先日一週間だけのクルーズに乗ったときに、キャビンの入り口に挟んであった書類の中に一日あたり15ドルがどうのこうのと書いてあるカードがあって、これが何のことかわからない。で、フロントに行って、若いお嬢さんに、これってなに?って聞いたら、9ドル以下のドリンクは一日15までは無料、ってことだと聞いた。
ここに大きな誤解。もっとも最後まで解けなかったのだけれど。一日15ドル分までは、9ドル以下のドリンクだったら無料ってことだった。あれって、多分冷蔵庫に入っているドリンクも含めてだったのかもしれない。
で、このサービスなんて初めて乗ったときはなかったのになんでだろうかと思ったら、そりゃそのはずで、二度目に乗ったお客に限ってのサービスだったんだ。だから、多分三回目に乗ったらそれはそれできっとまた何かサービスがあるんじゃないかなぁ。こうやって他のクルーズ会社へ流れる客を抱え込もうという方針ってことですね。
なかなか競争は熾烈なのだ。
2017年6月25日日曜日
2017年6月14日水曜日
バゲッジ
ところがようやく家について、やれやれと鞄を開けようとしたら、金具が鍵から外れ、ものの見事に開けられています。しかも、先日のBoston/Laxのようにオフィシャルが開けたのではなく、盗人職員に開けられたということです。「開けたぞ」スリットが入っていませんでしたし、元に戻してもありませんでした。へぇ、こんなこともありなんだ!?と呆れます。開けたってがらくたしか入っていませんから上のものをずらしただけで元に戻していました。
12時間
アメリカ合衆国やカナダの東海岸といえばやはり日本から見ると移動に時間が掛かります。欧州へ行く方が帰って短時間で到着できたりします。SASが、あ、いやフィンランド航空だったかな、「一番近い欧州」といって宣伝していますが、そりゃ、そこから先が時間が掛かるという意味なので、あんまりそのまま受け取ることはできかねます。
段々歳をとると移動の時間が辛くなってきます。女性にはすぐには想像がつかないと思いますが、男性は身体の部品が劣化してきますと、トイレが近くなりますから、これはそうとうに覚悟が要ります。通路側に席を取って、いつでもトイレを見張っていなくてはなりません。だから座席もそれにふさわしいところに取りたいと思います。
あ、いや、それよりも段々そんな長時間を飛行機に乗っていることに耐えられなくなります。これがビジネスやファーストに乗っていくのであれば、なんちゅうこともないわけですが、エコノミーで行くわけですから、それなりの覚悟が要るというわけです。この辺は若い人たちや女性には理解しがたいところがあるだろうと思います。
いずれにしても東海岸では、ニューヨークを例外として、日本人観光客がぶらぶらしているのは相当に少ないようで、なかなか遭遇しなかったのですが、「いや、それは観光客が行きそうなところに行ってないからだよ」という声の方が正しいかもしれませんね。
段々歳をとると移動の時間が辛くなってきます。女性にはすぐには想像がつかないと思いますが、男性は身体の部品が劣化してきますと、トイレが近くなりますから、これはそうとうに覚悟が要ります。通路側に席を取って、いつでもトイレを見張っていなくてはなりません。だから座席もそれにふさわしいところに取りたいと思います。
あ、いや、それよりも段々そんな長時間を飛行機に乗っていることに耐えられなくなります。これがビジネスやファーストに乗っていくのであれば、なんちゅうこともないわけですが、エコノミーで行くわけですから、それなりの覚悟が要るというわけです。この辺は若い人たちや女性には理解しがたいところがあるだろうと思います。
いずれにしても東海岸では、ニューヨークを例外として、日本人観光客がぶらぶらしているのは相当に少ないようで、なかなか遭遇しなかったのですが、「いや、それは観光客が行きそうなところに行ってないからだよ」という声の方が正しいかもしれませんね。
2017年6月13日火曜日
2017.06.12 到着
日本に帰ってきました。それほど暑くなっていません。
しかし、道路っぱたのツツジの咲き終わりの花殻がからっからです。
雨が降っていなかったのでしょうか。
そういえば数日前に東京は30度を記録したといっていましたよねぇ。
通常の景色が通常の状態で流れています。
通常のといえば、帰りの飛行機の中で映画を数本見ました。
その中でNew JerseyのPatersonという実在の街のPatersonという名前のバス運転手の淡々とした一週間を描く映画を見ました。日本では8月に公開されるらしいと誰かのブログで読みました。(2017年8月26日(土)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
)
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズというやっぱりNew Jersey出身の詩人が出した「パターソン」という詩集が出ているんだそうで、その日本語の詩集を持った日本人が出てきます。それが永瀬正敏という役者で(私は何しろ日本のドラマってものを見ないので知りませんでした)、この映画の監督であるジム・ジャームッシュ監督の作品に出演したことがあることから、今回は友情出演なんだとその人のブログに書いてありました。へタックソな英語が日本人らしくて良いんだ。「ア〜ハァ!」って。
永瀬のアイディアなのか、当初からの脚本の中にあるのか知らないけれど、「詩の翻訳ってのはレインコートを着てシャワー浴びているようなものだ」というセリフが的を射ていて思わず笑っちまいました。ずっとそう思っているんだけれど、こんな旨い表現に当たるとは思いませんでした。英語の「Haiku」にも私はずっとそう思っています。「無理だよ・・・」って。
パターソンの女房役のゴルシフテ・ファラハニ(Golshifteh Farahani)はインド系の役者なのかと思っていたら、パリ在住のイラン人だってんです。英語流暢だよ。
うちについたのは午後5時ちょうどくらいで、それって西海岸時間にすると真夜中、午前1時なので眠い!
いつものように「弁天」にいって天せいろ上海老二本+盛り一枚で気持ちが日本になる。
しかし、道路っぱたのツツジの咲き終わりの花殻がからっからです。
雨が降っていなかったのでしょうか。
そういえば数日前に東京は30度を記録したといっていましたよねぇ。
通常の景色が通常の状態で流れています。
通常のといえば、帰りの飛行機の中で映画を数本見ました。
その中でNew JerseyのPatersonという実在の街のPatersonという名前のバス運転手の淡々とした一週間を描く映画を見ました。日本では8月に公開されるらしいと誰かのブログで読みました。(2017年8月26日(土)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズというやっぱりNew Jersey出身の詩人が出した「パターソン」という詩集が出ているんだそうで、その日本語の詩集を持った日本人が出てきます。それが永瀬正敏という役者で(私は何しろ日本のドラマってものを見ないので知りませんでした)、この映画の監督であるジム・ジャームッシュ監督の作品に出演したことがあることから、今回は友情出演なんだとその人のブログに書いてありました。へタックソな英語が日本人らしくて良いんだ。「ア〜ハァ!」って。
永瀬のアイディアなのか、当初からの脚本の中にあるのか知らないけれど、「詩の翻訳ってのはレインコートを着てシャワー浴びているようなものだ」というセリフが的を射ていて思わず笑っちまいました。ずっとそう思っているんだけれど、こんな旨い表現に当たるとは思いませんでした。英語の「Haiku」にも私はずっとそう思っています。「無理だよ・・・」って。
パターソンの女房役のゴルシフテ・ファラハニ(Golshifteh Farahani)はインド系の役者なのかと思っていたら、パリ在住のイラン人だってんです。英語流暢だよ。
うちについたのは午後5時ちょうどくらいで、それって西海岸時間にすると真夜中、午前1時なので眠い!
