旅を終えて帰ってくるとがっくりくるのがたまりに溜まっている郵便物の類いでございますねぇ。もはやかなりの社会的活動から身を引いてしまっておりますので、大した中身ではないのですが、クレジットカードの請求、各種会費の請求なんかの他に、今は集合住宅の自治会の連絡が重要な時期を迎えております。
そんななかにクレジットカード会社から親展と赤い印判が押された封筒が来ていました。おや、一体何だろうかと開けてみまするというと、利用実績で本人のものかどうか確認を必要とするものがあるので至急連絡をして欲しい、電話したけれど、でないようなので、書面にした、早急に連絡して欲しいというんです。
えぇ〜っ!?こんな文面貰ったことがないよ。そもそもこの文書は本物か、フィッシングじゃないのかと眉に唾を致します。だって、担当部署が「オーソリ課」なんて書いてあるんですぞ?なんだ、それ!一日二日連絡することを逡巡しましたよ。それにしても気になるので、取りあえず電話してみました。
すると、「戴いた電話では料金がかさんでしまいますからこちらからかけ直す」というのです。ん?トレースされないようにしているんじゃないのか?
通販サイトで21万2875円の買い物がでているが、これは本人の買い物かというのです。そんなサイト知らないぞ。それはいつなのかと聞いて、合点がいく。その頃、私はクレジットカードを出したら、declineされたことがある。そこからそのカードが受け付けられなくなって、もう一枚の方を使い出していた。枠を使い切ったのかもしれないが、それにしてはそんなに使った覚えがないなぁと話していたところだった。
再発行されることになり、それには二週間かかるといい、このカードは廃棄するので番号が変わるというのである。それは実は結構困ることなのだ。なんでかというと通販で登録してあるサイトはほとんどそのカードになっている。そういうポイントでは全部やり直すことになるというわけだ。
新しいカードが果たして本当に発行されるだろうか。
2015年10月20日火曜日
2015年10月12日月曜日
20151012 帰国
いよいよ帰国です。今回は全部で37日間でした。前半が約50日でしたから合計すると90日弱ということになりますか。これでしばらく旅行はお預けになりそうですが、いつの日か、再開したいなという希望を持ち続けていこうと思います。
朝6時15分にシャトルを頼んでおいたのですが、06:20に車が現れ、お、すごいな、キィウィも捨てたもんじゃないな、こんなにパンクチャルなのか!と感動しかかったら、なんということはない、彼は空港からの客を送ってきたのです。おいおい、俺たちを乗せて行けよと言ったら、5分待ってくれ、もう一人送ってくるからというのです。
そりゃもちろん彼らの「5分」を信じるわけはないのですが、いいよと送り出しました。そこから、ぜんぜん現れてきません。そうだろうよ。
受付の若者が心配してくれて、もう一回電話しようと言ってくれました。そこへ車が現れ、勇躍乗り込むと、つまらなさそうなおっさんが一人。おはようと言ってもつまらなさそう。次のホテルに行くと、誰も出てこない。ジャってんで次のホテルで中国人の女性が二人。ニコニコとおはよう!と。次のホテルで新婚さんと思しき二人。サァ、空港へ!と思ったら、さっきの誰も乗ってこないホテルにまた戻った!なんだ、このやろう!いけしゃぁしゃぁと乗ってきた二人は挨拶すらしません。こいつらのおかげで時間を棒に振ったという自覚すらない。
結局市内を出発したのは私がアポイントした時間の一時間後でございます。ま、こんなもんでございましょう。
チェックインはごった返しております。早朝の到着便が多いというのが豪州東海岸、NZの常でございます。したがって、出発便も9時前後に集中するのでございましょうか。
ここのイミグレーションでは未だに出国カードへの記載を要求します。セキュリティーはそれほどではございませんが、私、またボディー・チェックを受けました。毎回必ずこうなる私は体の中になにか入っているんでしょうか。まさか。鉄分が多いとか?あはは!
朝早かったので、お腹ぺこぺこでございます。
Air New Zealandは大好きです。今日は787-900です。全身真っ黒の機材かと期待していたのですが、下半身だけ黒くペイントされた機体でした。しかし、これもまた新しい機材で気持ちが良いです。Air Canadaと大違いです。NZ99便はANAとのコードシェア便だということで日本人のベテランCAの方が乗っておられましたけれど、どうも雰囲気が元全日空という雰囲気がします。移籍ですかね?
飛行時間は実質10時間半くらいです。昼間のフライトですから、寝る必要がないわけで、必死のパッチで映画を5本見ました。収穫大であります。
1- ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンを描いた「Love & Mercy」
2- 「Me, Early and the dying girl」
3- 「Aunt Man」
4- 「Infinitely Polar Bear」
5- 「Aloha」
東京成田到着16:40分。京成スカイライナーで、帰宅が18時。今年の旅行はこれで終わりです。
朝6時15分にシャトルを頼んでおいたのですが、06:20に車が現れ、お、すごいな、キィウィも捨てたもんじゃないな、こんなにパンクチャルなのか!と感動しかかったら、なんということはない、彼は空港からの客を送ってきたのです。おいおい、俺たちを乗せて行けよと言ったら、5分待ってくれ、もう一人送ってくるからというのです。
そりゃもちろん彼らの「5分」を信じるわけはないのですが、いいよと送り出しました。そこから、ぜんぜん現れてきません。そうだろうよ。
受付の若者が心配してくれて、もう一回電話しようと言ってくれました。そこへ車が現れ、勇躍乗り込むと、つまらなさそうなおっさんが一人。おはようと言ってもつまらなさそう。次のホテルに行くと、誰も出てこない。ジャってんで次のホテルで中国人の女性が二人。ニコニコとおはよう!と。次のホテルで新婚さんと思しき二人。サァ、空港へ!と思ったら、さっきの誰も乗ってこないホテルにまた戻った!なんだ、このやろう!いけしゃぁしゃぁと乗ってきた二人は挨拶すらしません。こいつらのおかげで時間を棒に振ったという自覚すらない。
結局市内を出発したのは私がアポイントした時間の一時間後でございます。ま、こんなもんでございましょう。
チェックインはごった返しております。早朝の到着便が多いというのが豪州東海岸、NZの常でございます。したがって、出発便も9時前後に集中するのでございましょうか。
ここのイミグレーションでは未だに出国カードへの記載を要求します。セキュリティーはそれほどではございませんが、私、またボディー・チェックを受けました。毎回必ずこうなる私は体の中になにか入っているんでしょうか。まさか。鉄分が多いとか?あはは!
朝早かったので、お腹ぺこぺこでございます。
Air New Zealandは大好きです。今日は787-900です。全身真っ黒の機材かと期待していたのですが、下半身だけ黒くペイントされた機体でした。しかし、これもまた新しい機材で気持ちが良いです。Air Canadaと大違いです。NZ99便はANAとのコードシェア便だということで日本人のベテランCAの方が乗っておられましたけれど、どうも雰囲気が元全日空という雰囲気がします。移籍ですかね?
