon加入済


2024年10月28日月曜日

海外旅行者障害疾病保険

  旅行に出るときは怖いので保険をかける。ところが70歳をすぎると、保険会社が警戒をする。ネット上で気軽にかけられる、というのが概ねほとんどの損保の宣伝文句だけれど、70歳を超えたらネット上では受け付けないという損保が多い。しかもそれは31日以内だという。

 つまり、70歳以上の31日間を超える保険はネット上では受けない。じゃ、どうするのか。代理店を通せ、という。つまり、損保そのものはリスクを負わないということだ。下請けの代理店がそのリスクを負う、ということか。

 某損保、ありていにいうとAIG、に、じゃその代理店はどこで探すのか、と聞くと、HP上で探せという。それでも付保されるのは79歳未満までだというんだけれど、79歳以上はもう保険の対象じゃなくて知らないということなのかな?


2024年10月26日土曜日

代理店

 ノルウェーの海岸線を北のキルケネスという街まで往復する定期船が、二本走っている。一本は随分歴史のある「フッテンルーテン」という船会社で、もう一本は3-4年前にできた新進気鋭のHavila Voyageである。折角だからとHavila Voyageをブックしていたのだけれど、突然の病気疑いでその予約を棒に振った。それにこりて次はクルーズ保険をかけたいと思ったんだけれど、どうやってかけたら良いのかわからない。

某代理店に聞いたら、どうやらAIGがそんな特約を扱っているらしい。しかし、船の予約と保険の予約を別々に自分でやるのは面倒だなぁと、今度はフッテンルーテンの日本代理店に相談してみようと思った。

 フッテンルーテンのサイトには日本の代理店としていくつも名前が上がっているんだけれど、銀座に事務所があるという代理店に行ってみた。

 平日の昼日中にシーンとしていて、お客と思しき男性がひとり座っている。奥から出てきたのはおじいさんで、クルーズそのものの代理はやっていないけれど、Havila Voyageに南行の数日だけ乗るというパッケージを扱っているだけだという。

 しょうがない、次は保険会社と相談しよう。


https://www.hurtigruten.com/en





  

2024年10月22日火曜日

氷解

 2024staralliance旅行後半日程をようやく具体化に近づけることができた。

NRT - BGO - (Hurtigruten) - BGO - LAX - AKL - (HAL) - SYD - NRT

 まだフライトを抑えただけだけれど、ここにたどり着くまでに東京のstarallianceとバカバカしいようなやり取りが続いた。ようやくわかったのは、日本からメールを入れると、それはフランクフルトがとって、日本語なのでstaralliance東京にまわってくるという状態で、どうりで朝一番にはアクションがないけれど、夕方は17時には終わってしまう。

 クレジットカードの番号を変えたと伝えると、初めて電話がかかってきた。多分50代と思われる女性の声だったが、トラブルが続いたわけがようやくわかった。誠に迂闊な人である上に多分こういう仕事をするにしては地理がよくわかっていないらしいのだ。他にいくらでもこの仕事にふさわしい人がいるような気がするけどなぁ。私だったらこの歳でもまだ務まりそうだ。ひょっとすると事務所なんてものはなくて、この女性が個人で対応しているだけではないだろうか。かかってきた電話も、携帯の番号だった。

 その意を強くしたのは、最後に確認をした時に、BGOをデンマークといったときには、思わずため息が出た。気の毒だなぁ。

 日本人の紀行文に遭遇したことがないHAVILA VOYAGEに乗りたかったなぁ。

 それにしても前回のように体調で棒に振る可能性がないとは言い切れない。保険をかけよう。

 今回のNRT - BGOは結局KLMの乗り継ぎになった。恐ろしいのはAMSトランジットが僅かに1時間35分だったということだ。人間はラウンジによる余裕もなくゲートに急げばいいが(といってもSchipholの空港もバカでかい)、多分バゲッジは間に合わないだろう。それにBGO到着予定は22:50なのでホテルは空港に取り、なんだったら翌日もそのままにしておいても良いかと思う。ベルゲンの空港ホテルは、ウィーンに比べたらまだ安い。寒いし、街まで出かけてもブリケンに行くくらいではないか。NRT - BGOはデルタ航空のマイルで取った。一人80,000マイル。NRT発で最後もNRT着で安心だ。HNDへは都営浅草線で京急に乗り入れるが、大きなスーツケースを持ち込むのは大いに気が引けるからだ。その点、成田だと、スカイライナーは隔離されていて気が楽、高いけど。