いつものように「弁天」にいって天せいろ上海老二本+盛り一枚で気持ちが日本になる。
2017年6月12日月曜日
2017.06.11 Los Angelesを立つ
帰りのフライトはLAXからで、私がExpediaで予約したのは全日空のNH7019というフライト・ナンバーですが、もちろんこんな4桁のフライト・ナンバーはあるわけないので、これはUA32便のシェア便だということでございます。
で、なにが困るかというと、これはどの航空会社のデスクでチェックインをするのかってことなんですが、これは常識として飛ばす航空会社のデスクなんですね。だから、この場合はユナイテッドのカウンターへ向かいますね。
友人が車で送ってきてくれたんです。ひょっとするともうこの先逢えないままかもしれませんから、送ってもらえるのは嬉しいですね。多分これまでに4-5回この空港へ送ってもらったかもしれませんね。夫婦ふたりとももう半世紀に及ぶつきあいです。かみさんが走り出すやいなや「下を行くのよ、絶対下よ!」と言明します。日曜日だから、フリーウェイに乗らずとも下の方が空いている、彼はいつでもフリーウェイに乗りたがると愚痴る。永い朋は愚痴る相手でもあります。
確かに下の道はガラガラです。違う街へ来たかのようです。ところがなんと空港へ侵入してからdepartureへの分岐点で閉鎖されているのです!驚いちゃいます。「早く行きたければarrivalのレベルで建物に入って、一階上がりなさい」と表示が出ています。この空港はとても古いのですが、このあたりから先は常に渋滞します。前にも焦ったことがあります。
arrival levelからたったワンフロアーをエスカレーターで上がるだけです。
友人夫婦と別れて上がってみると、ガラガラのセルフ・チェックイン・マシンがあったので触り始めたら普通の機械と違います。狼狽えていると、係員のお姉さんがこっちだよ!というので、東洋人が四苦八苦している機械の列に並びました。隣の機械は「closed」表示でしたが、そのお姉さんが機械を開けて、巻紙を装填しています。前の東洋人はさっぱり要領を得ません。係のお姉さんが作業を完了。「こっちへ来い」と合図します。しょうがないと行ってみると彼女が私のパスポートを取って読み取らせます。私が口を挟む余地がないほどあっという間にチェックインを終えてタグとボーディン・パスを取り出しました。これ、普通だったらお客に喜ばれますよね!?実は私は登録してあるフリーカント・フライヤーズ番号をUAからANAに変えたかったのになぁ・・・なんです!過ぎたるは及ばざるがごとし、なんですが、ここまでやってくれたら、もう文句なんて言えません。
バッゲジ・ドロップに持っていくと「priority」のタグを挟んでくれました。この時点では私はまだにわかmileage plus goldだからです(申請してから許可が下りるのにたった3-4日で、そこから三ヶ月間だけ)。ボーディン・パスにはやっぱりTAS Preのチェックが入っています。だからセキュリティー・チェックでもパソコンを出さなくて良い、靴を脱がなくて良い、ベルトを抜かなくて良い、面倒がない。ただし、ポケットの中のものは出してね、といわれます。これ、甚だ便利ですが、はっきりいってしまえば、この便利さは金で解決がついてしまうというわけで、セキュリティー上の根拠はなんもありません。
ユナイテッド航空のラウンジにも無事入れてもらいました。全く期待なんてしないユナイテッド航空のラウンジですが、一応軽食はありましたので、小腹を満たすことはできました。
機材は787-900で私たちの席は3-4-3の右側の通路側と真ん中の席です。窓側にも誰か来るのかと思っていたら、香港に行くらしい若い白人女性、というよりも女子高生という雰囲気の二人連れの片割れ。若いってことは凄いなぁというか、約11時間ほどのフライトで彼女がトイレに立ったのはたったの一回っきりだったような記憶なんです。私なんぞ、(こんなこと人前でいうかね)5回は行きました。この子、尿毒症になっちまうぞ!
で、なにが困るかというと、これはどの航空会社のデスクでチェックインをするのかってことなんですが、これは常識として飛ばす航空会社のデスクなんですね。だから、この場合はユナイテッドのカウンターへ向かいますね。
友人が車で送ってきてくれたんです。ひょっとするともうこの先逢えないままかもしれませんから、送ってもらえるのは嬉しいですね。多分これまでに4-5回この空港へ送ってもらったかもしれませんね。夫婦ふたりとももう半世紀に及ぶつきあいです。かみさんが走り出すやいなや「下を行くのよ、絶対下よ!」と言明します。日曜日だから、フリーウェイに乗らずとも下の方が空いている、彼はいつでもフリーウェイに乗りたがると愚痴る。永い朋は愚痴る相手でもあります。
確かに下の道はガラガラです。違う街へ来たかのようです。ところがなんと空港へ侵入してからdepartureへの分岐点で閉鎖されているのです!驚いちゃいます。「早く行きたければarrivalのレベルで建物に入って、一階上がりなさい」と表示が出ています。この空港はとても古いのですが、このあたりから先は常に渋滞します。前にも焦ったことがあります。
arrival levelからたったワンフロアーをエスカレーターで上がるだけです。
友人夫婦と別れて上がってみると、ガラガラのセルフ・チェックイン・マシンがあったので触り始めたら普通の機械と違います。狼狽えていると、係員のお姉さんがこっちだよ!というので、東洋人が四苦八苦している機械の列に並びました。隣の機械は「closed」表示でしたが、そのお姉さんが機械を開けて、巻紙を装填しています。前の東洋人はさっぱり要領を得ません。係のお姉さんが作業を完了。「こっちへ来い」と合図します。しょうがないと行ってみると彼女が私のパスポートを取って読み取らせます。私が口を挟む余地がないほどあっという間にチェックインを終えてタグとボーディン・パスを取り出しました。これ、普通だったらお客に喜ばれますよね!?実は私は登録してあるフリーカント・フライヤーズ番号をUAからANAに変えたかったのになぁ・・・なんです!過ぎたるは及ばざるがごとし、なんですが、ここまでやってくれたら、もう文句なんて言えません。
バッゲジ・ドロップに持っていくと「priority」のタグを挟んでくれました。この時点では私はまだにわかmileage plus goldだからです(申請してから許可が下りるのにたった3-4日で、そこから三ヶ月間だけ)。ボーディン・パスにはやっぱりTAS Preのチェックが入っています。だからセキュリティー・チェックでもパソコンを出さなくて良い、靴を脱がなくて良い、ベルトを抜かなくて良い、面倒がない。ただし、ポケットの中のものは出してね、といわれます。これ、甚だ便利ですが、はっきりいってしまえば、この便利さは金で解決がついてしまうというわけで、セキュリティー上の根拠はなんもありません。
ユナイテッド航空のラウンジにも無事入れてもらいました。全く期待なんてしないユナイテッド航空のラウンジですが、一応軽食はありましたので、小腹を満たすことはできました。
機材は787-900で私たちの席は3-4-3の右側の通路側と真ん中の席です。窓側にも誰か来るのかと思っていたら、香港に行くらしい若い白人女性、というよりも女子高生という雰囲気の二人連れの片割れ。若いってことは凄いなぁというか、約11時間ほどのフライトで彼女がトイレに立ったのはたったの一回っきりだったような記憶なんです。私なんぞ、(こんなこと人前でいうかね)5回は行きました。この子、尿毒症になっちまうぞ!