飛行時間は実質10時間半くらいです。昼間のフライトですから、寝る必要がないわけで、必死のパッチで映画を5本見ました。収穫大であります。
1- ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンを描いた「Love & Mercy」
2- 「Me, Early and the dying girl」
3- 「Aunt Man」
4- 「Infinitely Polar Bear」
5- 「Aloha」
東京成田到着16:40分。京成スカイライナーで、帰宅が18時。今年の旅行はこれで終わりです。
2015年10月11日日曜日
20151011 最終日
今年の旅行も今日で、終わりです。今年の旅行のテーマは「氷河」だったのですが、その点では最後の旅行地、ニュー・ジーランドでは思いがけずに大迫力でした。
前半は氷河そのものを楽しむという点ではそれほどのこともなかったのですが、氷河から流れ出る何本もの川を見ることができました。
後半は船やヘリコプターのような乗り物の力を借りて氷河を見ることができました。つまり、もうこの地球上の氷河はどんどん後退していて、そうでもしないと見ることができなくなっているということの証でもありますね。
さて最終日の今日は、昨日パンフレットを入手したArt Festivalを見に行こうかと思っていたのですが、1日乗車券を買おうとすると、AT HOP CARD(SUICAみたいなもの)を買わなくてはならず、そのミニマムの5ドルを入れると一人21ドルにもなるというので、断念。とりあえず、CITY LINKのバスに1ドルで乗って、南の方へ行こうとしたら、このバスがフィッシュマーケットの方にまず行ったんです。そして、ドライバーが何を思ったか「フィッシュ・マーケットへ行くんだったらここだよ」というんです。お〜、そりゃ渡りに船と、降りました。時間はまだ10時そこそこ。
この界隈は再開発区域で、元は本当に港そのものだったようです。その開発計画のプレゼンをコンテナを使ってやっていました。そこで見せてもらっていたら係りのおばさんがつれあいにどこから来たのかと聞き、日本だと言ったら「ラグビーに勝ったわね!」といわれたと。オージー、キーウィーが入っているから、かなり親しみをもって語ってくれます。
このフィッシュ・マーケットですが、もちろん日曜日でお休みです。ちゃんとオークション・ルームもあります。
シドニーのフィッシュ・マーケットに比べたらまったく話にならない規模ですが、魚を売っているお店があります。そしてその横にはテーブルがありますから、食べることができそうです。
ひとあたりあたりを楽しんで帰ってくると、ようやく正午前になったので、そのテーブルの最初のお客になってランチを食べました。ほとんどのお客はここではなくて、そのまた海寄りにある、かなり洒落た方の店にワンワンと入っています。
私は魚介のフェティチーノを注文しました。入っていたのはムール貝、白身魚、名前を知らない二枚貝、エビ、というところですが、このトマトソースが魚介のダシで美味しくなっていて、その上チーズをまぶしてあるので、たっぷりと濃厚なスープになっていました。21ドルもしましたから旨くないわけがない。それでもこれは合格でしょう。不思議なのはここで働いている男性連中がほとんどインド・パキスタン系統の人たちです。
今度はCITY LINKに乗って南の丘の上に上がります。そこから緑のINTER LINKに乗ってNEW MARKETを目指します。どうも映画館で面白そうな映画の上映会があるというのです。トイレを借りようとウェスト・フィールド(ショッピング・センター)に入ると、つれあいが眠い、というのです。気絶しそうに眠いと。ベンチに座って、しばらく休んでいるうちに映画の上映時間が過ぎてしまいました。どうも二人とも結構疲れてきているらしくて、思いもよらない時に眠気の襲撃を受けます。
ではと、またINTER LINKに乗ってParnelへ向かいます。日曜日はお店が開いてないか、早く閉まるかなので、いってもしょうがないよと云うのですが、前回もあそこを歩いて面白かったから行こうよというわけです。Aucklandへ戻ってくることも、もうないだろうと思うので、それじゃ、といってきました。案の定、お店はほとんど開いていません。開いているのは食べ物屋さんだけ。それでも藤の花が満開です。
一昨年来た時には全くなかった帽子屋さんができています。ありゃ!こりゃ惜しいことをしたなぁ。こんなことならもっと早く来ておけば良かったと、残念無念。Goorin Bro.の帽子箱まで飾っていますから、センスとしてはなかなかなんじゃないかと。最後の寄港地だったんだから、持って帰るタイミングとしてはベストだったはずだしねぇ。惜しいことをしました。
前半は氷河そのものを楽しむという点ではそれほどのこともなかったのですが、氷河から流れ出る何本もの川を見ることができました。
後半は船やヘリコプターのような乗り物の力を借りて氷河を見ることができました。つまり、もうこの地球上の氷河はどんどん後退していて、そうでもしないと見ることができなくなっているということの証でもありますね。
さて最終日の今日は、昨日パンフレットを入手したArt Festivalを見に行こうかと思っていたのですが、1日乗車券を買おうとすると、AT HOP CARD(SUICAみたいなもの)を買わなくてはならず、そのミニマムの5ドルを入れると一人21ドルにもなるというので、断念。とりあえず、CITY LINKのバスに1ドルで乗って、南の方へ行こうとしたら、このバスがフィッシュマーケットの方にまず行ったんです。そして、ドライバーが何を思ったか「フィッシュ・マーケットへ行くんだったらここだよ」というんです。お〜、そりゃ渡りに船と、降りました。時間はまだ10時そこそこ。
この界隈は再開発区域で、元は本当に港そのものだったようです。その開発計画のプレゼンをコンテナを使ってやっていました。そこで見せてもらっていたら係りのおばさんがつれあいにどこから来たのかと聞き、日本だと言ったら「ラグビーに勝ったわね!」といわれたと。オージー、キーウィーが入っているから、かなり親しみをもって語ってくれます。
このフィッシュ・マーケットですが、もちろん日曜日でお休みです。ちゃんとオークション・ルームもあります。
シドニーのフィッシュ・マーケットに比べたらまったく話にならない規模ですが、魚を売っているお店があります。そしてその横にはテーブルがありますから、食べることができそうです。
ひとあたりあたりを楽しんで帰ってくると、ようやく正午前になったので、そのテーブルの最初のお客になってランチを食べました。ほとんどのお客はここではなくて、そのまた海寄りにある、かなり洒落た方の店にワンワンと入っています。
私は魚介のフェティチーノを注文しました。入っていたのはムール貝、白身魚、名前を知らない二枚貝、エビ、というところですが、このトマトソースが魚介のダシで美味しくなっていて、その上チーズをまぶしてあるので、たっぷりと濃厚なスープになっていました。21ドルもしましたから旨くないわけがない。それでもこれは合格でしょう。不思議なのはここで働いている男性連中がほとんどインド・パキスタン系統の人たちです。
今度はCITY LINKに乗って南の丘の上に上がります。そこから緑のINTER LINKに乗ってNEW MARKETを目指します。どうも映画館で面白そうな映画の上映会があるというのです。トイレを借りようとウェスト・フィールド(ショッピング・センター)に入ると、つれあいが眠い、というのです。気絶しそうに眠いと。ベンチに座って、しばらく休んでいるうちに映画の上映時間が過ぎてしまいました。どうも二人とも結構疲れてきているらしくて、思いもよらない時に眠気の襲撃を受けます。
ではと、またINTER LINKに乗ってParnelへ向かいます。日曜日はお店が開いてないか、早く閉まるかなので、いってもしょうがないよと云うのですが、前回もあそこを歩いて面白かったから行こうよというわけです。Aucklandへ戻ってくることも、もうないだろうと思うので、それじゃ、といってきました。案の定、お店はほとんど開いていません。開いているのは食べ物屋さんだけ。それでも藤の花が満開です。
一昨年来た時には全くなかった帽子屋さんができています。ありゃ!こりゃ惜しいことをしたなぁ。こんなことならもっと早く来ておけば良かったと、残念無念。Goorin Bro.の帽子箱まで飾っていますから、センスとしてはなかなかなんじゃないかと。最後の寄港地だったんだから、持って帰るタイミングとしてはベストだったはずだしねぇ。惜しいことをしました。
2015年10月10日土曜日
20151010 ホビット村
Lord of the Ringという映画は長い映画ですよねぇ。なにしろ三部作の一作目は劇場公開版でも178分。これ、スペシャル・エクステンデッド・エディション(SEE)だと208分にもなります。二作目も劇場公開版は179分で、SEEは223分。三作目に至っては劇場公開版201分で、SEEは250分にも及びます。年寄りが劇場に足を運ばないのはここに要因がありそうです。ホビットだと一作目「思いがけない冒険」は169分、SEEが182分。二作目「竜に奪われた王国」は161分、EE版が186分。三作目、「決戦のゆくえ」が145分でEE版が164分。全部統合すると劇場版は1,093分、SEEは1,213分という膨大な長さに及びます。
原作は1973年に81歳で亡くなった英国人のJ・R・R・トールキンです。しかし、これを映画にしたのはNZのウェリントン出身の脚本家で映画監督のPeter Robert Jacksonです。Jacksonがホビットが出て住んでいるとするホビットの村を撮影するのに際して探しに探したロケ地がオークランドから車で二時間ほどガンガン飛ばして到達するMatamataという街の郊外の羊の放牧地だったのだそうです。その撮影地がそのまま残してあって、入場料を取って、ガイドがついて見物することができます。
私たちはオークランドのインフォメーションで申し込みました。朝のピックアップは6時半です。すぐ近所のホテルで香港から1996年に豪州へ一家で移民したという女性、高級ホテルでミルフォードサウンドで道路閉鎖で必死のパッチで脱出してきたアメリカ人夫婦、メルキュールで昨日やってきたオレゴンから来たおばあさんの5人一行で出発。
香港から来たお嬢さんは高校生時代に豪州へ来たと言っていましたけれど、香港返還を期に移民してきたんでしょうねぇ。彼女はロード・オブ・ザ・リングの大ファンだそうで、ワクワクするといっていましたが、私はテレビで通り一遍、見ただけです。なんせ、長くて暗くて、すぐ飽きちゃう。
それにしても映画界はスター・ウォーズにしてもそうですけれど、こうしたシリーズものばっかりになってきてませんか。キャラクター作りから何からゼロからやるのに比べたら、業界としては安定した客が望めるでしょうから、しょうがないっちゃしょうがないのでしょう。
全くの民間の牧場だったところです。今でも周りは牧場です。小高い丘の上から見たら周りは全部牧場です。Mata Mataの街からだって15kmくらいあります。もうくねくねがんがん走ったので、自分たちがどこにいるのか、まったくわからなくなっちゃいます。
1999年に作ったロケ地だそうですが、実際には撮影が終わって撤収したというのです。そのあとに観光施設として復旧したのだそうです。そういえば南島のツアー中にガイドのAlexにこの6本の映画で全部でどれほどの収益になったの?と聞いている人がいましたが、私には彼の答えを聞き取る能力はありませんでしたねぇ。
自分たちの車で入っていったら混乱しますから、駐車場で降りて、このグリーンのバスに乗り換えます。そこからもうすでにガイドの女性が乗ってきています。こんな施設ですから、このガイドの人は生声で説明をします。30人くらいの人間に聞こえるように話すわけですから、かなり大変そうです。私たちが二つ目の集団のようで、私たちの前には日本人ばかりの集団がいて、専門の通訳がついています。わがつれあい、時々先行グループに近寄っていって説明を日本語で聞いています。アハハ!