  

2024年10月2日水曜日

2024年9月27日金曜日

とりあえず5月へ延期

 とりあえず延期としたが、スカンジナヴィア航空はKLM系資本となり、Star Allianceから脱退してOne World入りしたため、ルフトハンザになった。

2024年9月26日木曜日

急遽中止

 

本年後半の旅行は、諸事情により、急遽取りやめとなる。

100万円近くが戻ってこない。

2024年9月24日火曜日

Milford Sound bus tour



 どうやらトイレの付いたバスを走らせているツアー会社がありそうだ。



 

2024年9月10日火曜日

HAVILA VOYAGE

 

 ことしの後半の旅のハイライトはなんといってもノルウェー沿岸を往復するHAVILA VOYAGE12日間の旅です。

 どうぞ、オーロラが見られますように!

2024年9月3日火曜日

東信地区蕎麦めぐり

 

「信州蕎麦の草笛 小諸本店」

天ざる りんごの天ぷらあり

長和町「立岩和紙の里」
盛りとアスパラの天ぷら

御代田「浅間翁」
天ざる

御代田「地粉や」
天ざる

追分 「蕎麦処ささくら」
盛りと天丼セット

上田「蕎旬庵 くろつぼ」
盛りと夏野菜の天ぷら





2024年8月8日木曜日

ひとりでシュニッツェル


 ウィーンのOberlaaはあちこちにお店があるけれど、Neuer Markt 16, 1010 Wien, オーストリアのお店で、あんまりにも暑いので休憩に入ったら、ひとりでシュニッツェルを食べているおばあさんがいたんだよね。思わず、昔銀座の松坂屋の地下にあったとんかつの「乾山」でカツカレーを食べていたおばあさんを思い出したんだよね。
 ちなみにこのシュニッツェルはCafe Diglosで食べたもの。
それから、私はOberlaaではレモンケーキを食べたんだけれど、横浜の元町で食べたレモンパイを思い出した。



 

2024年8月4日日曜日

Zermattのユースホステルの夕飯

 一時大変に評判が悪くて、夕飯の提供をやめていたというツェルマットのユースホステルだけれど、どうやらメニューのバリエーションから見て、イタリア人じゃないかと思われるシェフを雇ったようで、一食19ユーロの夕飯は大変に評判が良い。デザートまで付いてくる。
























2024年7月25日木曜日

名は「秋人」(Akito)



ドモドッソラの駅で出会ったイタリア人の「あきと」君とお母さんです。「秋に産まれたので(あきと)という名前にしました!とお母さんがおっしゃるんです。彼がLADのキャップを被っているのは彼のイニシャルが「L.A.」だからなんだそうです。

驚きました!


 

2024年7月16日火曜日

2024.07.15. あぁ、びっくりした

 ミラノを離れて、一路チューリッヒを目指します。テレイタリアとSBBの共同運行便で車輌はSBBなので、とても綺麗。残念ながら男子トイレが匂うのには閉口。途中から隣の席に座った若い男が、スマホでオンラインでポーカーをやっており、なんだ、こいつ、と思っていたら、ベリンツォーナで降りる時に、すっと向かいの座席に置いてあった私のデイパックに手を伸ばした!反射的につれあいがそれを抑えたら諦めたのか、そのまま出て行った。今回の旅でこんなやつを見たのは初めてだ。さすがイタリアだよなぁ、とかいっちまった。

 チューリッヒの駅で迎えに来てくれた姪っ子とその娘のバレリーナとしばし歓談す。女子のバレリーナは目指す人がたくさんいてなかなかチャンスが回ってこないと言うけれど、諦めずに頑張れ!と励ます。爺さんの励ましじゃ、役に立たんかも知れないけれど。

 また午後になると37度の熱が出る。








2024年7月13日土曜日

スイスからイタリアへ

 


 ドモドッソラの駅 ノヴァッラへ行く列車は2番ホームの先端から出るんだというんで、荷物をゴロゴロして珍しく動いている1番ホームのエレベーターで下に降りたら・・なんと2番線ホームに上るエレベーターが動いていない。イタリアだから、まともに動いている方が珍しいと諦める。
 ところが一向に電車の扉があかない。そのうちに係員と思しき兄ちゃんが降りてきて、「この電車はキャンセルになりました。1時間後に1番ホームから次の電車が出ます」という。この旅にはつきもののトラブルで、こうなると驚かなくなる。