2017.06.09 Torrance
この地域はかなり昔から東洋人の居住地としては知られていたんです。日本の企業の駐在員でGardena、Torrance、Rancho Palos Verdesに住んでいた人は結構いたはずです。45年前に親戚の駐在員の家に来たときは、Gardenaだったのかもしれません。
友人が昨年引っ越したこの分譲アパートは、世帯の中にひとり50歳以上の人がいる、というのが条件だそうです。だから、親子で暮らしている人もいるといいます。一階には広いロビーがあって、誰もが使えるコミュニティースペースがあって、みんなでお菓子を持ち寄ってビンゴ大会なんかをやったりするそうです。
彼らの居住区は100㎡を超える広さでバスルームが二つ。日本から見たら夫婦ふたりでそれはずいぶんゆったりですが、キッチンの換気扇が外に通じていなかったりして、日本のようには暮らせないと嘆いています。そういえば私たちが宿泊しているExtended Stay America - Los Angeles - Torrance - Del Amo Circleもフルキッチン付きなのに、誰かがどこかの部屋で料理をするとその匂いが廊下に漂います。ひょっとするとあそこもそうかもしれません。
配置が回廊になっていて、足腰の悪い高齢者も歩行器を使いながら屋内で散歩ができるようになっているんだそうです。
近所にスーパーがあるから行ってみよう、ということになって友達の案内で歩いて行くんだけれど、とにかく街が歩くようにできてないから、なんだか雲をつかむような案配だよね。大通りの信号が青になってわたるんだけれど、それでもなんだかイリーガルなことをしているような気分になるよね。
COSTCO(米国ではコスッコていうよね。IKEAもアイキアっていう)ほどではないけれど、やっぱり大ロット・スーパーがあって、ここにYubanのコーヒーで29オンス入りってのがある。彼らが良く日本に来るときに持ってきてくれるのはここで買っていたんだそうだ。これを持って帰る。彼らへ持ってきた土産のスペースが空くからね。
昼飯を食いに、蕎麦屋へ行く。「いちみ庵本店」と書いてあります。そういえばずいぶん前にやっぱり彼らに他の蕎麦屋さんに連れて行ってもらったことがあります。さすがにこの界隈は違います。私たちがいったのはもう午後2時頃のことだったのですが、それでも、ポツポツと食べに来る人たちがおられます。
レドンド・ビーチへ行ってみよう!という。そういえばもうずいぶん昔にもレドンド・ビーチに行ったことがあります。ところが、なんということか、レドンド・ビーチはすっかり寂れ果てております。ジェッティーにはヒスパニック系、アフリカン系の人たちがたくさん釣り竿を出しています。
White Croakerという魚は食べてはいけないという表示がされています。どうもこの魚はほかの魚をエサにし、脂肪分が多いのでポリ塩化ビフェニールが多く含まれている可能性が高いからのようです。ということはこの海域の魚が全く問題がないわけではないということが推察できそうでもあります。
2011年03月10日にこの辺の海域で何千万匹と言われるほどの魚が酸欠状態で死んでいるのが見つかったこともあるそうです。
Tokyo Centerでお弁当を買ってきて、みんなで夕食にしました。
友人が昨年引っ越したこの分譲アパートは、世帯の中にひとり50歳以上の人がいる、というのが条件だそうです。だから、親子で暮らしている人もいるといいます。一階には広いロビーがあって、誰もが使えるコミュニティースペースがあって、みんなでお菓子を持ち寄ってビンゴ大会なんかをやったりするそうです。
彼らの居住区は100㎡を超える広さでバスルームが二つ。日本から見たら夫婦ふたりでそれはずいぶんゆったりですが、キッチンの換気扇が外に通じていなかったりして、日本のようには暮らせないと嘆いています。そういえば私たちが宿泊しているExtended Stay America - Los Angeles - Torrance - Del Amo Circleもフルキッチン付きなのに、誰かがどこかの部屋で料理をするとその匂いが廊下に漂います。ひょっとするとあそこもそうかもしれません。
配置が回廊になっていて、足腰の悪い高齢者も歩行器を使いながら屋内で散歩ができるようになっているんだそうです。
カリフォルニアで「swiss miss」が売れるんでしょうか? |
COSTCO(米国ではコスッコていうよね。IKEAもアイキアっていう)ほどではないけれど、やっぱり大ロット・スーパーがあって、ここにYubanのコーヒーで29オンス入りってのがある。彼らが良く日本に来るときに持ってきてくれるのはここで買っていたんだそうだ。これを持って帰る。彼らへ持ってきた土産のスペースが空くからね。
昼飯を食いに、蕎麦屋へ行く。「いちみ庵本店」と書いてあります。そういえばずいぶん前にやっぱり彼らに他の蕎麦屋さんに連れて行ってもらったことがあります。さすがにこの界隈は違います。私たちがいったのはもう午後2時頃のことだったのですが、それでも、ポツポツと食べに来る人たちがおられます。
レドンド・ビーチへ行ってみよう!という。そういえばもうずいぶん昔にもレドンド・ビーチに行ったことがあります。ところが、なんということか、レドンド・ビーチはすっかり寂れ果てております。ジェッティーにはヒスパニック系、アフリカン系の人たちがたくさん釣り竿を出しています。
White Croakerという魚は食べてはいけないという表示がされています。どうもこの魚はほかの魚をエサにし、脂肪分が多いのでポリ塩化ビフェニールが多く含まれている可能性が高いからのようです。ということはこの海域の魚が全く問題がないわけではないということが推察できそうでもあります。
2011年03月10日にこの辺の海域で何千万匹と言われるほどの魚が酸欠状態で死んでいるのが見つかったこともあるそうです。
Tokyo Centerでお弁当を買ってきて、みんなで夕食にしました。
2017.06.08
早朝、BostonからLos Angelesへ移動。
何しろ安い航空券をExpediaで買ったものだから、なかなか楽なスケジュールにならないわけです。今回のNRT-ORD経由YULとBOS-SFO経由LAX-NRTの切符はひとり125,000円でした。で、このBoston発が午前8時20分発というちょっと辛い時間になってしまいました。朝6時にチェックアウトをして、フロントでタクシーを呼んでもらいました。持っていたMTBAの7日間切符もこの日と翌日の分がまだあるので、フロントのお兄ちゃんに「誰かにあげて」といって渡しました。空港までのタクシー代は約20ドル。フラットレートってないのかなぁ。
UA207便は日本人には良くわからないフライトで、まっすぐにLAXに行くのではなくて、SFOに飛んでいきます。じゃ、そこからトランジットで乗るフライトのフライト番号はなんだといったら、これもまたUA207便なんです。機材も全く別物で、これなら別便じゃねぇかと思うようなフライトです。追っかけてみるとわかるのですが、同じフライトナンバーで乗り継いでいくフライトが普通にあるのが不思議。
セルフ・チェックインをして、タグをスーツケースにつけてバゲッジ・ドロップへ持っていくと、そこの受付のベテランお姉さんがタグにpriorityタグをくっつけてくれます。説明をしなくてもボーディング・カードに(にわか)Milage Plus Goldのマークがついているようです。
セキュリティー・チェックもTAS Preのチェックが入っているボーディング・カードだとフルスペックのチェックを受けなくて済みます。パソコンを出さなくてもいい、ベルトを抜かなくてもいい、靴を脱がなくてもいい。つまり昔のようなチェック、ポケットのものを全部出して、ジャケットを脱ぐ、くらいのチェックで終わります。とても楽ですが、これで本当に良いのか?とも思います。
で、ここまでは(にわか)Milage Plus Goldの特権が行きますが、ここから先はいけません。つまり国内線だとこの程度のランクではラウンジが使えません。不思議なことにUAは国内便だとビジネス(UAは破廉恥にもファーストといいますが)の切符を持っていても入れてくれなかった過去があります。じゃ、あそこのラウンジはいったい誰が入れるんだろうかと、未だに疑問が解決しません。かつてUAでロンドンからビジネスでNew Yorkへ飛んだとき、その後アメリカ国内でUAのビジネスに乗った時、ラウンジのレセプショニストが私の記録を見て、「ロンドンから国際線のビジネスに乗った記録があるからどうぞ」といったことがあります。う〜む、未だにわからん。
しょうがないとゲート前の安くないカプチーノと持っていたマフィンで朝飯にしました。UAのこの程度の国内便では飯がでません。飲み物だけは出ます。周りを見ているといろいろ持ち込んで食べています。機内で買っている人はほとんど見ませんでしたねぇ。
BOS-SFO間はB777-200です。3-4-3です。事前にネット上で確保した座席と全く違う座席が割り当てられていて、なんと4列の真ん中に設定されていました。直前にチェックを入れていませんでした。ところが通路側に来た女性にCAが「ひとりなのか?」と聞き、それなら後ろがあいているから動かないか?といって移動したので、結局真ん中の4列にふたりで使うことができました。
この機材のエコノミーにはなんとモニターがございません。そのかわりに自分のスマホを挟んでモニター代わりにできるようになっています。これはタブレットでもいけるようなのですが、私のタブレットでは動きません。どうしてなのかと思ったら、どうやら地上でそれ用のアプリを落としておかなくてはならないらしいのです。なんやねん!
ならばしょうがないと、タブレットに入れてあった本を読みふけりました。つれあいは私のiPodで落語を端から聞きまくっておりました。
San Franciscoの空港に到着してみると現地時間で昼前です。珍しく雨が降っておりました。一昨年通りかかったときはインディアン・サマーでした。
とりあえずターミナルの中に必ずチャイニーズがあるだろうからと探しまくり、22ドル出して、チャイニーズにありつきました。どうもBostonからチャイニーズづいてしまっています。しかし、ここにはPanda Expressはないのかなぁ。
乗り継ぎ便の出発は15:10なので4時間たっぷりです。これだけの乗り継ぎがあるのに、ラウンジが使えないのはちょっとめんどくさい。しかし、充分に余裕があるので、気が楽です。ゲート前に早めにやってきて座っていると、反対側に座っていた女性がホルンをケースから出しています。おいおい、こんなところで吹いちゃうのか?!と思っているとミュートを取り出しました。本気です。どうなっちゃうんだろうと思ったら譜面を出して、さらっています。いくらミュートがついていたって、音は出ますよね。それが自然な行為なのに驚いているのは多分、私たちだけのようです。不思議な国だなぁ。
こっちのフライトは結構混んでいます。でもフライトはわずか一時間。バゲッジクレームへ行く階段を降りていると、その階段の下に友人がもう来ていて、「遅かったなぁ」といってましたが、何か、あったのかなぁ。早速彼らの新居、つまり高齢者用アパートへついて、楽しい夜です。三年ぶりかな?