最後に池の畔に作られた村の施設へ行って、一杯の飲み物が振る舞われます。勿論クッキーなんかを買うことだってできます。トイレもそれ風にしてあって、入っていくと、わざわざご丁寧にトイレの写真をお撮りのおじさんまでいるします。
全部の見物が終わって戻ってきたところで、運転手兼ガイドのショーンも一緒にランチンします。お仕着せメニューですが、野菜サラダ、ペンネ、茹で芋が結構美味しくて、おかわりをしました。一人で来られたお婆さんが18年来のベジタリアンなんだそうで、彼女だけ、野菜だけ、つまりチーズなんかの入らないペンネを食べておいででした。
帰りにTip Topというアイスクリームを売っている店に立ち寄って、シングル2.50ドルというアイスクリーム(ホーキーポーキを選びました!)を買ってびっくり!ワンスクープじゃねぇのね!コテコテにのっけてあるのよ。二人で一個で十分なのさ。
帰りにはドライバーでガイドのショーンにいって、街の真ん中辺にあるMercureのところで降ろして貰いました。Countdownという(多分、豪州のWoolworthのNZ版)スーパーに行きます。ここの前には確実にいえなき子の人がいますが、今日座っていたのは若い女性で、なんと手元にハツカネズミのようなネズミを二匹抱えています。どうしちゃったというのでしょうねぇ。
で、安かったグリーンアスパラを買いました。普通のホテルに泊まっていたら、絶対に手を出すことができませんけれど、YHAですからキッチンがあるわけで、ちょちょいのちょいと茹でられますからね。そろそろ持ち運んでいる食材をやっつけなくてはなりません。
AucklandのCBDではこれが多分メイン・ストリートのQueen Streetを登っていくと後ろからシュプレヒコールが聞こえます。なんだろうと振り返ると、難民を受け入れよう・デモです。そういえば日本政府は「難民受け入れの前にやらなきゃならんことがある」といって顰蹙を買っていましたねぇ。なんでそんなことを知っているのかといったら、毎晩podcastで日本のニュースを聞いているからなんですね。
原作は1973年に81歳で亡くなった英国人のJ・R・R・トールキンです。しかし、これを映画にしたのはNZのウェリントン出身の脚本家で映画監督のPeter Robert Jacksonです。Jacksonがホビットが出て住んでいるとするホビットの村を撮影するのに際して探しに探したロケ地がオークランドから車で二時間ほどガンガン飛ばして到達するMatamataという街の郊外の羊の放牧地だったのだそうです。その撮影地がそのまま残してあって、入場料を取って、ガイドがついて見物することができます。
私たちはオークランドのインフォメーションで申し込みました。朝のピックアップは6時半です。すぐ近所のホテルで香港から1996年に豪州へ一家で移民したという女性、高級ホテルでミルフォードサウンドで道路閉鎖で必死のパッチで脱出してきたアメリカ人夫婦、メルキュールで昨日やってきたオレゴンから来たおばあさんの5人一行で出発。
香港から来たお嬢さんは高校生時代に豪州へ来たと言っていましたけれど、香港返還を期に移民してきたんでしょうねぇ。彼女はロード・オブ・ザ・リングの大ファンだそうで、ワクワクするといっていましたが、私はテレビで通り一遍、見ただけです。なんせ、長くて暗くて、すぐ飽きちゃう。
それにしても映画界はスター・ウォーズにしてもそうですけれど、こうしたシリーズものばっかりになってきてませんか。キャラクター作りから何からゼロからやるのに比べたら、業界としては安定した客が望めるでしょうから、しょうがないっちゃしょうがないのでしょう。
全くの民間の牧場だったところです。今でも周りは牧場です。小高い丘の上から見たら周りは全部牧場です。Mata Mataの街からだって15kmくらいあります。もうくねくねがんがん走ったので、自分たちがどこにいるのか、まったくわからなくなっちゃいます。
1999年に作ったロケ地だそうですが、実際には撮影が終わって撤収したというのです。そのあとに観光施設として復旧したのだそうです。そういえば南島のツアー中にガイドのAlexにこの6本の映画で全部でどれほどの収益になったの?と聞いている人がいましたが、私には彼の答えを聞き取る能力はありませんでしたねぇ。
自分たちの車で入っていったら混乱しますから、駐車場で降りて、このグリーンのバスに乗り換えます。そこからもうすでにガイドの女性が乗ってきています。こんな施設ですから、このガイドの人は生声で説明をします。30人くらいの人間に聞こえるように話すわけですから、かなり大変そうです。私たちが二つ目の集団のようで、私たちの前には日本人ばかりの集団がいて、専門の通訳がついています。わがつれあい、時々先行グループに近寄っていって説明を日本語で聞いています。アハハ!
最後に池の畔に作られた村の施設へ行って、一杯の飲み物が振る舞われます。勿論クッキーなんかを買うことだってできます。トイレもそれ風にしてあって、入っていくと、わざわざご丁寧にトイレの写真をお撮りのおじさんまでいるします。
全部の見物が終わって戻ってきたところで、運転手兼ガイドのショーンも一緒にランチンします。お仕着せメニューですが、野菜サラダ、ペンネ、茹で芋が結構美味しくて、おかわりをしました。一人で来られたお婆さんが18年来のベジタリアンなんだそうで、彼女だけ、野菜だけ、つまりチーズなんかの入らないペンネを食べておいででした。
帰りにTip Topというアイスクリームを売っている店に立ち寄って、シングル2.50ドルというアイスクリーム(ホーキーポーキを選びました!)を買ってびっくり!ワンスクープじゃねぇのね!コテコテにのっけてあるのよ。二人で一個で十分なのさ。
帰りにはドライバーでガイドのショーンにいって、街の真ん中辺にあるMercureのところで降ろして貰いました。Countdownという(多分、豪州のWoolworthのNZ版)スーパーに行きます。ここの前には確実にいえなき子の人がいますが、今日座っていたのは若い女性で、なんと手元にハツカネズミのようなネズミを二匹抱えています。どうしちゃったというのでしょうねぇ。
で、安かったグリーンアスパラを買いました。普通のホテルに泊まっていたら、絶対に手を出すことができませんけれど、YHAですからキッチンがあるわけで、ちょちょいのちょいと茹でられますからね。そろそろ持ち運んでいる食材をやっつけなくてはなりません。
AucklandのCBDではこれが多分メイン・ストリートのQueen Streetを登っていくと後ろからシュプレヒコールが聞こえます。なんだろうと振り返ると、難民を受け入れよう・デモです。そういえば日本政府は「難民受け入れの前にやらなきゃならんことがある」といって顰蹙を買っていましたねぇ。なんでそんなことを知っているのかといったら、毎晩podcastで日本のニュースを聞いているからなんですね。
2015年10月9日金曜日
20151009 マウント・イーデン
久しぶりに朝ゆっくりと起きました。いやぁ、なにしろここのところ毎朝平均6時半起き、早い時は5時半起床でした。今日は気がついたら7時になっていました。いや、ゆっくりでした。昨日スーパーで買ったパンとハム、レタスで朝飯を済ませ、のんびりとアルバート・パークへ降りて行きました。この辺りは大学に囲まれています。だから、学生が行ったり来たり。公園の中ではおばあさんが日向ぼっこをしています。
なかなか目的のArt Galleryが見つからなくて、というよりも見つける気持ちがあんまりなくて、うろうろしているうちに見つけてしまいました。なるほど、新館と地図に書いてあるだけあって、驚くような建物です。その上驚いたのはエントランスの吹き抜けホールに入ると上の階の手すりにキンキラキンの衣装を着た女性が大きな声で叫ぶんです。すると下にいる女性が何か語るんです。よくわかりません。後で分かったのは午後1時からのパフォーマンスのリハーサルでした。
ここのショップに置いてあるものはどれもこれもセンスが良くて、みんな欲しくなってしまいます。金さえあればねぇ。結局いつものようにエコバッグを買って顰蹙を買いました。でも、これもいいセンスですよ。
前回オークランドへ来た時に、見晴らしが良くてよく知られているマウント・イーデンの頂上に上がる道がよくわからなくて、上に上がるのを断念したという思いがございます。あれからそろそろ丸二年。
再挑戦で、イーデンの商店街にOutlinkの黄色いバスに乗って4.50ドルを払ってやってきました。とりあえず前回食べてとても美味しいコーヒーとパンを出すカフェに、ランチにやってきました。リーベン・サンドイッチをトーストしてもらい、これを半分にしてもらって二人でシェア。フラットホワイトとカモミール・ティーでいただきました。高いけれどうまい。出ようとしている時に、東洋人の女性が二人入ってきて、私の眼の前で注文。これが日本人。「ここのパンは美味しいですよねぇ」と言ったら現住の方で、「はい」って。「二年前に食べて美味しいからまた来ました」と言ってしまいました。いやらしい爺だこと。
