2024年7月9日火曜日

2024.07.08 月曜日

 もうこれ以上ないというくらいの上天気になった。朝のうちは雲も出ていたんだけれど、スネガのトンネル・ケーブルカーで上がって、外へ出てみると、なんと雲ひとつない上天気である。気分は最高潮である。左から見渡すとゴルナグラートの天体望遠鏡のようなドームも見えるし、あっちの山、こっちの山も全部見える。もちろん主人公も見える。

 すれ違った人にあれはゴルナグラートだよね?あれはあれだよね?と聞いた。最後に彼があれは知っているかとマッターホルンを、ふざけて聞いたから、なんだろう?といってみんなで笑う、それくらい良い天気だった。

 しかし、下りはきつかった。細い道をジグザグに下り続けるのはとにかく辛い。






2024年7月8日月曜日

2024.07.07 G to Z

 





 Zermattへ移動する。
とても面倒。
Interlarken OSTから三回ほど乗り換えてVispに到着するが、ここから先タウシェという駅までは電車が土砂崩れで普通になっていて、バスで振り返る。そこから先はまた電車。それでもこれだけの観光客をどんどん受け入れていかないと、Zermattの街は干上がってしまう。

 日本との災害に対するする対応の点でもスイスははるかに凌駕しているけれど、それはやっぱり政治の性根とでもいったら良いのだろうか。
東京都の小池百合子のお粗末さがよくわかる。

 昨日の急さ坂道くだりが響いて股関節が痛い。


2024年7月7日日曜日

2024.07.06 午後雨

 天気予報が午後になると雨が降るぞと言っていたんだが、ほぼその通りになった。

 それでフィルストのゴンドラをBoldで降りて下ってくることにした。同じゴンドラで一緒になったのは生後一年にも満たない子供を抱えた肝っ玉かあさんとその友人だった。友人の方がなんだかんだ言っているうちに今年日本に行ったことが判明。どこへ行ったの?と聞くと岐阜だという。なんだ、それと思ったら、案の定高山、白川郷だった。もう一つこんなところも行ったと見せられた写真が、なんと上高地だった。君、それ日本人のバス










ツアーと一緒だよ。三人とも上高地が出てこなくて、三人が同時に「カミコウチィィィ!」と叫ぶ。盛り上がる。

 くだり一方で、楽なもんだよと思っていたら、最初の頃はともかく、途中からとんでもない斜度で降る状況で、足腰痛くて、途中から投げ出したくなる。2時間近くかけて写真をポツポツ撮りながらようやく降りてくる。くだり一方だといってもポールは重要で、一本でもいいからお持ちなさいとお勧めしたい。

 スイスのサッカーはPK戦でイングランドに負ける。

 昨日の電車の中で「UTMB」のTシャツを着ているおじさんがいて、



2024年7月6日土曜日

2024.07.05 6年ぶりに

アルメントフーベルへ久しぶりに上がった。

Murrenの駅もそうだけれど、軒並み駅はとても綺麗になった。驚くほどだ。スイスはどこもかしこもどんどん金をかけている。物価が安いからお客が来るんじゃなくて、これでもか、これでもかと新しい施設をどんどん増やしていく。行っても行っても追いつきそうにない。

 久しぶりのアルメントフーベルは変わっていなかった。人は数えるほどしかやってこない。しかし、牛さんたちは相変わらずだったし、小さな花たちも相変わらずだった。変わったのは体力の衰えた私たちだった。







 


2024年7月5日金曜日

2024.07.04 Grindelwald

 ドピーカンである

家族経営のホテルといえば聞こえは良いけれど、メリットは安いだけ。オウナーは基本的に客を信じない。その上、言葉はドイツ語しか通じない。とてもスイスの超有名観光地のホテルとは思えない。どおりで今や貧乏人に成り下がった日本人ばかりの利用客だ。









2024年7月4日木曜日

2024.07.03

 






 二人とも咳がまだ止まらずとてもまともじゃないので近辺の散歩だけでやめておく。
とにかく上りは苦しくてとても動けないので、降ったばかりいるうちに谷底へやってきてしまって、どうしようかと思っているところにバスが来て助かる。

向かいの部屋と隣に日本人の二人組が二組入って居た。
ドイツ語しか通じない宿なのに、どうしてかというと、古くてガタガタの宿で安いからだ。

2024年7月3日水曜日

20240702 チューリッヒからグリンデルバルド

 何年かぶりに10番のトラムでチューリッヒへ出てきたら、なんと大学がある山の上から降りてくるのだった。チュウリッヒの中央駅は相変わらず堂々としている。大きな案内板を見ると私が買った1102発のインターラーケンオスト行きは31番ホームから出ると書いてる。

どこかと見渡すと案内看板は地下へ降りろと書いてあるけれど、こんなところに昔は折口なんてなかったような気がする。降りて見ると、プラットホームは昔からのもので、新たにバリアフリーの下り口を作ったと見える。大きな外人が「Sorry, I can not speak Japanese !」と東洋人老夫婦に云っている。と言うことはその老夫婦は日本人だと言うことになる。確かめに近寄ってみると、いや、奥さんは中国人みたいだよなぁ。

 それでもと思って話かけてみると、日本人だった。それも80歳を超えて初めてスイスに来たという。なんで、と思ったら、かつて見たシャモニーのモンブランの青と白が忘れられないのでそれを楽しみに冥土の土産とやってきたというんだよね。とても話好きなおじいさんで隣のボックスに座ると、ほぼインターラーケンオスト・オストまで喋りっぱなしだった。7日間のスイスパスを買ってきたそうだ。

 グリンデルバルドについてみると、それまで人組にも出会わなかった日本人にはどんどんデックわすが韓国人、中国人の数は恐ろしいほどだ。以前の倍はいるだろう。

その上相変わらずインド系がいるのでごった返している。


 久しぶりにやってくると概ね大きく変わっているのは自動販売機の類で、チューリッヒのトラムのそれは実にわかりにくい。ゾーン制であるにも関わらず、それぞれが外国人には全く理解できない。その上どの時点で決済するのかが画面に表示されない。クレジットカードを読ませる小さなモニターも同時に見ていなくてはならない。空港の自販機の前では各国からやってきた外国人同士であぁでもないこうでもないと相談し合っている。

グリンデルバルドのHotel Bel-Air Edenが何と閉店

グリンデルワルドの鉄道駅のすぐ裏の道沿いにあった床が斜めになっていたあのホテル。格安で便利だった、あのホテル。英語がろくすっぽ通じない家族経営だったあのホテル。  ふと気がつくと、こんなことが書かれている。  Dear guests, We would like to infor...