何しろ安い航空券をExpediaで買ったものだから、なかなか楽なスケジュールにならないわけです。今回のNRT-ORD経由YULとBOS-SFO経由LAX-NRTの切符はひとり125,000円でした。で、このBoston発が午前8時20分発というちょっと辛い時間になってしまいました。朝6時にチェックアウトをして、フロントでタクシーを呼んでもらいました。持っていたMTBAの7日間切符もこの日と翌日の分がまだあるので、フロントのお兄ちゃんに「誰かにあげて」といって渡しました。空港までのタクシー代は約20ドル。フラットレートってないのかなぁ。
UA207便は日本人には良くわからないフライトで、まっすぐにLAXに行くのではなくて、SFOに飛んでいきます。じゃ、そこからトランジットで乗るフライトのフライト番号はなんだといったら、これもまたUA207便なんです。機材も全く別物で、これなら別便じゃねぇかと思うようなフライトです。追っかけてみるとわかるのですが、同じフライトナンバーで乗り継いでいくフライトが普通にあるのが不思議。
セルフ・チェックインをして、タグをスーツケースにつけてバゲッジ・ドロップへ持っていくと、そこの受付のベテランお姉さんがタグにpriorityタグをくっつけてくれます。説明をしなくてもボーディング・カードに(にわか)Milage Plus Goldのマークがついているようです。
セキュリティー・チェックもTAS Preのチェックが入っているボーディング・カードだとフルスペックのチェックを受けなくて済みます。パソコンを出さなくてもいい、ベルトを抜かなくてもいい、靴を脱がなくてもいい。つまり昔のようなチェック、ポケットのものを全部出して、ジャケットを脱ぐ、くらいのチェックで終わります。とても楽ですが、これで本当に良いのか?とも思います。
で、ここまでは(にわか)Milage Plus Goldの特権が行きますが、ここから先はいけません。つまり国内線だとこの程度のランクではラウンジが使えません。不思議なことにUAは国内便だとビジネス(UAは破廉恥にもファーストといいますが)の切符を持っていても入れてくれなかった過去があります。じゃ、あそこのラウンジはいったい誰が入れるんだろうかと、未だに疑問が解決しません。かつてUAでロンドンからビジネスでNew Yorkへ飛んだとき、その後アメリカ国内でUAのビジネスに乗った時、ラウンジのレセプショニストが私の記録を見て、「ロンドンから国際線のビジネスに乗った記録があるからどうぞ」といったことがあります。う〜む、未だにわからん。
しょうがないとゲート前の安くないカプチーノと持っていたマフィンで朝飯にしました。UAのこの程度の国内便では飯がでません。飲み物だけは出ます。周りを見ているといろいろ持ち込んで食べています。機内で買っている人はほとんど見ませんでしたねぇ。
BOS-SFO間はB777-200です。3-4-3です。事前にネット上で確保した座席と全く違う座席が割り当てられていて、なんと4列の真ん中に設定されていました。直前にチェックを入れていませんでした。ところが通路側に来た女性にCAが「ひとりなのか?」と聞き、それなら後ろがあいているから動かないか?といって移動したので、結局真ん中の4列にふたりで使うことができました。
この機材のエコノミーにはなんとモニターがございません。そのかわりに自分のスマホを挟んでモニター代わりにできるようになっています。これはタブレットでもいけるようなのですが、私のタブレットでは動きません。どうしてなのかと思ったら、どうやら地上でそれ用のアプリを落としておかなくてはならないらしいのです。なんやねん!
ならばしょうがないと、タブレットに入れてあった本を読みふけりました。つれあいは私のiPodで落語を端から聞きまくっておりました。
San Franciscoの空港に到着してみると現地時間で昼前です。珍しく雨が降っておりました。一昨年通りかかったときはインディアン・サマーでした。
とりあえずターミナルの中に必ずチャイニーズがあるだろうからと探しまくり、22ドル出して、チャイニーズにありつきました。どうもBostonからチャイニーズづいてしまっています。しかし、ここにはPanda Expressはないのかなぁ。
乗り継ぎ便の出発は15:10なので4時間たっぷりです。これだけの乗り継ぎがあるのに、ラウンジが使えないのはちょっとめんどくさい。しかし、充分に余裕があるので、気が楽です。ゲート前に早めにやってきて座っていると、反対側に座っていた女性がホルンをケースから出しています。おいおい、こんなところで吹いちゃうのか?!と思っているとミュートを取り出しました。本気です。どうなっちゃうんだろうと思ったら譜面を出して、さらっています。いくらミュートがついていたって、音は出ますよね。それが自然な行為なのに驚いているのは多分、私たちだけのようです。不思議な国だなぁ。
こっちのフライトは結構混んでいます。でもフライトはわずか一時間。バゲッジクレームへ行く階段を降りていると、その階段の下に友人がもう来ていて、「遅かったなぁ」といってましたが、何か、あったのかなぁ。早速彼らの新居、つまり高齢者用アパートへついて、楽しい夜です。三年ぶりかな?
2017年6月10日土曜日
2017.0607 ようやく晴れたボストン五日目
ボストン滞在最終日
ようやく晴れてきました。
今朝も昨日の「南北和」の残り物で朝ごはんにします。
本日のバス旅行はそれはそれは刺激に溢れたものでございました。あいにくと写真に撮る勇気がございませんでした。
HI Bostonからそれほど離れていない、Tuffts Medical Center前にはSilver Lineと呼ばれていながら実は地下鉄ではなくてバスがやって参ります。それもSL4とSL5の両方が停まります。じゃ、これに乗って終点のDudley Stationという駅まで行って、そこから66番のバスでこれまた終点のHarvard Squareで降り、そこから今度は1番のバスに乗って、MITの間を通って川を渡ったところで、バスを降ります。そこからどうするかといったらHynes Convention Centerの駅から緑線の地下鉄に乗るのですが、この駅の入り口が全然良くわからんの。最後は電車をGovernment Centerで降りました。
説明しちゃえばこんなもんですが、いやはや、血湧き肉躍りました。
私たちが張り切ってTuffts Medical Centerのバス停にやってきたら、白人のお婆さんがひとり立っていただけでした。ところが10分ほど待ってようやくSL4がやってきたら、ばらばらと人が集まってきて、あっという間に30人ほどの人になっちまいました。こんな雰囲気はこの前のSullivanの駅の雰囲気そっくりです。しかも、その半分以上がアフリカンの人たちで、残りはほぼチャイニーズとおぼしき東洋人です。
多分乗っていた間20分ほどだったと思うのですが、5分ぐらい経ったら東洋人の人たちが段々減ってきて、10分ほど経ったら全員がアフリカンの人たちになってしまいました。
途中から乗ってきた若い奴が前から乗らずに後ろから乗って、パスを見せる雰囲気(これ、良くみんなやるんですが)で、乗り込んだら、ドライバーがこれを見逃さず「Sir !」と怒鳴りました。するとそいつがドライバーのところへ行ってそのまま降りました。つまり、かれは有効なものを持っていないけど、その振りをして乗り込もうとした、ということなんですね。
この辺から、あれぇぇぇぇ・・・・っていう雰囲気になってきて、どんどん周辺はそんな雰囲気になっていきました。
Dudleyについてみるとこれが電車の駅ではなくて、大規模なバスターミナルでした。ところがここにいる人たちのほとんどはアフリカンです。カメラなんぞ取り出したら怒られそうな気がして取り出せません。しかも乗ろうとしている66番の乗り場が見つかりません。泣きそうです。そこで4-5人のお巡りさんがおしゃべりしているのを発見!尋ねると、「それはこっち!」と指さしてくれたのはもう一つの大きな屋根の下。行ってみると、おぉ〜!あったぞ。しばらく経ったら反対側に止まっていたバスが動いて先頭だけを屋根の下に。すると、ここでも乗客がばらばらと集まってきます。「みんな!どこにいたの!」
どうやってHarvard Circleへ行くのかと思っていると、マルコムX通りを走り、Tremont St.をHuntington Ave.で左折、Brookline VillageでHarvard St.に入ります。あとはずっと86番で走った道を逆行。ハーバード大の運動施設前を通って川を渡り、終点。