教えてもらったように、ぐるぐるっと回っている道を上がりました。そうそう、その前にある家の前を通りかかると、突然耳元で「ミヤァ」と猫がなくや否や私の足元に飛び降りました。まぁ、ふさふさな毛の大きなでっぷり猫です。それがまた、どうしたんだというくらいなついてきます。「お前、何か食い物持ってんだろ?」という眼で。そうです、私はさっきのパン屋さんで一つパンを買ってきました。でも君にはやらないよ。だって僕が気に入っているパンダからね。なんたってこのパンは2013年にawardを貰ったぱんだから。
マウント・イーデンに上がってみると、お〜、やっぱりこれは火山だったのだ!頂上から見ると、あそこにもここにも火山だったと思しき丘が見えます。オークランドってかつては火山だらけだったのだ!そのためではないだろうけれど、向こうの方に見えている丘から煙が上がっています。何事?それにしても、ヤケに騒々しい山頂です。若い20人ほどのグループがいて、ワンワンうるさい、うるさい。随分多国籍で、中には日本語も聞こえてきます。
黄色のバスに乗ってオークランド博物館に到着。あと40分しかない。すると入り口の女性がもう無料でいいですよと言ってくれる。その上、なんと日本語の案内まであります。
中身としては私にとって興味が持てるのはやっぱりマオリに関するものだけでしょうか。
5時の閉館とともにここを出て、今度は緑色のバスに乗って帰ります。中で寝てしまっていったいどこにいるんだろう状態でしたけれど、このバスは人の乗り降りが大変に激しいバスです。Queen Streetの上でバスを降りて、ゆるゆると下がってきます。
宿舎のユース・ホステルのすぐそばに、昨日見ていた洋風レストランがあります。あえて洋風と書くのには訳があって、この周りは中華、韓国、あるいは偽日本レストランばかりなのですが、ここだけは別なんです。外から見たら赤と白のチェックのテーブルクロスですから、てっきりイタリア料理かと思ったら、なんとフレンチです。フレンチといってもカフェ料理といったほうがいいでしょうか。ホールの係の男性も、女性も、二人ともたっぷりフランス語訛りの英語です。お客さんの中にはフランス語で注文している人もいます。頼んだのは魚のスープといわゆるチキンとビーフの煮込みです。これができが良くて、最高。値段も最高。賑わっています。
宿舎のユース・ホステルのすぐそばに、昨日見ていた洋風レストランがあります。あえて洋風と書くのには訳があって、この周りは中華、韓国、あるいは偽日本レストランばかりなのですが、ここだけは別なんです。外から見たら赤と白のチェックのテーブルクロスですから、てっきりイタリア料理かと思ったら、なんとフレンチです。フレンチといってもカフェ料理といったほうがいいでしょうか。ホールの係の男性も、女性も、二人ともたっぷりフランス語訛りの英語です。お客さんの中にはフランス語で注文している人もいます。頼んだのは魚のスープといわゆるチキンとビーフの煮込みです。これができが良くて、最高。値段も最高。賑わっています。
今日は14,000歩。
2015年10月8日木曜日
20151008 オークランドへ
朝、7時半にバスツアーの一行はわれわれ8人ほどがここまでで降りて、残りの26人ほどで300kmほどを走ってピクトンからフェリーに乗り、北島に向かうんだそうです。運転手兼ガイドのアレックスは本日の行程を終えるとクライストチャーチにとんぼ返りで次の仕事に入るのだそうです。よく働く。そうそう、そういえば昨日同じGrand Pacific Tours社の新鋭超豪華バスに遭遇しました。右左各一列に超豪華シートが置かれたたった20席のバスです。ほとんどの人が「あれじゃずっと寝るね」と表現。すっぱい葡萄状態で、日頃自分がいかにバスの中で寝ているか、ということを露呈しました。
彼らを見送った後、私たち、午前中のフライトに乗って移動する7人が8時半出発の送迎バスでクライストチャーチ空港へ移動。オークランドからロス・エンジェリス経由でトロントへ帰るおばさん、オークランドの娘のところへ向かう夫婦、オークランドの自宅へ帰る夫婦、そして私たちです。
オークランドに到着した時にはすでに13時半を過ぎていて、腹ペコ。Airport Busの5番で1-Dで降車。このバスもやっぱり次がどこの停留所かもわからないし、なかなか気を抜けませぬ。
近くにやってきて思い出しました。そうそう、Mayers Parkという公園があるところです。実はこの辺のQueen Street界隈は軒並み中国食堂、韓国食堂、偽物の日本食屋ばかりになっています。しかし、実はこの中に未だポツンと洋式の(ここはいったいどこなんだよ!?)食堂が残っています。こういうのを見るとホッとします。なにしろこの界隈ではこの種のものを食べようとするといったいどこに行ったらいいのか、全く見当がつかないのです。
前回も泊まったYHA International Aucklandに宿をとりました。実にロクでもない宿舎なんですが、なぜか安心感があるというようなよくわからんホステルです。ガキどもがうるさいし、wifiも安定しないし、冷蔵庫に入れておいたらものがなくなったりなんですが、前回なんとなく安心したのです。大体、街の中心まで行くのに坂道をデレデレと30分ばかりかかるというどうしようもない環境です。しかも、一昨年にはたった50セントだったcity linkというバスが今年はアッと驚く1ドルに上がっております。
乗り物大好き爺さんとしてはこれはショック。電車、バス、フェリーに一日乗り放題で16ドルという切符があって、一日乗り続けたいなと思うのですが、そういう点には全く関心のない人たちにとっては何のためにそんなに金をかけなくてはならないんだと思うようです。わかっちゃねぇなぁ。
ユースホステルの夕飯どきは面白いですなぁ。青年が思いっきり食べているのはなんだろうと思ったらマカロニ満載にケチャップです。青年時代はいいなぁ。
彼らを見送った後、私たち、午前中のフライトに乗って移動する7人が8時半出発の送迎バスでクライストチャーチ空港へ移動。オークランドからロス・エンジェリス経由でトロントへ帰るおばさん、オークランドの娘のところへ向かう夫婦、オークランドの自宅へ帰る夫婦、そして私たちです。
オークランドに到着した時にはすでに13時半を過ぎていて、腹ペコ。Airport Busの5番で1-Dで降車。このバスもやっぱり次がどこの停留所かもわからないし、なかなか気を抜けませぬ。
近くにやってきて思い出しました。そうそう、Mayers Parkという公園があるところです。実はこの辺のQueen Street界隈は軒並み中国食堂、韓国食堂、偽物の日本食屋ばかりになっています。しかし、実はこの中に未だポツンと洋式の(ここはいったいどこなんだよ!?)食堂が残っています。こういうのを見るとホッとします。なにしろこの界隈ではこの種のものを食べようとするといったいどこに行ったらいいのか、全く見当がつかないのです。
前回も泊まったYHA International Aucklandに宿をとりました。実にロクでもない宿舎なんですが、なぜか安心感があるというようなよくわからんホステルです。ガキどもがうるさいし、wifiも安定しないし、冷蔵庫に入れておいたらものがなくなったりなんですが、前回なんとなく安心したのです。大体、街の中心まで行くのに坂道をデレデレと30分ばかりかかるというどうしようもない環境です。しかも、一昨年にはたった50セントだったcity linkというバスが今年はアッと驚く1ドルに上がっております。
乗り物大好き爺さんとしてはこれはショック。電車、バス、フェリーに一日乗り放題で16ドルという切符があって、一日乗り続けたいなと思うのですが、そういう点には全く関心のない人たちにとっては何のためにそんなに金をかけなくてはならないんだと思うようです。わかっちゃねぇなぁ。
ユースホステルの夕飯どきは面白いですなぁ。青年が思いっきり食べているのはなんだろうと思ったらマカロニ満載にケチャップです。青年時代はいいなぁ。
2015年10月7日水曜日
20151007 フランツ・ヨーゼフ
事前に私たちは一人一人体重を測られます。盗み見ていると私の名前の横に62kgと書いております。そんなはずはない!なんせ家にいる時は64kgあたりを上下しているというのに、こんなに好き放題にバフェの飯をがぼがぼと食っていたというのに減少しているはずがありませぬ。こんな計測で大丈夫なんですかね?