 六月の豪雨でタッシュからヴィスプの間は電車が運行できず、代替のバスで繋いでいるのだけれど、その仕切りはあれだけの谷間のクネクネ道を立派に支障なく処理しているのは見事という他ない。なにしろ、スイスの中でも稼ぎの高い方なので、この時期に閉鎖したら大変なことになる。

 ツェルマットからミラノへ移動する。ブリッグの駅では、むかいのホームにドモドッソーラ行きが停まっていて、予定の一本前に乗ることができた。切符はBrigまでしか買っていないが切符売り場まで買っていたら電車が出てしまうかもしれない。駅にいた鉄道の係員に聞いてみると、10フラン余計に払えば電車の中でも買えるよと。えぇい、とそのまま乗る。しかし、誰も検札に来なかった。つまり、この区間、ただで乗ってしまった。非常に順調。

 ところがドモドッソーラから先は波瀾万丈だった。まず乗り継ぎのバスを選択しようとすると、そのバスにはトイレがついていない。年寄りに2時間のバス旅行はちょっとキツい。それではと電車で遠回りをするルートを選ぶ。これがすべての始まり。

 まず、ノッヴァーラ行きの電車がどうやら二両編成が故障らしく、運休してしまう。1時間後に他の編成を持ってきて、これで押すことになる。走り出してみると、この電車がギンギンの冷房。寒くて寒くて。ようやくこれがノッヴァーラに到着してみると、接続するミラノ行きは出たばかり。次は1時間後。結局待ち時間を入れて全部で9時間を要する。
 発熱からようやく回復したばかりの身にとっては辛く、長い一日だった。



2024年7月9日火曜日

2024.07.08 月曜日

 もうこれ以上ないというくらいの上天気になった。朝のうちは雲も出ていたんだけれど、スネガのトンネル・ケーブルカーで上がって、外へ出てみると、なんと雲ひとつない上天気である。気分は最高潮である。左から見渡すとゴルナグラートの天体望遠鏡のようなドームも見えるし、あっちの山、こっちの山も全部見える。もちろん主人公も見える。

 すれ違った人にあれはゴルナグラートだよね?あれはあれだよね?と聞いた。最後に彼があれは知っているかとマッターホルンを、ふざけて聞いたから、なんだろう?といってみんなで笑う、それくらい良い天気だった。

 しかし、下りはきつかった。細い道をジグザグに下り続けるのはとにかく辛い。






2024年7月8日月曜日

2024.07.07 G to Z

 





 Zermattへ移動する。
とても面倒。
Interlarken OSTから三回ほど乗り換えてVispに到着するが、ここから先タウシェという駅までは電車が土砂崩れで普通になっていて、バスで振り返る。そこから先はまた電車。それでもこれだけの観光客をどんどん受け入れていかないと、Zermattの街は干上がってしまう。

 日本との災害に対するする対応の点でもスイスははるかに凌駕しているけれど、それはやっぱり政治の性根とでもいったら良いのだろうか。
東京都の小池百合子のお粗末さがよくわかる。

 昨日の急さ坂道くだりが響いて股関節が痛い。


2024年7月7日日曜日

2024.07.06 午後雨

 天気予報が午後になると雨が降るぞと言っていたんだが、ほぼその通りになった。

 それでフィルストのゴンドラをBoldで降りて下ってくることにした。同じゴンドラで一緒になったのは生後一年にも満たない子供を抱えた肝っ玉かあさんとその友人だった。友人の方がなんだかんだ言っているうちに今年日本に行ったことが判明。どこへ行ったの?と聞くと岐阜だという。なんだ、それと思ったら、案の定高山、白川郷だった。もう一つこんなところも行ったと見せられた写真が、なんと上高地だった。君、それ日本人のバス










ツアーと一緒だよ。三人とも上高地が出てこなくて、三人が同時に「カミコウチィィィ!」と叫ぶ。盛り上がる。

 くだり一方で、楽なもんだよと思っていたら、最初の頃はともかく、途中からとんでもない斜度で降る状況で、足腰痛くて、途中から投げ出したくなる。2時間近くかけて写真をポツポツ撮りながらようやく降りてくる。くだり一方だといってもポールは重要で、一本でもいいからお持ちなさいとお勧めしたい。

 スイスのサッカーはPK戦でイングランドに負ける。

 昨日の電車の中で「UTMB」のTシャツを着ているおじさんがいて、



2月のクルーズ

  2月16日 Auckland出発 3月2日 Sydney到着 Holland America Line M/S Westerdam cancellation protectioon加入済