トイレに行きたくなったものだから、Harvard Uni.のCOOPに入って3階のトイレに向かってエスカレーターを上がろうとすると、その前を行っていたのは、昨日ボストン美術館で見かけた日本人のお婆さん。先に入られちゃいました。
探していた本を見つけることができなくて、今度は1番のバスです。ハーバード大の周りをぐるりと回って、Massachusetts Ave.をまっすぐに行って、MITの前を通り過ぎ、またチャールズ川を渡ってHynes Convention Centerの駅前で降りました。反対側のビルの下が地下鉄の入り口なんですが、これが良くわからない。ぐるぐると目を回したら「T」の大きなサインが見つかりました。
Quicy Marketへ行ってロブスターサラダとロブスターロールでランチ。前回三回も通ったロブスタースタンドのおじさんは元気そうだったけれど、当時いなかった東洋人の店員が無愛想に売ってます。スタンドは中国人でいっぱい。前から中国人が多かったけれど、前よりももっと多くなっていることを実感します。
歩いても全然面白くないCambridge St.をCharlesの駅前まで歩き、骨董屋が並ぶというCharles St.を南下しますが、道路幅が結構あって、両側を歩くに叶わず、でれでれと歩き、ボストン・コモンの隣のパブリック・ガーデンを散歩して、ボストンはこれで終わりです。それにしても日が燦々と注ぐ公園に二胡の音は似合わんのね。
HI Bostonから歩いて行けるところにWhole Foods Marketがあると聞いて、探し当てて夕飯を調達しました。
ようやく晴れてきました。
今朝も昨日の「南北和」の残り物で朝ごはんにします。
本日のバス旅行はそれはそれは刺激に溢れたものでございました。あいにくと写真に撮る勇気がございませんでした。
HI Bostonからそれほど離れていない、Tuffts Medical Center前にはSilver Lineと呼ばれていながら実は地下鉄ではなくてバスがやって参ります。それもSL4とSL5の両方が停まります。じゃ、これに乗って終点のDudley Stationという駅まで行って、そこから66番のバスでこれまた終点のHarvard Squareで降り、そこから今度は1番のバスに乗って、MITの間を通って川を渡ったところで、バスを降ります。そこからどうするかといったらHynes Convention Centerの駅から緑線の地下鉄に乗るのですが、この駅の入り口が全然良くわからんの。最後は電車をGovernment Centerで降りました。
説明しちゃえばこんなもんですが、いやはや、血湧き肉躍りました。
私たちが張り切ってTuffts Medical Centerのバス停にやってきたら、白人のお婆さんがひとり立っていただけでした。ところが10分ほど待ってようやくSL4がやってきたら、ばらばらと人が集まってきて、あっという間に30人ほどの人になっちまいました。こんな雰囲気はこの前のSullivanの駅の雰囲気そっくりです。しかも、その半分以上がアフリカンの人たちで、残りはほぼチャイニーズとおぼしき東洋人です。
多分乗っていた間20分ほどだったと思うのですが、5分ぐらい経ったら東洋人の人たちが段々減ってきて、10分ほど経ったら全員がアフリカンの人たちになってしまいました。
途中から乗ってきた若い奴が前から乗らずに後ろから乗って、パスを見せる雰囲気(これ、良くみんなやるんですが)で、乗り込んだら、ドライバーがこれを見逃さず「Sir !」と怒鳴りました。するとそいつがドライバーのところへ行ってそのまま降りました。つまり、かれは有効なものを持っていないけど、その振りをして乗り込もうとした、ということなんですね。
この辺から、あれぇぇぇぇ・・・・っていう雰囲気になってきて、どんどん周辺はそんな雰囲気になっていきました。
Dudleyについてみるとこれが電車の駅ではなくて、大規模なバスターミナルでした。ところがここにいる人たちのほとんどはアフリカンです。カメラなんぞ取り出したら怒られそうな気がして取り出せません。しかも乗ろうとしている66番の乗り場が見つかりません。泣きそうです。そこで4-5人のお巡りさんがおしゃべりしているのを発見!尋ねると、「それはこっち!」と指さしてくれたのはもう一つの大きな屋根の下。行ってみると、おぉ〜!あったぞ。しばらく経ったら反対側に止まっていたバスが動いて先頭だけを屋根の下に。すると、ここでも乗客がばらばらと集まってきます。「みんな!どこにいたの!」
どうやってHarvard Circleへ行くのかと思っていると、マルコムX通りを走り、Tremont St.をHuntington Ave.で左折、Brookline VillageでHarvard St.に入ります。あとはずっと86番で走った道を逆行。ハーバード大の運動施設前を通って川を渡り、終点。
トイレに行きたくなったものだから、Harvard Uni.のCOOPに入って3階のトイレに向かってエスカレーターを上がろうとすると、その前を行っていたのは、昨日ボストン美術館で見かけた日本人のお婆さん。先に入られちゃいました。
探していた本を見つけることができなくて、今度は1番のバスです。ハーバード大の周りをぐるりと回って、Massachusetts Ave.をまっすぐに行って、MITの前を通り過ぎ、またチャールズ川を渡ってHynes Convention Centerの駅前で降りました。反対側のビルの下が地下鉄の入り口なんですが、これが良くわからない。ぐるぐると目を回したら「T」の大きなサインが見つかりました。
Quicy Marketへ行ってロブスターサラダとロブスターロールでランチ。前回三回も通ったロブスタースタンドのおじさんは元気そうだったけれど、当時いなかった東洋人の店員が無愛想に売ってます。スタンドは中国人でいっぱい。前から中国人が多かったけれど、前よりももっと多くなっていることを実感します。
歩いても全然面白くないCambridge St.をCharlesの駅前まで歩き、骨董屋が並ぶというCharles St.を南下しますが、道路幅が結構あって、両側を歩くに叶わず、でれでれと歩き、ボストン・コモンの隣のパブリック・ガーデンを散歩して、ボストンはこれで終わりです。それにしても日が燦々と注ぐ公園に二胡の音は似合わんのね。
HI Bostonから歩いて行けるところにWhole Foods Marketがあると聞いて、探し当てて夕飯を調達しました。
2017年6月7日水曜日
2017.06.06 ボストン四日目
ボストン美術館二日目
今日は行きの電車の中から日本人がいて、おやっと思ったら、その後からはどんどん日本人に遭遇。家族づれにまで出会い、多分全部で10人以上に遭遇しましたね。全く日本人を見かけなかった昨日とはガラッと傾向が変わります。
昨日に続いて今日も朝から冷たい霧雨が風に煽られて降り続いていてBoyston Streetの駅に着いたときはすっかり2人とも濡れてしまっていた。みんな傘をささないでレイン・ギアだけで歩くわけでございます。
奥のクロークへ荷物を預けに行くと、昨日のおじさんがそのままいて、「おはようございます!」と言いながら渡してくれた番号札はなんと昨日と全く同じ番号だった!
今日は日本、韓国、アジアの展示を見て、最後にアメリカの印象派を見てしまいました。結局お昼も同じキャフェテリアで食べ、二日間で展示物のほとんどを見たのだけれど、いや、これは疲れる、疲れる!
夕飯はまた「南北和」へ行き、酸辣湯の小サイズ、海鮮炒飯と鶏肉と野菜の炒めもの、小籠包を発注。やっぱり食べ残したけれど、うまかった!
今日は行きの電車の中から日本人がいて、おやっと思ったら、その後からはどんどん日本人に遭遇。家族づれにまで出会い、多分全部で10人以上に遭遇しましたね。全く日本人を見かけなかった昨日とはガラッと傾向が変わります。
昨日に続いて今日も朝から冷たい霧雨が風に煽られて降り続いていてBoyston Streetの駅に着いたときはすっかり2人とも濡れてしまっていた。みんな傘をささないでレイン・ギアだけで歩くわけでございます。
奥のクロークへ荷物を預けに行くと、昨日のおじさんがそのままいて、「おはようございます!」と言いながら渡してくれた番号札はなんと昨日と全く同じ番号だった!
今日は日本、韓国、アジアの展示を見て、最後にアメリカの印象派を見てしまいました。結局お昼も同じキャフェテリアで食べ、二日間で展示物のほとんどを見たのだけれど、いや、これは疲れる、疲れる!
夕飯はまた「南北和」へ行き、酸辣湯の小サイズ、海鮮炒飯と鶏肉と野菜の炒めもの、小籠包を発注。やっぱり食べ残したけれど、うまかった!