いよいよ乗り込むことになったらパイロットが自分で、君がこっちであんたはあっちと割り振ります。なにしろ男性二人に女性が四人という組み合わせだったので、男性二人は行きも帰りも後ろの席です。行きも帰りもと書きましたけれど、氷河の上を飛んで万年雪の上に着陸したのです。
これには大感動でございますが、なんとこのパイロット、デジカメで我々を撮影したと思ったら、ヘリの後部で何やらこちょこちょとやっていて、あっという間にこれをプリントして、綺麗なカタログに挟んで20ドルで売りました。うまい!流石に買ってしまいました。
それから今度はまた飛び上がり、またもう一つのFox氷河を見て戻ってくるというフライトでした。こんな経験はこれまでなかったわけで、ものすごく感動してしまいました。今まで、こんなことをする連中はスノッビィーな奴で嫌な奴だと思っていたわけです。私たちがヘリ飛行から帰ってきてから、何人もの人が私に「どうだったの、ヘリは!?」と聞いてくれるんですが、私がそっち側だったら決してそんなことは聞かなかっただろうという人間なんでございますよ。その私がですね、こんなに有頂天になるとは実に予想外でございましたよ。
何度も何度も足跡を雪の上に残し、それを写真に撮影しました。
ところでこの氷河の名前はなんとフランツ・ヨーゼフ氷河と呼ぶのでございますよ。フランツ・ヨーゼフといえばあのハプスブルグ家の最後の皇帝にしてエリザベートの夫であったあのフランツ・ヨーゼフ以外に考えられないではありませんか。しかし、何故にこのニュー・ジーランドに彼の名前をつけるに至ったのでございましょうや?
ウィッキペディアによると、ドイツ人の探検家、Julius von Haastが1865年にそう名付けたのだと書いてあります。マオリの言葉ではKa Roimata o Hinehukatere、つまり「ヘネルカテレの涙」という名前が付いていたのだそうです。勝手に名前を変えちゃった、という点ではほとんど日本の北海道みたいなものでしょうか。
ぐったりとして寝ている間にバスはHOKITIKAに到着。昼飯と相成りました。さて、もうランチのメニューとしては材料が出し尽くしてしまいましたので、思案投げ首。結局、ちゃんと食べていないフィッシュ&チップスということにしました。ブルー・コッドとフィッシュバーガーを頼んでみました。すると、ブルーコッドは輪切りのタラをそのまんま揚げたもの。塩を振ってもらいましたが、私の好みとしてはタルタルでいただきたかったですなぁ。もう一つのフィッシュバーガーですが、何の魚かわからないのですが、その揚げたものがビーツやレタス、トマトなんかとタルタルでバンズに挟まっているという私好みのものでございました。たまに食うと、この種のものはうまい。しかし、あとあとまで揚げ物のゲップが出てきてしまうのには閉口するわけです。
ここからバスはArthurs Pathという峠にかかります。どんどん上がっていくのです。このあたりの景色はもう驚くべき景色であって、どこにもこんな景色は見させてもらったことがありません。
そしてここから私たちはKIWI Railに乗って一気にクライストチャーチへ向かいます。全く期待していなかったのですが、この列車が素晴らしい鉄道で、豪州人のマルコムが継ぎ目の衝撃を感じないこの線路のメンテもすごいけれど、車両もすごいと関心していました。彼は現役時代に仕事で東京から大阪に新幹線にも乗っているというのですが、その彼も感心していたくらい。車両もスイスの花形列車、氷河鉄道に勝るとも劣らない。横を流れる氷河から流れ出たワイマカリリ河がとても素晴らしい景観を作っています。
2015年10月5日月曜日
20151005 クイーンズタウン
今日は1日フリータイム、つうことでございます。ゆっくり寝ているつもりだったのですが、毎日6時に起こされていると目が覚めてしまいます。それでもゆっくりと7時半ごろ食事に行ったのですが、みなさんお出ましがなかなかで、食事を終えて8時過ぎに部屋へ向かうと何人かに遭遇。「Early riser!」といわれます。これって、「早起きだね!」ってことでしょうねぇ。
終日フリータイムですが、夕方はみんなで湖水を走る1912年建造のスティームボートに乗ってBBQへ行くことになっています。
その前に私たちは昼飯付きでゴンドラに乗って山の上に上がることになっています。11時15分だと聞いていたので、ホテルの前で迎えを待っていたのですが、何も起きません。あ、これはきっと自分たちでその時間にゴンドラに行けという意味なんだと気がついたときは11時半のバスの時間。慌ててバスに乗ってSKYLINEの乗り場へ急ぎました。到着したのはお昼ちょっと前。列に並ぶ直前に中国(多分台湾?)観光団の「萬國旅行社」のバスが来るのが見えたのが走り込みました。レセプションのお姉さんにGrand Pacific TourのAlexの名前で昼飯付きで申し込んであると説明。すると彼女はこれをうまく発見。連れ合いが見つけたキューポンを出して、これが適用されるか?と聞いたらこれも大丈夫。このランチなるものがかなりレベルの高いもので、海鮮ものを久しぶりにバフェで見ることができました。お皿に食べ物を載せていると、目の前に若い若い、もはや孫年代の日本人女性が三人いて、思わず声をかけると福岡の観光系の学校で学んでいて、Queenstownで半年間研修しているんだというのだ。今時の若い子たちは恵まれているなぁ。しかしながらお客さんの半分以上はもちろん世界各地からの中国系のお客さんばかりで、会話のほとんどは中国語。
ここのゴンドラは日本のスキー場にありそうな4人乗りのもので、スイスにあるような何十人もいっぺんに乗れるものとは異なるところが意外だったと言っている人たちもいましたね。このゴンドラに若い子供たちがMTBを乗っけて上がってきます。ここにはMTBのダウンヒルコースがあるのだそうで、シーズン開幕だとあちこちに書いてあります。見ている目の前で何人もがMTBにまたがってビュンビュンと降りていきます。
上にはバンジージャンプのプラットフォームがあるかと思うと、二人乗りのリフトがかかっていてブレーキ付きのリュージュ・ダウンヒルが楽しめます。
夕方は17時過ぎにみんながホテル前に集合。バスに乗って桟橋に赴き、なんとタイタニックと同じ年に建造されたという石炭焚きの船に乗って対岸へ渡ります。もう100年以上経っている船ですが、なにしろ航行しているのが湖ということもあって、長持ちしています。ダニーデンの造船所で建造したという銘板がついています。一度あっちで建造し、これをバラしてもう一度この湖の何処かにあるという船台で組み立て直したと説明されています。今だったらなんということもなさそうですが、当時、よくやったなぁということと、船体はともかくエンジンがよく保っているものだと感心します。今でも本当に石炭をたいて動いています。
20151004 ミルフォードサウンド中止
確かに昨日の夕暮れ時になんだか変だなと思わなかったわけではありません。土ボタルを見に行く船がやってくるのを待っている間に、ヴィジターセンターの係員の女性がミルフォードサウンドへ通じる道路が雪崩で「CLOSED」だという掲示を貼っていたのです。その時は気にも留めなかったのです。
ところが今朝、集合時間になっても運転手&ガイドのアレックスがなかなかロビーにやってこなくて出発が遅れていて、どうしたんだろうと思っていたら、彼は道路の様子を伺いに行っていたのでした。
結局一本道は開通する見込みなく、今回はミルフォードサウンドを諦めることになりました。いつか、これをリベンジすることができるのでしょうか。
ところで今朝未明から英国ではラグビーのW杯で外国人(外国生まれの帰化選手を含む)大活躍の日本チームがサモアと試合をしました。テレビでは見ることができませんでした。朝ホテルの朝食のところで、中国人観光客のドライヴァーが私に「日本?」と聞くのです。そうだと言ったら「さっきサモア戦をテレビでやっていたよ」というのです。あ、そうだと朝飯終わってからネットで見ると、なんとサモアに26 - 5で勝っています。後でかの運転手君に「日本が勝ったぞ!」というと目を丸くしていました。目を丸くしているのは君だけじゃない。僕らもびっくりだ。
けっきょくミルフォードサウンドへは行けなかったので、のんびり今日の宿泊予定地、Queenstownへ向かうことになりました。しかし、それにしても朝早く出発してきてしまいましたから、時間が余っています。途中のとても小さな田舎町、KingstonのカフェでSKY.TVが映っているのを見つけて、ここで大休止となりました。なぜかというとまさに豪州対イングランドの試合の生中継中であったのです。
結果として豪州がイングランドを破り、とうとうイングランドは一次リーグで敗退が決定してしまいました。この旅で最初の晩に同じテーブルで食事をしたブリスベンから来ている70歳のフランシスが「イングランドがアウトで、日本がインだって!」と驚きに耐えないという表情でした。
Queenstownに行く前に、そこを通り過ぎて、先にArrowtownへ行って昼食ということになりました。雨の中、まるでTasmaniaのRichmondにでも行ったかのごとき、ちいさな観光の街です。元はと言えばここも金鉱の街だったようです。ちょっと洒落たカフェでチキンサンドとスープのランチをとりましたけれど、なんとこの辺の物価は馬鹿にならない金額です。つくづく日本の物価は安くてくらしやすいことがわかります。