2017年6月6日火曜日
2017.06.05 ボストン三日目
今日と明日は雨降りの上に温度が低くて、せいぜい13℃くらいだと報じられていましたから、最初からボストン美術館へ行く日としておりました。なんといってもあそこは一日では見終わるわけがありません。
前回は北斎展をやっていた関係もあって、そこに時間を思いっきり割いてしまい、結局二日間行ったのに、北斎以外のろくな印象が残っていません。
今回は到着してみるとマティス展が特別展として行われている上に、ボッティチェリ展も開かれています。いや忙しいのなんのって。
Informationのカウンターで日本語の案内図をいただこうとすると、見るからにボランティアのおばさまがすぐさま日本語を取って渡して下さいました。なんで日本人だとわかるんだろう?とどぎまぎしていると、傍におられた若い女性もフフフと笑っておいでです。クロークも奥の方へ預けると、出し入れするたびにそこのおじさんがとても愛想が良いのです。結局次の日も預けに行きましたけれど、驚くことにこの日も翌日も同じ番号札を出して下さいました。
ボストン美術館の中にはご飯を食べられるところが2-3カ所ございます。メインのホールはすぐにいっぱいになります。昼飯をどうしようかと思いましたが、結局地下のキャフェテリアで食べましたが、これがデジャブ。すなわち、前回も多分ここで食べたのです。ひとつひとつに単価がついている商品と、重さで払うコーナーがあって、わかりやすくできています。
毎日出かけた先から地下鉄で帰って来て、駅から宿まで歩いて来る途中に「南北和」と書いてある中華屋さんがあって、dimsim cafeとあります。飲茶しか食べられないのかといったらそうじゃなくて、普通の中華屋さんですな。いつもいつも誰かしらお客がいて、遅くなればなるほど混んでいる。そういうところは美味しいに決まっている。
というので、今日はここで晩飯です。入ると店の、信じて大丈夫そうな若者がいて、2人だと英語で言ったら、ベラベラと中国語でかえって来ちゃった!「ダメダメ、中国語わからないよ」と日本語でいったら笑いながら「他の客と一緒でいいか?」というのですよ。そこしか開いていないのは見えているから、いいよというと丸テーブルに先客の米国人親子が4人で座っている。ニコッと笑いながら座らせてもらう。肝心なのはここですね。
水餃子と海鮮焼きそばとアスパラと牛肉の炒め物の三点で30ドルちょっと。安くはないけれど、その量と美味さは申し分がない。焼きそばは昔の渋谷のミンミン、雷門の馬賊のような味といってもわからないかもなぁ。アスパラと牛肉は秀逸。食べきれなくて、ドギーバッグで持ち帰る。明日の朝飯になる。帰り際に向かいの4人家族に、お邪魔しましたといって出た。明日もここで小籠包を食べたい!
前回は北斎展をやっていた関係もあって、そこに時間を思いっきり割いてしまい、結局二日間行ったのに、北斎以外のろくな印象が残っていません。
今回は到着してみるとマティス展が特別展として行われている上に、ボッティチェリ展も開かれています。いや忙しいのなんのって。
Informationのカウンターで日本語の案内図をいただこうとすると、見るからにボランティアのおばさまがすぐさま日本語を取って渡して下さいました。なんで日本人だとわかるんだろう?とどぎまぎしていると、傍におられた若い女性もフフフと笑っておいでです。クロークも奥の方へ預けると、出し入れするたびにそこのおじさんがとても愛想が良いのです。結局次の日も預けに行きましたけれど、驚くことにこの日も翌日も同じ番号札を出して下さいました。
ボストン美術館の中にはご飯を食べられるところが2-3カ所ございます。メインのホールはすぐにいっぱいになります。昼飯をどうしようかと思いましたが、結局地下のキャフェテリアで食べましたが、これがデジャブ。すなわち、前回も多分ここで食べたのです。ひとつひとつに単価がついている商品と、重さで払うコーナーがあって、わかりやすくできています。
というので、今日はここで晩飯です。入ると店の、信じて大丈夫そうな若者がいて、2人だと英語で言ったら、ベラベラと中国語でかえって来ちゃった!「ダメダメ、中国語わからないよ」と日本語でいったら笑いながら「他の客と一緒でいいか?」というのですよ。そこしか開いていないのは見えているから、いいよというと丸テーブルに先客の米国人親子が4人で座っている。ニコッと笑いながら座らせてもらう。肝心なのはここですね。
水餃子と海鮮焼きそばとアスパラと牛肉の炒め物の三点で30ドルちょっと。安くはないけれど、その量と美味さは申し分がない。焼きそばは昔の渋谷のミンミン、雷門の馬賊のような味といってもわからないかもなぁ。アスパラと牛肉は秀逸。食べきれなくて、ドギーバッグで持ち帰る。明日の朝飯になる。帰り際に向かいの4人家族に、お邪魔しましたといって出た。明日もここで小籠包を食べたい!
2017年6月5日月曜日
2017.06.04 Boston二日目
一週間切符を入手したんですから、どんどん乗り物に乗ろうじゃないかというわけです。
前回ボストンに行った時に、ハーバード大学の構内をほとんど歩きませんでした。他人が卒業した大学に行ってなにが楽しいものやらと思っていました。いまでもその考えは変わりませんけれど、おかげで、あの大学の美術館をめぐっておりませんでした。
しかし、そのまんま地下鉄の赤線に乗って行くのでは芸がないので、まずオレンジ線でSullivan Squareまで行きます。手前の駅から地上に出るのですが、出てみるとその辺りは見渡す限り、工場、倉庫の類です。わざわざおりたくなるような駅じゃないです。しかし、ここの駅から86番のCleveland Circle行きのバスが出ています。これに乗ればハーバードサークルを通ります。
ガランとした駅前に出ると、バス乗り場がupperとlowerになっています。それくらいここの駅から何本ものバスが出ているっつうわけです。
その停留所がどこかなぁと見渡していると、そこにみるからに怪しげな爺さんが二人、暇そうに陽だまりに座っています。家なき子じゃないかという雰囲気がします。「なにを探している?」というので「86番」といったら「あっちのハズレだ」といいます。いやぁ、便利なインフォメーションセンターです。アハハ!
10分ほど待つうちやって来た始発バスに乗り込んだのは半分ほどが学生らしい若者たち。私たち二人はかなり違和感がある存在。バスはいっきに西を目指してWashington St.を走ります。しばらくは怪しいまんまですが、だんだん両側が小さな一戸建てになり、それが一気に垢抜けてくるとそこがハーバード・サークル近く。
ハーヴァード美術館は数年前に改修増築が終わって、いくつかの施設が一緒になったそうで、十数年前の図書館の廃棄本でもらった「歩き方」に出ているわけがありません。(どういう旅行してんだろうか)。
それにしても一大学が持っているコレクションとはとても思えないほどの数々です。これで全部が展示されているわけはないのですから驚き桃の木でございます。一番驚いたのは1,500年ほど昔のアフガニスタン、イランあたりのもので、一体どうしたらこんな細密画を描く根性と道具が手に入るのかというものです。横に天眼鏡が用意されていていつまでも見あきません。(それにしてもアメリカ人ジジババの4人組がやかましくてしょうがない。こんな非常識な連中がやってくるのかと思わずにらめども、馬事東風。)
日本物の中で驚いたのは「快慶作」と書かれたやたら大きな仏像の左手です。
昼飯はここの一階にあるカフェのラップサンドイッチで済ませました。大学のキャンパスを通り過ぎて、さっき乗ってきた86番にのってどんどん西へ走り続けていきますと、あっと思ったらバスがグリーン線の線路を渡りました。この辺で中心部に戻った方が良いな、と思っているところでバスがCleveland Circleの駅で停まりました。すぐさま飛び降ります。グリーン線のC線の終点駅です。じゃ、次は電車だ!と駅に入ろうとするとそこになぜか10代の日本人の女の子達が数人固まっています。久しぶりに見た日本人がこんな若い子達で、しかもこんな駅、ってどういうことなんだろうか。
駅で待つことしばし、しかしなかなか電車は来ません。ようやく来たと思ったら、なんと電車は始発ではなくて、どこかずっと遠くから来たみたい。満員ですよ。こんな満員見たことないというくらいの満員。いったいどうしたことかと思ったら、この電車はC線の電車ではなくて、D線の線路を走っています。どういうこと?
これまで直線的に書かれた路線図しか見ていなかったのだけれど、Cleveland Circleの駅ってD線のReservoirの駅であり、バスが横切ったB線のChestnut Hill Ave.の駅と300mも離れちゃいないんです。私が待っていたホームはD線のホームだったわけ。
どうせだからというのでHay marketまで乗っていき、イタリア人街までいってMike's Pastryででれでれだらだらとしていて、きちんと並ぼうとしない米国人にいらつきながらようやく例のお菓子を買い(今度はひとつだけ、ピスタチオまぶし、一個4.50ドル)、スパゲティを食べて帰ってきました。安くはないけれど、美味しうございました。
前回ボストンに行った時に、ハーバード大学の構内をほとんど歩きませんでした。他人が卒業した大学に行ってなにが楽しいものやらと思っていました。いまでもその考えは変わりませんけれど、おかげで、あの大学の美術館をめぐっておりませんでした。
しかし、そのまんま地下鉄の赤線に乗って行くのでは芸がないので、まずオレンジ線でSullivan Squareまで行きます。手前の駅から地上に出るのですが、出てみるとその辺りは見渡す限り、工場、倉庫の類です。わざわざおりたくなるような駅じゃないです。しかし、ここの駅から86番のCleveland Circle行きのバスが出ています。これに乗ればハーバードサークルを通ります。
ガランとした駅前に出ると、バス乗り場がupperとlowerになっています。それくらいここの駅から何本ものバスが出ているっつうわけです。
その停留所がどこかなぁと見渡していると、そこにみるからに怪しげな爺さんが二人、暇そうに陽だまりに座っています。家なき子じゃないかという雰囲気がします。「なにを探している?」というので「86番」といったら「あっちのハズレだ」といいます。いやぁ、便利なインフォメーションセンターです。アハハ!
10分ほど待つうちやって来た始発バスに乗り込んだのは半分ほどが学生らしい若者たち。私たち二人はかなり違和感がある存在。バスはいっきに西を目指してWashington St.を走ります。しばらくは怪しいまんまですが、だんだん両側が小さな一戸建てになり、それが一気に垢抜けてくるとそこがハーバード・サークル近く。
ハーヴァード美術館は数年前に改修増築が終わって、いくつかの施設が一緒になったそうで、十数年前の図書館の廃棄本でもらった「歩き方」に出ているわけがありません。(どういう旅行してんだろうか)。
それにしても一大学が持っているコレクションとはとても思えないほどの数々です。これで全部が展示されているわけはないのですから驚き桃の木でございます。一番驚いたのは1,500年ほど昔のアフガニスタン、イランあたりのもので、一体どうしたらこんな細密画を描く根性と道具が手に入るのかというものです。横に天眼鏡が用意されていていつまでも見あきません。(それにしてもアメリカ人ジジババの4人組がやかましくてしょうがない。こんな非常識な連中がやってくるのかと思わずにらめども、馬事東風。)
日本物の中で驚いたのは「快慶作」と書かれたやたら大きな仏像の左手です。
昼飯はここの一階にあるカフェのラップサンドイッチで済ませました。大学のキャンパスを通り過ぎて、さっき乗ってきた86番にのってどんどん西へ走り続けていきますと、あっと思ったらバスがグリーン線の線路を渡りました。この辺で中心部に戻った方が良いな、と思っているところでバスがCleveland Circleの駅で停まりました。すぐさま飛び降ります。グリーン線のC線の終点駅です。じゃ、次は電車だ!と駅に入ろうとするとそこになぜか10代の日本人の女の子達が数人固まっています。久しぶりに見た日本人がこんな若い子達で、しかもこんな駅、ってどういうことなんだろうか。
駅で待つことしばし、しかしなかなか電車は来ません。ようやく来たと思ったら、なんと電車は始発ではなくて、どこかずっと遠くから来たみたい。満員ですよ。こんな満員見たことないというくらいの満員。いったいどうしたことかと思ったら、この電車はC線の電車ではなくて、D線の線路を走っています。どういうこと?
これまで直線的に書かれた路線図しか見ていなかったのだけれど、Cleveland Circleの駅ってD線のReservoirの駅であり、バスが横切ったB線のChestnut Hill Ave.の駅と300mも離れちゃいないんです。私が待っていたホームはD線のホームだったわけ。
どうせだからというのでHay marketまで乗っていき、イタリア人街までいってMike's Pastryででれでれだらだらとしていて、きちんと並ぼうとしない米国人にいらつきながらようやく例のお菓子を買い(今度はひとつだけ、ピスタチオまぶし、一個4.50ドル)、スパゲティを食べて帰ってきました。安くはないけれど、美味しうございました。
2017年6月4日日曜日
2017.06.03 Boston、
最後にボストンに来たのは一昨年ですから、ちょうどまる2年になります。あの時はスイスのチューリッヒから飛んで来ました。とにかくBostonの宿泊費も高くて、Greenの地下鉄の確かE線でボストン美術館の次の駅から歩いて結構あった宿に泊まった記憶があります。
今度はチャイナタウンのそばにあるホステルに泊まります。このホステルが2年前にあったかどうか知らないのですが、古いビルをリノベーションして作ったようで、シンプルないい作りです。当初あてがわれた部屋がダブルベッドの部屋だったのですが、なんせうちは私が寝相が最悪で、朝起きたらかけていた布団が逆さまになっていてもおかしくないほどなのです。反対に連れ合いはびたとも動かなかったのではないかというような寝相です。だから、私は構わないけれど、妻は大いに構うのです。それで別々のベッドの部屋はないのかとお伺いを立てて変えてもらいました。
「うちの女房が私と一緒に寝るのをいやがるものだからねぇ・・・」という冗談はここでもけっこううけていました。
とっても無愛想そうな受付の女性が、とても親切にしてくれて、人間は見かけによらないなぁと「Thank you」の連発でした。
チャイナタウンに行って飲茶を食べたいなぁといっていたのですが、通りかかった階段をなんとなく感じるものがあって上がって行ったらなんとやっぱりそこが飲茶屋でした。二人で35ドルも使ってしまいましたけれど、まぁまぁの出来でした。
今度はチャイナタウンのそばにあるホステルに泊まります。このホステルが2年前にあったかどうか知らないのですが、古いビルをリノベーションして作ったようで、シンプルないい作りです。当初あてがわれた部屋がダブルベッドの部屋だったのですが、なんせうちは私が寝相が最悪で、朝起きたらかけていた布団が逆さまになっていてもおかしくないほどなのです。反対に連れ合いはびたとも動かなかったのではないかというような寝相です。だから、私は構わないけれど、妻は大いに構うのです。それで別々のベッドの部屋はないのかとお伺いを立てて変えてもらいました。
「うちの女房が私と一緒に寝るのをいやがるものだからねぇ・・・」という冗談はここでもけっこううけていました。
とっても無愛想そうな受付の女性が、とても親切にしてくれて、人間は見かけによらないなぁと「Thank you」の連発でした。
チャイナタウンに行って飲茶を食べたいなぁといっていたのですが、通りかかった階段をなんとなく感じるものがあって上がって行ったらなんとやっぱりそこが飲茶屋でした。二人で35ドルも使ってしまいましたけれど、まぁまぁの出来でした。
2017年6月3日土曜日
2017.06.02 Bar Habor, ME
バーハーバーというのはかつての大金持ちの避暑地だったんだそうで、ガイドの口から出てくる名前は真っ当か、真っ当でないかの違いはあるけれど(笑う)知らない人はいないだろうと思うような人の名前ばかりでございます。
船は沖どまりで、(多分ピアーを作ることを大金持ちたちは是としなかったのではないでしょうか?)救命ボートとして搭載しているテンダーボートを三隻走らせて、ピストン輸送します。
それに先立って船内に米国国境なんとかオフィサーがやってきて、入国審査をします。船側はこれまで何度もやっているはずですから、もっとサッサと終わると思ったら、とんでもなく焦ってしまっています。多分、これまで以上に手続きが煩雑になっているのではないでしょうか。こんな列を作っているときに、平気で列を乱して横入りする奴が必ずいます。今回わたしの目の前に横入りしたのはインドパキスタン系の老夫婦でした。こういう奴は不愉快だなぁ。
そこから今度は階段を降りて三段目のテンダーボート乗り場に行くのですが、エレベーターで降りてきた夫婦のカミさんは、階段の人たちに向かって「すんません、エレベーターできましタァ!許してね!」と挨拶をしてみんなに認めて貰っています。こういうやりかたもあるわけです。
島に上がってみると、クレアというガイドとゲアリーと言うドライバーのバスで島のてっぺんに上がります。標高1500フィートです。見晴らし良好。
その名もMain Streetの両側にはいかにも避暑客相手にやっているとおぼしき洒落た店が軒を連ねています。どこかに似ているなぁと思ったら、海と山の違いはあるけれど、Jacksonvilleの街かもしれないです。
船のすぐ沖側に水面ギリギリに防波堤が有ります。これはJPモーガンが日頃沖に止めたヨットで午後5時にカクテルを飲むのに、船が揺れるといって作らせた防波堤だというのです。
てっぺんまで上がる道路はロックフェラーが作ったらしいのですが、その当時はバスがくることなんぞ想定していないので、橋のサイズがギリギリなんだそうです。
山から降りてきて、午前中でバスツアーは終わり。街をそぞろ歩くと写真家のお店があります。古いHALの船が沖に止まっている写真のカードを買ったら(5ドル)、「どこからきたの?」とお定まりの質問。「日本です!」と答えると彼は黙って奥から今年の残り少ないカレンダーを持ってきて、これを持って行って!とただでくれました。驚いたなぁ。
船は沖どまりで、(多分ピアーを作ることを大金持ちたちは是としなかったのではないでしょうか?)救命ボートとして搭載しているテンダーボートを三隻走らせて、ピストン輸送します。
それに先立って船内に米国国境なんとかオフィサーがやってきて、入国審査をします。船側はこれまで何度もやっているはずですから、もっとサッサと終わると思ったら、とんでもなく焦ってしまっています。多分、これまで以上に手続きが煩雑になっているのではないでしょうか。こんな列を作っているときに、平気で列を乱して横入りする奴が必ずいます。今回わたしの目の前に横入りしたのはインドパキスタン系の老夫婦でした。こういう奴は不愉快だなぁ。