2015年10月3日土曜日
20151003
ダニーデンからテアナウへ
6時半から朝飯をといわれたってすぐさま食べられないんだけれど、中国人の観光団がどかんとやってきたので、時間を早めるということになりました。
Otago半島にあるお城の見学にやってきたました。お城といっても1800年代後半に豪州のジーロングからやってきた大金持ちが建てたもので、それが売り出された後、これを1970年代に購入した一家が四散していた内装品も集めて復旧し、今や観光施設として公開しているものであります。当時の個人の建物としてはなかなか洒落たもので、これは一見の価値があると思います。
何よりも素晴らしいのはこのお城が立っているこの丘のてっぺんからの周囲に広がる景色でございましょう。しかも、朝一番、まったく文句の言いようのない好天に恵まれたこの条件では素晴らしいものがあります。
朝が早かった分、きょうはモーニング・ティーがございます。と思ったら多分これは夕食が遅くなるからでございます。
途中で面白かったのはClintonという街からGoreという街までの40数キロの道の入り口に建てられた「Presidential Highway」という看板です。もちろんアメリカのクリントンとゴアのことにこじつけたものです。
昼ごはんはそのGoreという街でということになりました。街の入り口に大きなブラウントラウトのモニュメントが立っています。チキンサンドイッチとフラットホワイトコーヒーを注文。このコーヒーが飲めるだけでも幸せ。
6時半から朝飯をといわれたってすぐさま食べられないんだけれど、中国人の観光団がどかんとやってきたので、時間を早めるということになりました。
Otago半島にあるお城の見学にやってきたました。お城といっても1800年代後半に豪州のジーロングからやってきた大金持ちが建てたもので、それが売り出された後、これを1970年代に購入した一家が四散していた内装品も集めて復旧し、今や観光施設として公開しているものであります。当時の個人の建物としてはなかなか洒落たもので、これは一見の価値があると思います。
何よりも素晴らしいのはこのお城が立っているこの丘のてっぺんからの周囲に広がる景色でございましょう。しかも、朝一番、まったく文句の言いようのない好天に恵まれたこの条件では素晴らしいものがあります。
朝が早かった分、きょうはモーニング・ティーがございます。と思ったら多分これは夕食が遅くなるからでございます。
途中で面白かったのはClintonという街からGoreという街までの40数キロの道の入り口に建てられた「Presidential Highway」という看板です。もちろんアメリカのクリントンとゴアのことにこじつけたものです。
昼ごはんはそのGoreという街でということになりました。街の入り口に大きなブラウントラウトのモニュメントが立っています。チキンサンドイッチとフラットホワイトコーヒーを注文。このコーヒーが飲めるだけでも幸せ。
2015年10月2日金曜日
20151002 ダニーデン
起床時間はなんと6時です。日本のバスツアーよりも強行軍です。7時に荷物を出して朝食。なぁにちょっとくらい早くたっていいだろうと10分前にダイニングに行ったら、案の定もうすでに何人か食べている。毎朝同じようなメニューでは飽きるねといったら、何いってんだ、うちにいたって毎朝同じようなものを食べているじゃないかってんですな。なるほど、おっしゃる通りでございますな。
このバスはてんでんばらばらに番号を振ってございます。一体どういうことかと思ったら、昨日座った座席についていた番号の次の番号を探して座れってんです。探し出したら、3列ほど後ろの席でございます。明日はどっと前の方に動く様子でこれは困ります。なにしろ眠れなくなっちまいます。というのはいくら前の晩に寝ても、ドライヴァー&ガイドのAlexの英語を聞いていると、あたかもお経を聞いているようで自然に寝入ってしまうのでございます。こんなに英語がわからんものだとは思いませんでした。
Oamaruというなんだか「お余り」のような名前の街で休憩ということになりました。一時間です。こんな田舎町で一時間なんかどうするんだと思っていたら、なんとこの街はアンティークというか、古い町並みそのものが売りのようで、それこそ東欧の街が社会主義のおかげで昔のまま残っていたのが功を奏して観光地になったようです。街のインフォメーションのトイレの前でバスを降りると、そこが古いラジオなんかを積み上げている家です。へぇ、と思いながら入っていったら、本当にコミュニティFM局で、おじさんがヘッドセットをかけて喋っております!
裏の道へ入ってみると、倉庫をそのまま使った昔の衣装で写真を撮る店やら、これでどうだと言わんばかりの骨董品(と言ってもまだガラクタの部類に属するものが大半)の店なんてのが軒を連ねていて、とても一時間では楽しむことができないことがわかりました。 もうこの街は海に面していて高台へ上がってみるとそれはそれは素晴らしい景色が広がっておりました。今日はとても穏やかな海ですが、この海は外海に面していて、まさに太平洋。この東は南米になるというわけです。それにしても海の色がエメラルド色です。
小一時間突っ走っていよいよダニーデンに到着です。ガイドブックにも書いてありましたけれど、この街には長さ161.2mながらなんと47.22mあがっているという恐ろしい斜度の坂道があります。まぁ、サンフランシスコあたりにあってもおかしくはなさそうな斜度。これを見に参りますと、私達の他はもう全員が中国観光団でございます。中国様様は、わが日本国だけではないわけで、こちらもそうとうな「様様」でございます。この坂道はBaldwin Streetと申しますが、この街の要人だった人の名前が付いているんだそうです。わが観光団の人たちが「上がろう!」というわけがございません。
Settlers Museumすなわち入植者博物館でひとまず解散となります。とにかく4時にここへ来ればバスが日ホテルに連れて行ってくれるということだけを確認して、街へくりだします。その前に昼飯だというので、博物館のカフェでサンドイッチとかぼちゃカレースープで腹を満たして、St. Paul’sの教会、プレスビテリアンのファースト教会、美術館、その辺りを巡っているうちに4時に近くなってしまいます。
今日のホテルはメルキュールですが、ここの係りのお姉さんたちの話も全く理解できません。今日は「ハギス・セレモニー」のデモがあります。昼から三人のボランティアを募っておりました。このホテルはwifiに関してはからっきしケチくさくて、無料で繋がるのはたった一時間だけ。その後は二時間5ドル。その後はといえば12時間15ドルだとか言っています。 ホテルのおばさんが夕食は7時だと言っていたのですが、ドライヴァー&ガイドのアレックスは6時から酒が飲めるとか言っていたなぁと思ったのですが、酒は飲まないからと6時50分頃にダイニングへ行ってみると誰もいない。他の団体だけだ。あれ?という顔をしたら、係りのお姉さんがOast Hallでどうのこうのというわけです。あれま!連れて行ってもらうと、これはどうやらEastのことのようで、今やみんなが椅子に座り、ボランティアの三人がスコットランド衣装が描かれた前掛けをつけてバグパイプと本チャンの格好をしたおじさんに挟まれております。
このおじさんがこれまた全くのスコッティッシュ訛りで全く理解不能!まさに言葉の通じないところに来たという雰囲気そのものです。「ハギス」ってのは羊の内臓を腸詰にしたものだそうで、いって見れば「レバー・ペースト」です。私は羊が苦手な上に、ホルモン系はダメだし、その上ペースト大っ嫌いですから、当然無理! それよりもボランティアに手を挙げた一番のひょうきんおじいさんの演技が最高におかしくて、言葉がわからなくてもそれで大笑いをしました。
このバスはてんでんばらばらに番号を振ってございます。一体どういうことかと思ったら、昨日座った座席についていた番号の次の番号を探して座れってんです。探し出したら、3列ほど後ろの席でございます。明日はどっと前の方に動く様子でこれは困ります。なにしろ眠れなくなっちまいます。というのはいくら前の晩に寝ても、ドライヴァー&ガイドのAlexの英語を聞いていると、あたかもお経を聞いているようで自然に寝入ってしまうのでございます。こんなに英語がわからんものだとは思いませんでした。
Oamaruというなんだか「お余り」のような名前の街で休憩ということになりました。一時間です。こんな田舎町で一時間なんかどうするんだと思っていたら、なんとこの街はアンティークというか、古い町並みそのものが売りのようで、それこそ東欧の街が社会主義のおかげで昔のまま残っていたのが功を奏して観光地になったようです。街のインフォメーションのトイレの前でバスを降りると、そこが古いラジオなんかを積み上げている家です。へぇ、と思いながら入っていったら、本当にコミュニティFM局で、おじさんがヘッドセットをかけて喋っております!
裏の道へ入ってみると、倉庫をそのまま使った昔の衣装で写真を撮る店やら、これでどうだと言わんばかりの骨董品(と言ってもまだガラクタの部類に属するものが大半)の店なんてのが軒を連ねていて、とても一時間では楽しむことができないことがわかりました。 もうこの街は海に面していて高台へ上がってみるとそれはそれは素晴らしい景色が広がっておりました。今日はとても穏やかな海ですが、この海は外海に面していて、まさに太平洋。この東は南米になるというわけです。それにしても海の色がエメラルド色です。
小一時間突っ走っていよいよダニーデンに到着です。ガイドブックにも書いてありましたけれど、この街には長さ161.2mながらなんと47.22mあがっているという恐ろしい斜度の坂道があります。まぁ、サンフランシスコあたりにあってもおかしくはなさそうな斜度。これを見に参りますと、私達の他はもう全員が中国観光団でございます。中国様様は、わが日本国だけではないわけで、こちらもそうとうな「様様」でございます。この坂道はBaldwin Streetと申しますが、この街の要人だった人の名前が付いているんだそうです。わが観光団の人たちが「上がろう!」というわけがございません。
Settlers Museumすなわち入植者博物館でひとまず解散となります。とにかく4時にここへ来ればバスが日ホテルに連れて行ってくれるということだけを確認して、街へくりだします。その前に昼飯だというので、博物館のカフェでサンドイッチとかぼちゃカレースープで腹を満たして、St. Paul’sの教会、プレスビテリアンのファースト教会、美術館、その辺りを巡っているうちに4時に近くなってしまいます。
今日のホテルはメルキュールですが、ここの係りのお姉さんたちの話も全く理解できません。今日は「ハギス・セレモニー」のデモがあります。昼から三人のボランティアを募っておりました。このホテルはwifiに関してはからっきしケチくさくて、無料で繋がるのはたった一時間だけ。その後は二時間5ドル。その後はといえば12時間15ドルだとか言っています。 ホテルのおばさんが夕食は7時だと言っていたのですが、ドライヴァー&ガイドのアレックスは6時から酒が飲めるとか言っていたなぁと思ったのですが、酒は飲まないからと6時50分頃にダイニングへ行ってみると誰もいない。他の団体だけだ。あれ?という顔をしたら、係りのお姉さんがOast Hallでどうのこうのというわけです。あれま!連れて行ってもらうと、これはどうやらEastのことのようで、今やみんなが椅子に座り、ボランティアの三人がスコットランド衣装が描かれた前掛けをつけてバグパイプと本チャンの格好をしたおじさんに挟まれております。
このおじさんがこれまた全くのスコッティッシュ訛りで全く理解不能!まさに言葉の通じないところに来たという雰囲気そのものです。「ハギス」ってのは羊の内臓を腸詰にしたものだそうで、いって見れば「レバー・ペースト」です。私は羊が苦手な上に、ホルモン系はダメだし、その上ペースト大っ嫌いですから、当然無理! それよりもボランティアに手を挙げた一番のひょうきんおじいさんの演技が最高におかしくて、言葉がわからなくてもそれで大笑いをしました。
2015年10月1日木曜日
20151001 バスツアーの始まり
朝 6時半に目覚ましコールがピリピリとなります。慌てて身支度を整え、朝飯に参ります。今日一緒のテーブルになったのはOregonのPortlandからやってきたご夫婦で、だんなが私の友人を彷彿とさせる人です。
いやいや、6時半なんて時間に起き出して、飯を食ったらバスに乗って走り出したら、まぁ、眠い眠い!ちょっと油断したらすぐに寝てしまう。それもドライバーガイドのキーウィーのおじさんのしゃべる英語が全くわからないからだ。英語なんじゃないんだろうと思うくらいにわからない。
やっぱり、豪州人もNZ人もかれらの発音は「a」はほとんど「ぇあい」というふうに聞こえます。これはもう周知の事実だけれど、ベラベラと喋られたら、これはなかなか捉えにくい。かつてオージーの中に入って仕事をしていた私の友人がよく耐えたものだと今になってようやく感心する。彼は単身、1年以上にわたって彼らの中に入ってやり合ってきたんだから、頭がさがる想いだ。その後どうしているんだろう、もう10年以上連絡していない。
クライストチャーチから一気に南下し、Geraldinという街のBakeryで昼飯にします。CLTと書いてあるサンドイッチとなんだかわからないミートパイをとり、なつかしのFlat White Coffeeを頼む。ちょっとやっぱり失敗だったかもなぁ。今度からこんな時は野菜サンドに徹することにしようと心に誓う。アハハ!どうも脂っぽいんだよなぁ、ミートパイは。
この小さな街にもmotelがあって、洒落たチーズ店やら、ジャム屋さんやらが軒を並べている。
今度はすっ飛ばしてLake Tekapoにやってきましたぞ。聞いたことがあります、この名前。
次にやってきたのはLake Pukakiでございます。氷河から流れ出した水が作っている湖ですから、その水の色の素晴らしさは誰しもが息を呑もうというものでございますな。ここにはMt.Cook Alpine Salmonというものを売っているお店がぽつんと立っております。その店ではスモークト・サーモンを売っていて、そのカウンターにはなんと割り箸、醤油、わさび、ガリの甘酢漬けを置いているんです。どういうこと!?
昨日夕食で一緒になったブリスベンから来られたご夫婦の奥さんが、食事の時に、「ご飯をどれくらい食べるか?」と聞くのでどういうことかと思ったら、昨日のNZの新聞に、日本人の子供の平均余命は世界で一番長いと。NYCに住む日本人の母親がやっぱり日本食がいいんだという話をしている。ファストフードが良くないんだというのは米・加・豪・NZでも知られている話なんだろうけれど、この記事の中でこの人は日本には昔からの言い伝えとして「腹八分目の医者知らず」を引用している。しかし、日本人もどんどんファストフード化しているからなぁ。
もはや豪州もNZもほとんど中国勢力の手中に堕ちていて、どんな地方の観光地、どんな辺鄙なところの観光地へ行っても、必ず中華レストランが存在し、かれらはそこへ集中して食事をしています。そしておみやげ屋さんの店先には、日本語の表示もかろうじて残っていたりしますが、必ず中国語の表示があって、日本語表示は過去の残り物でしかありません。次に看板を新しくする時には削除されるんでしょう。つまりかつての日本人観光客も今の中国観光客と同じだったわけです。
しかし、大きく異なるのは当時の日本人は単なる観光客でしかなかったのですが、今の中国人の方々は単なる観光客ではなくて、多くの人たちが移り住んできています。豪州の人がいうのには、今の不動産の高騰の大きな部分は中国資本によって買われていることが大きな力となっているというのですね。いや、それだってかつて聞いたことがあるような話じゃありませんか。NYCのリンカーンセンターを日本資本がどうのこうのという話があったような気がしますが。
いやいや、6時半なんて時間に起き出して、飯を食ったらバスに乗って走り出したら、まぁ、眠い眠い!ちょっと油断したらすぐに寝てしまう。それもドライバーガイドのキーウィーのおじさんのしゃべる英語が全くわからないからだ。英語なんじゃないんだろうと思うくらいにわからない。
やっぱり、豪州人もNZ人もかれらの発音は「a」はほとんど「ぇあい」というふうに聞こえます。これはもう周知の事実だけれど、ベラベラと喋られたら、これはなかなか捉えにくい。かつてオージーの中に入って仕事をしていた私の友人がよく耐えたものだと今になってようやく感心する。彼は単身、1年以上にわたって彼らの中に入ってやり合ってきたんだから、頭がさがる想いだ。その後どうしているんだろう、もう10年以上連絡していない。
クライストチャーチから一気に南下し、Geraldinという街のBakeryで昼飯にします。CLTと書いてあるサンドイッチとなんだかわからないミートパイをとり、なつかしのFlat White Coffeeを頼む。ちょっとやっぱり失敗だったかもなぁ。今度からこんな時は野菜サンドに徹することにしようと心に誓う。アハハ!どうも脂っぽいんだよなぁ、ミートパイは。
この小さな街にもmotelがあって、洒落たチーズ店やら、ジャム屋さんやらが軒を並べている。
今度はすっ飛ばしてLake Tekapoにやってきましたぞ。聞いたことがあります、この名前。
次にやってきたのはLake Pukakiでございます。氷河から流れ出した水が作っている湖ですから、その水の色の素晴らしさは誰しもが息を呑もうというものでございますな。ここにはMt.Cook Alpine Salmonというものを売っているお店がぽつんと立っております。その店ではスモークト・サーモンを売っていて、そのカウンターにはなんと割り箸、醤油、わさび、ガリの甘酢漬けを置いているんです。どういうこと!?