そこから今度は階段を降りて三段目のテンダーボート乗り場に行くのですが、エレベーターで降りてきた夫婦のカミさんは、階段の人たちに向かって「すんません、エレベーターできましタァ!許してね!」と挨拶をしてみんなに認めて貰っています。こういうやりかたもあるわけです。
島に上がってみると、クレアというガイドとゲアリーと言うドライバーのバスで島のてっぺんに上がります。標高1500フィートです。見晴らし良好。
その名もMain Streetの両側にはいかにも避暑客相手にやっているとおぼしき洒落た店が軒を連ねています。どこかに似ているなぁと思ったら、海と山の違いはあるけれど、Jacksonvilleの街かもしれないです。
船のすぐ沖側に水面ギリギリに防波堤が有ります。これはJPモーガンが日頃沖に止めたヨットで午後5時にカクテルを飲むのに、船が揺れるといって作らせた防波堤だというのです。
てっぺんまで上がる道路はロックフェラーが作ったらしいのですが、その当時はバスがくることなんぞ想定していないので、橋のサイズがギリギリなんだそうです。
山から降りてきて、午前中でバスツアーは終わり。街をそぞろ歩くと写真家のお店があります。古いHALの船が沖に止まっている写真のカードを買ったら(5ドル)、「どこからきたの?」とお定まりの質問。「日本です!」と答えると彼は黙って奥から今年の残り少ないカレンダーを持ってきて、これを持って行って!とただでくれました。驚いたなぁ。
2017年6月2日金曜日
2017.05.31 Sydney
ノヴァ・スコシア州のシドニーというのは豪州NSW州のシドニーと同じ綴りです。
ちょっとは違っているのかと思っていました。
小さな田舎の町で、なぜか埠頭には重量が3トンを超えるというスチール製の世界一大きなバイオリンが立っています。
この町はかつて石炭で栄えた町だったそうで、その石炭を使った製鉄業も賄われていたんだそうです。しかし、もちろん今では何もかもなくなってしまって、学生が一番目立つ街になっています。
私たちはこの街で何をしたかというと、バスで小一時間走り、オートキャンプ村がやっている鳥を見るボートツアーに参加しました。
なんといっても切り札はパフィン、Puffinです。小さな30人も乗ったら満員の船はその名も「Puffin Express」というわけです。沖にある岩礁を目指すと、セグロカモメ、グレイのカモメ、可愛いとはお世辞にもいえない海鵜、白頭鷲と日本語では格好いい名前が付いているのに、英語ではbald eagleと情けない名前になってしまっているやつなんてのがどんどん見えるのですが、肝心のパフィンはなかなか見られません。小さなペンギンの仲間、足の真っ赤な黒い小さな鳥、なんてのも見られるうちに、嘴がふざけているとしか思えないカラフルなパフィンが見つかります。いや、これが小さいじゃん!しかも、はしっこいです。なかなか写真で捉えられません。散々失敗して半分諦めました。鳥の写真は難しいわ!
街に帰ってきてから、バスの窓から見つけたアイスクリーム屋に急ぎました。学生バイトのボビーがもっこりとよそってくれましたよ。
夜なダイニングへのんびりと。
隣にタイ語と思しき言語を使う若い若い二人連れが座りました。新婚旅行でしょうか。座るなりウェイターにスマホを渡し、2人を写真に撮れと依頼します。ウェイターは僕らのテーブル越しに撮りました。
テーブルのパンを手にしたかと思うと、半分に裂き、そこへバターをたっぷり塗ってやおら齧りました。バターのお代わりを頼み、水の氷をそのバターの器に開けました。次から次に思いもよらない行為に及ぶので、目が離せません。おもろうございます。
2017年6月1日木曜日
20170530 Charlottotown
Nova Scotia州という州がカナダにはあります。これが実はNew Scotlandという意味だったと今の今まで知りませんでした。
で、Prince Edward Islandという島があります。人口37、000人です。何で有名か。もちろん赤毛のアンでございますよね。日本では私たちの年代の女性だったら知らない人はいないだろうというくらいに有名な小説でございます。原作者はこの島で生まれた女性、
で、Prince Edward Islandという島があります。人口37、000人です。何で有名か。もちろん赤毛のアンでございますよね。日本では私たちの年代の女性だったら知らない人はいないだろうというくらいに有名な小説でございます。原作者はこの島で生まれた女性、
2017.05.29 一日航海
ケベックシティーを出てから、今日は一日中航海の日。
朝7時には朝飯をLidoで食べます。
なんでそんなに早く朝飯を食べるの?というと、昨日わかったことなのだけれど、11時にダイニングの7階でリピーターのための船長主催ブランチがあるからなんですね。どんなことになるのか、皆目検討がつかなかったので、とりあえず食べておくだけはというわけです。
時間になってダイニングへ行ってみると、船長とホテルプロデューサーが出迎えます。バフェなのかと思ったら、ちゃんとしたシッティングのディナーです。しかも、席についてみるとスパークリングのワインがシャンパングラスについであります。メニューが配られてみると、数少ない選択ですが、それでもオントレーも、メインも選択肢があります。ただし、デザートだけは選択の余地なしでございます。美味しく頂きましてございます。
ところが、私たちの隣のテーブルにおすわりになった、なんとなくスペイン語系と思しき老夫婦とその娘という三人組はそこまできて、やれ、これは食えない、やれ、こんな味付けにはできないのか、と散々ウェイターを悩ましております。だったら、こんな席に来ないで、バフェのLidoで食えそうなものを選べばいいじゃないかと不思議でございます。こういうお客さんというのがいるのですなぁ。
午後は歩き足りないので、ジムへ行ってマシーンで歩きます。残念ながらここのジムには着替えるためのロッカーがないので、部屋からそんな格好で行くのが格好悪くて困ります。2kmくらいしか歩かないのに、なんだか疲れて帰ってきて、シャワーの後で昼寝。これじゃまた太る。
その上、なんと終日公開日だからと夕飯はちょっと金のかかるダイニング・ピナクルを予約していました。一度はこんなところで食べたいねと。アペタイザーにシュリンプカクテルを頼んだら、グラスに盛り付けられていないで、皿盛りでやってきました。これはガーリックが効いていて美味しく食べました。連れ合いはロブスター・ビスクスープを前菜としてそのうえ、ロブスターテールをメインに二本も食すのであった。
朝7時には朝飯をLidoで食べます。
なんでそんなに早く朝飯を食べるの?というと、昨日わかったことなのだけれど、11時にダイニングの7階でリピーターのための船長主催ブランチがあるからなんですね。どんなことになるのか、皆目検討がつかなかったので、とりあえず食べておくだけはというわけです。
時間になってダイニングへ行ってみると、船長とホテルプロデューサーが出迎えます。バフェなのかと思ったら、ちゃんとしたシッティングのディナーです。しかも、席についてみるとスパークリングのワインがシャンパングラスについであります。メニューが配られてみると、数少ない選択ですが、それでもオントレーも、メインも選択肢があります。ただし、デザートだけは選択の余地なしでございます。美味しく頂きましてございます。
ところが、私たちの隣のテーブルにおすわりになった、なんとなくスペイン語系と思しき老夫婦とその娘という三人組はそこまできて、やれ、これは食えない、やれ、こんな味付けにはできないのか、と散々ウェイターを悩ましております。だったら、こんな席に来ないで、バフェのLidoで食えそうなものを選べばいいじゃないかと不思議でございます。こういうお客さんというのがいるのですなぁ。
午後は歩き足りないので、ジムへ行ってマシーンで歩きます。残念ながらここのジムには着替えるためのロッカーがないので、部屋からそんな格好で行くのが格好悪くて困ります。2kmくらいしか歩かないのに、なんだか疲れて帰ってきて、シャワーの後で昼寝。これじゃまた太る。
その上、なんと終日公開日だからと夕飯はちょっと金のかかるダイニング・ピナクルを予約していました。一度はこんなところで食べたいねと。アペタイザーにシュリンプカクテルを頼んだら、グラスに盛り付けられていないで、皿盛りでやってきました。これはガーリックが効いていて美味しく食べました。連れ合いはロブスター・ビスクスープを前菜としてそのうえ、ロブスターテールをメインに二本も食すのであった。
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