昨日夕食で一緒になったブリスベンから来られたご夫婦の奥さんが、食事の時に、「ご飯をどれくらい食べるか?」と聞くのでどういうことかと思ったら、昨日のNZの新聞に、日本人の子供の平均余命は世界で一番長いと。NYCに住む日本人の母親がやっぱり日本食がいいんだという話をしている。ファストフードが良くないんだというのは米・加・豪・NZでも知られている話なんだろうけれど、この記事の中でこの人は日本には昔からの言い伝えとして「腹八分目の医者知らず」を引用している。しかし、日本人もどんどんファストフード化しているからなぁ。
もはや豪州もNZもほとんど中国勢力の手中に堕ちていて、どんな地方の観光地、どんな辺鄙なところの観光地へ行っても、必ず中華レストランが存在し、かれらはそこへ集中して食事をしています。そしておみやげ屋さんの店先には、日本語の表示もかろうじて残っていたりしますが、必ず中国語の表示があって、日本語表示は過去の残り物でしかありません。次に看板を新しくする時には削除されるんでしょう。つまりかつての日本人観光客も今の中国観光客と同じだったわけです。
しかし、大きく異なるのは当時の日本人は単なる観光客でしかなかったのですが、今の中国人の方々は単なる観光客ではなくて、多くの人たちが移り住んできています。豪州の人がいうのには、今の不動産の高騰の大きな部分は中国資本によって買われていることが大きな力となっているというのですね。いや、それだってかつて聞いたことがあるような話じゃありませんか。NYCのリンカーンセンターを日本資本がどうのこうのという話があったような気がしますが。
20150929 クライストチャーチ
28日がどこかへ行ってしまって、私たちがオークランドへ到着したのは29日の早朝午前5時前のことです。検疫はニュージランドは豪州に負けず劣らずかなりうるさいです。入管はたいしたこともございませんけれど、税関が大変です。といってもよほどのことがなければ大丈夫ですが、食べ物には豪州同様かなり気を使っています。
申告書に食べ物を持ち込んでいないか?と聞いている項目がありますが、カバンそのものをX線に通します。私のスーツケースも引っかかって、おじさんが「なにかジャムの瓶のようなものがあるぞ」と言って開けてくれといいました。いや、すごいな、まさに図星で、ヨセミテのスーパーで買ったジャムがひと瓶手づかずで入っています。あ、そうだ、「コーヒーも持っているけれどね」と言ったらそんなのには目もくれず、彼が見つけたのはやっぱりアメリカで買ったスープの缶詰。ジャムは開けていないのを確認して無罪放免。
やっぱりビーグル犬がいます。前回うちのかあちゃんはバナナを持っていて、慌てて手前のゴミ箱に捨てたものの、匂いはしっかり残って、ビーグル犬に検出されておりました。
荷物をAir NZのドメスティック・トランスファーのドロップオフに乗っけて、ドメスティック・ターミナルまで歩きます。「寒いから無料のシャトルに乗っていけるよ」と教えられたのですが、今日は歩いていないからと歩きました。結構あります。
ゲート29に行くと、今まさに前のChristchurch行きの便の搭乗が始まったところでした。それから約1時間半の待ち時間ですが、この路線はモノクラスでラウンジが使えません。じっと眠い目をこすりながら、30分だけ無料のwifiを動かしました。
Air NZのこのフライトは新品のA320で3列3列のモノクラスです。幸い私たちの席は2Aと2Bで、乗り降りも楽でした。2回も乗り継いだのに、バゲッジも無事に手元について、ほっと一息です。
ツアー会社からは空港へ向かいを出すからというものでしたが、なにしろ空港に誰かに迎えに来てもらうという経験がないので、どういう態度をとって良いのかわからなかったのですが、すぐ横にGrand Pacificという会社の札を持った男の人がいてくれて、わかりました。このフライトで到着したのは私たちだけのようで、すぐさまホテルへ。沿道はまさに桜が満開です。しかも、あっちにもこっちにも、あれよあれよというくらいにたくさんの桜の木があって、どれもこれもが花が満開です。聞いてねぇよ、と思わず叫びたいくらいに桜が満開です。みんな、花見に繰り出そうじゃないか!
ホテルはなんだか英国風の建物のモーテルです。14時まで部屋が準備できないから、その時に来てくれと言われ、朝ごはんを食べるならご案内しますよ、というので「テューダー」という名前のレストランに上がりました。朝ごはんのバフェだというのですが、フロントの人がヴァウチャーがどうのこうのといったので、てっきりタダだと思ったらなんとひとり23ドルもする朝飯でした。ことばで確認しろよ、とまた自分に言い聞かせます。
街の中心までどれくらい?と聞いたら歩いても20分だというので、歩きました。街の中心はもちろん、あの時の地震で崩壊してしまった大聖堂な訳ですが、迂闊なことに私はこの大聖堂はカソリックかと思っていたのですが、ニュージーランドなんですから英国国教会なのですね。それがわかったのは日本人のバンシゲル(坂茂)がデザインしたというカードボード大聖堂を見たからなんですね。それまではそうとは知らず。
街の中を古いトラムがぐるぐると回っています。その大聖堂のそばの乗り場に行ったら、どう見ても日本人訛りの英語を喋る切符売りのおじさんがいます。トラムの乗車券はホップオン、ホップオフで20ドルするというのですが、これは日本円に換算したら1,600円にもなるわけですから逡巡していました。しかし、どうやらこれはこの街の中心地を見るのには効率が良さそうだとわかったので、ボタニカル・ガーデンのガイドツアー付きでひとり35ドルという切符を買いました。なんでもこの切符売りのおじさんは19年前にここに来たんだそうで、それからクライストチャーチも大きく変わったとおっしゃっておいでです。
うちのかあちゃんが初めて来たのは1995年のことですから、ほぼ同じ頃。あそこにKFCがあったという話で検証できました。アハハ!
ここのお庭は広大な公園の一角にあり、驚くことに中国から来たメタセコイヤというものまであります。そうだったのか! 彼にスーパーマーケットの位置を聞き、また歩きます。
申告書に食べ物を持ち込んでいないか?と聞いている項目がありますが、カバンそのものをX線に通します。私のスーツケースも引っかかって、おじさんが「なにかジャムの瓶のようなものがあるぞ」と言って開けてくれといいました。いや、すごいな、まさに図星で、ヨセミテのスーパーで買ったジャムがひと瓶手づかずで入っています。あ、そうだ、「コーヒーも持っているけれどね」と言ったらそんなのには目もくれず、彼が見つけたのはやっぱりアメリカで買ったスープの缶詰。ジャムは開けていないのを確認して無罪放免。
やっぱりビーグル犬がいます。前回うちのかあちゃんはバナナを持っていて、慌てて手前のゴミ箱に捨てたものの、匂いはしっかり残って、ビーグル犬に検出されておりました。
荷物をAir NZのドメスティック・トランスファーのドロップオフに乗っけて、ドメスティック・ターミナルまで歩きます。「寒いから無料のシャトルに乗っていけるよ」と教えられたのですが、今日は歩いていないからと歩きました。結構あります。
ゲート29に行くと、今まさに前のChristchurch行きの便の搭乗が始まったところでした。それから約1時間半の待ち時間ですが、この路線はモノクラスでラウンジが使えません。じっと眠い目をこすりながら、30分だけ無料のwifiを動かしました。
Air NZのこのフライトは新品のA320で3列3列のモノクラスです。幸い私たちの席は2Aと2Bで、乗り降りも楽でした。2回も乗り継いだのに、バゲッジも無事に手元について、ほっと一息です。
ツアー会社からは空港へ向かいを出すからというものでしたが、なにしろ空港に誰かに迎えに来てもらうという経験がないので、どういう態度をとって良いのかわからなかったのですが、すぐ横にGrand Pacificという会社の札を持った男の人がいてくれて、わかりました。このフライトで到着したのは私たちだけのようで、すぐさまホテルへ。沿道はまさに桜が満開です。しかも、あっちにもこっちにも、あれよあれよというくらいにたくさんの桜の木があって、どれもこれもが花が満開です。聞いてねぇよ、と思わず叫びたいくらいに桜が満開です。みんな、花見に繰り出そうじゃないか!
ホテルはなんだか英国風の建物のモーテルです。14時まで部屋が準備できないから、その時に来てくれと言われ、朝ごはんを食べるならご案内しますよ、というので「テューダー」という名前のレストランに上がりました。朝ごはんのバフェだというのですが、フロントの人がヴァウチャーがどうのこうのといったので、てっきりタダだと思ったらなんとひとり23ドルもする朝飯でした。ことばで確認しろよ、とまた自分に言い聞かせます。
街の中心までどれくらい?と聞いたら歩いても20分だというので、歩きました。街の中心はもちろん、あの時の地震で崩壊してしまった大聖堂な訳ですが、迂闊なことに私はこの大聖堂はカソリックかと思っていたのですが、ニュージーランドなんですから英国国教会なのですね。それがわかったのは日本人のバンシゲル(坂茂)がデザインしたというカードボード大聖堂を見たからなんですね。それまではそうとは知らず。
街の中を古いトラムがぐるぐると回っています。その大聖堂のそばの乗り場に行ったら、どう見ても日本人訛りの英語を喋る切符売りのおじさんがいます。トラムの乗車券はホップオン、ホップオフで20ドルするというのですが、これは日本円に換算したら1,600円にもなるわけですから逡巡していました。しかし、どうやらこれはこの街の中心地を見るのには効率が良さそうだとわかったので、ボタニカル・ガーデンのガイドツアー付きでひとり35ドルという切符を買いました。なんでもこの切符売りのおじさんは19年前にここに来たんだそうで、それからクライストチャーチも大きく変わったとおっしゃっておいでです。
うちのかあちゃんが初めて来たのは1995年のことですから、ほぼ同じ頃。あそこにKFCがあったという話で検証できました。アハハ!
ここのお庭は広大な公園の一角にあり、驚くことに中国から来たメタセコイヤというものまであります。そうだったのか! 彼にスーパーマーケットの位置を聞き、また歩きます。
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